第22話 カトリーヌとお話
「ギャアア!」
「何ですかこれ?」
「魔物よ!」
大量昏睡事件の黒幕である堕ちた神の欠片討伐及び菩薩院桂花さんとの邂逅から数日後、聖女様がやけに興奮して見せたいものがあると言っていたので、異世界側の超越神社までやってきた。聖子さんとアリエさんは今日も研修のため街のあちこちに行っており、ここには僕と聖女様の二人だけだ。
彼女の手のひらには食虫植物のような得体のしれない化け物が乗っている。
「見せたいものってこれですか?」
「そうよ!」
一体なぜこのようなちっこい魔物を見せたいのだろうか。
「それ、魔物なんですよね? どうやって超越神社に入れたんですか?」
超越神社は悪しき物が侵入できないように境内全体に結界が張ってある。邪神の侵入ですら防いでみせたわけだから、こんな吹けば飛ぶような魔物など入ってこれるはずがないのである。となれば、聖女様が何かしたに違いない。
「向こうから持ってきたわけじゃないわ。ここで生まれたのよ」
「……どういうことですか?」
超越神社は神聖と清浄に満ちた空間だ。こんな魔物が生まれるわけがない。
「聖子よ!」
「……もしかして、彼女の陰陽反転ですか?」
「そうよ!」
聖女様の予想では聖子さんの陰陽反転はある性質の物を正反対に変換できる能力だと言っていた。悪氣を色聖に、色聖を悪氣に変えることができるかもしれないと。
「実験してみるとは言っていましたがその結果がこれですか……」
「ええ、私の予想通りだったわ!」
聖女様は聖子さんの陰陽反転は彼女の体を通す事で正反対の性質に変えられると当たりをつけ、聖子さんの左手に異世界にある雑草を持たせて右手に聖女様の青聖を流し込んだようだ。すると聖女様の思惑通り、聖子さんの体を通った青聖は魔氣に変じ、左手に持った雑草が魔物となった。
「これは向こうではそこら中にいる弱っちい魔物よ。適当な草に魔氣が付くとこうなるのよ」
「ギャッ!」
聖女様は草の魔物をおもいっきりクシャッと潰した。パンパンと手を払いふんぞり返って偉そうに腰に手を当てた。満面の笑みである。
「今度は逆に悪氣をセイコの体に流してみようと思うの。救星求道会の連中が今聖都にいるから、あいつらの邪氣を利用するわ!」
「カトリーヌさん、前も言いましたけどくれぐれも聖子さんの力は本人には内緒にしてくださいよ。あと、実験するならちゃんと安全に配慮してください」
「分かってるわよ!」
桂花さんが超越神社を訪れた翌日、聖子さんは早速引っ越しの準備に取り掛かった。実家から荷物を持って来たのだが、その時聖子さんの手伝いに年配の菩薩院家の方が一緒にいらした。
その方からお嬢様をよろしくお願いしますと高級な菓子折りをいただいた。それからいくつか注意事項を守っていただきたいとお願いされた。その注意事項のひとつが聖子さんの特別な体質のことは本人には決して言ってはならないということだった。
菩薩院家は理由はわからないが徹底的に聖子さんを稼業に関わらせないつもりで、彼女に普通の生活を送ってもらいたいようだ。そんな訳だから聖子さんを異世界に関わらせることにためらいを感じたが、お手伝いさんは最後にどうかなるべくお嬢様のわがままを聞いて下さいと、丁寧にこれでもかと僕にお願いした。
お手伝いさんの痛切な様子に僕は戸惑ったが、はいと答えるしかなかった。なにやら深い事情がありそうだ。
そういうわけで僕は若干の胸騒ぎを覚えたが、お手伝いさんの言う通り聖子さんの望みを叶えるべく、予定通り異世界に留学してもらうこととなった。もっとも今の聖女様のように、異世界側の超越神社から通ってもらうのだけれど。
こんな事があったので僕は聖女様に彼女の力を検証することは取り消してもらうようお願いした。聖女様は聖子さんの陰陽反転に並々ならぬ興味を抱いていたが、万が一聖子さんにバレたら事だからだ。
しかし聖女様は頑として僕の申し入れを受け付けなかった。むしろ僕が諭されてしまった。聖子さんの力を正しく解析すれば、菩薩院家の特別な事情を知る一助になるかもしれないと。そのためには検証は不可欠だと。大丈夫、うまくやるからあんたは何も心配はいらないと。
僕も聖子さんの力を把握すべきだと考えていたので、聖女様の甘言にあえて乗ることにした。
……でも聖女様だけじゃ心配だから、後でロアイトさんに事情を説明して彼女にも注意を払ってもらおう。余談だが、いただいた菓子折りは全部聖女様に取られてしまった。
「安心しなさい。私がちゃあ~んと秘密裏にセイコの力を使ってあげるわ!」
「あくまで検証に留めてくださいよ。話は変わりますが、救星求道会道って確かカトリーヌ教お墨付きの邪教で、その人達の呪術を使ってマダコさんに自白させるために呼んだんですよね?」
アリエさんの妹であるマダコさんは、何故か大災害獣を操ることができる。この極めて異常な力は呪術由来の能力ではなく彼女の生来の力だと思われる。それ故、その力の根源を確かめる必要があるのだがマダコさんは尋問にもだんまりで全く話そうとする意思はないようだ。
「お墨付きっていうか、あいつらが何故か私達に協力的なのよ。だから利用してやってるってわけよ」
「まあ、それはいいんですけど、マダコさんの力について何か分かったんですか?」
「分からなかったわ!」
「ということは彼女の力は彼女自身にも分からないということですか……」
「そういうことになるわね。全く期待外れだったわ。それでもいくつか分かったことがあるから聞く?」
「お願いします」
聖女様によるとまずマダコさんを呪術で卑人に変えた邪教はアロン教ではないらしい。初めは別の邪教に所属していたのだが、数年前にアロン教に移籍したようだ。しかしこれは意外でもなんでもなく、予想されていたことであったという。
というのもアロン教の呪術で卑人となった者は、他の邪教と違い体に著しい変化をきたすからだ。腕が四本だったり背中に翼が生えていたりと、アロン教の卑人達は何故か身体の一部に特異な変化が生じるらしい。おそらくは邪神の力がそうさせているのだろうと。
「ということはあのガシャという老人も昔は別の邪教の所属だったんですね」
「ええそうよ。あのクソジジイはアロン教ができる前から生きているからね。あいつは私達と違って凡人だから他人の寿命を吸って延命してきたクソ野郎なのよ。しかも狡猾で臆病だから私達も居場所をなかなか掴めなくってね。あんたの前に現れたあれは分身ね。あいつが敵陣の真ん中におめおめと突っ込んでいくなんてありえないわ」
「……じゃああの人は生きているんですね」
邪神の人柱となってまっ黒焦げの焼身死体となったのを目撃したから、とっくに地獄へ堕ちているものだと思っていたのに随分としぶといものだ。
「まあでも本体も無事ではないと思うわよ? 分身と本体はちゃんと繋がっているからね。あんたの浄化玉を食らった上に邪神の人柱になったんだから」
それよりもと言って聖女様は再び話題をマダコさんに移した。
「アリエの妹には不可解なことがあったのよ。幼少期のある時から以前の記憶がないの。これはアリエと同じだわ」
「アリエさんは子どもの頃の記憶がないんですか?」
「ええ、そうよ。確か8歳以前だったかしら? アリエの妹も同じ時期に記憶を失ったと思われるわ。私の予想ではこの失われた幼少期に何か大きな秘密があると見ているわ!」
それから聖女様はあれこれ推測を並べ長い間、持論を展開していた。僕は適当に頷いてた。それにしてもアリエさん、子供の頃の記憶がないんだ。何があったのだろうか?
「マダコさんの処遇はどうなるんでしょうか? やっぱり極刑とか……」
「とりあえずまだ生かしておくわ。アリエは何も言わないけど妹の心配をしていることはヒシヒシ伝わるしね」
「そうですか……」
「それはそうとあんた暇でしょ? やってほしいことがあるんだけど」
「全然暇じゃないですよ」
僕は今、例の動画の事後処理で忙しいのだ。具体的に言えば昏睡から目覚めた人達の浄化だ。全国に散らばっているので移動だけで大変なのである。
例の動画を見て堕ちた神の欠片とバトってから僕はすぐにおじさんに連絡した。あの動画を見て昏睡した人達がどうなったかの確認と彼らの居場所を聞くためだ。それから投稿主のにゅーさんの生死もだ。
動画の怪異は解決したと伝えたが、詳細を言うことができなかったのでおじさんは訝しんでいたが、すぐに菩薩院桂花さんからもこの件について連絡がきたみたいで、これはただならぬ事であると何も聞かずにすぐに僕の言う通りに動いてくれた。
翌日おじさんから連絡がありその時の話によれば、昏睡状態だった人達は昨日の昼過ぎ頃に、おそらく全員同時に意識を取り戻したみたいだ。ちょうど僕が堕ちた神の欠片を倒した時間あたりである。
堕ちた神があの動画を見た人達を使って何か良からぬことを企んでいる可能性があるので、彼らを浄化すべく一人ひとりにこっそり浄化玉を打ち込まなければならない。人数は100人以上であるから、なかなか骨の折れる仕事だ。
にゅーさんの方は昨年から連絡が取れず、親族の方が捜索願を出したが未だ行方不明であるようだ。残念なことに彼の死は確実であろう。おそらく死体も残っていない。
そういった訳だから僕は聖女様のお手伝いをする余裕はない。なんなら彼女に手伝ってほしいくらいだ。そんな僕の状況をツラツラと聖女様に説明した。
「ふーん、堕ちた神ね……。あんたも大変ね。ま、そっちが一段落したら声をかけなさいな」
聖女様の態度はすげなかった。関わりたくないオーラをヒシヒシと感じる。そんな事言わずに手伝ってくださいよ。
「いやよ。私は忙しいの!」
確かに聖女様は毎日ロアイトさんに連行されて帰りも遅めらしい。今日は休みみたいだけど。
「分かりました。こっちの方は僕が何とかします。カトリーヌさんには聖子さんのことをよろしくお願いします」
「任せなさい!」
聖女様は胸を叩いて自信満々にそういった。