第14話 イーオとお話
「しょうがないね。今回は諦めよう」
僕が彼らの仲間入りを断ったことでヤーコプさんが残念そうに言った。
「今回はじゃなくて永久に諦めなさい!」
「まさか。僕が一度や二度ダメだからといって諦めるわけないでしょ。そもそも今回の勧誘はイレギュラーでダメ元だったしね」
「ふん、勝手になさい。全力で阻止してやるんだから」
「あら、勧誘は失敗したのね。はい、姉さんどうぞ」
片手にティーカップを2つ乗せたトレイをもったシェヘラザードさんがいつの間に上の階からやって来た。聖女様の前に紅茶のような液体が入っているティーカップを置く。
「遅かったじゃない!」
「姉さんのために時間をかけてゆっくり淹れたからね」
聖女様はティーカップを持ち上げ一息に飲んだ。まだ湯気が立っているのに熱くないのだろうか。
「何よこれ! 美味しいじゃない! 良い茶葉使ってるわね!」
「そりゃ、大事なお客様に出すお茶ですもの。はい、カミヒトもどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
せっかくなので僕も頂く。毒見はカトリーヌさんが済ませているので変な物は入っていないだろう。
「さて、次は私の番ね。ジャック、もう一度言うわ。あれ返しなさい。すっとぼけても無駄よ!」
「…………驚いたぞ、あんなものを隠し持っていたとはな。おかげでお前の馬鹿げた力の秘密がわかった」
「やっぱり! あんたが盗んだんじゃないの!」
「……言っておくが俺が盗んだわけじゃない。あれの意志で俺の方にやって来た」
「そんな訳ないじゃない!」
「本当だ。お前はあれに愛想を尽かされているんだ」
「なんですってぇ!? 嘘おっしゃい! あんたが盗んだんでしょ!」
「うるさいやつだ。違うと言っている」
「ああん!?」
僕は紅茶のようなものを啜りながら彼女達の言い合いを聞いていた。聖女様の言う通りこの紅茶は美味しい。お上品な味がする。
それよりあれってなんだろう。ちゃんと固有名詞で言ってほしいな。まあ、わざとボカしているんだろうけど。
「ねえ、あれって何なの? ちゃんと私達にも分かるように言ってほしいわね」
おや? どうやらシェヘラザードさんもあれについてご存知ないようだ。
「あ、あんた達は知らなくていいのよ!」
「…………」
「僕も気になりますね」
「あんたは関係ないでしょ!」
関係ないってことはないでしょ。ここまで連れてきたのは僕なんだし、ちょっとくらい知る権利はあると思うんだけど。
しかし聖女様は頑なにあれの詳細を言おうとしない。ジャックさんもあれについては黙っているし。
「返しなさいよ!」
「あれの意志でここにいるといっているだろう」
「そんな訳ないわ!」
話は平行線である。そろそろ帰りたくなってきた。これ以上は無駄であろう。
「カトリーヌさん、もう諦めて帰りませんか?」
「何を言っているのよ! あれを取り返さないうちは絶対帰らないから!」
聖女様の絶対に帰りたくない意志は鉄のように固い。もう僕だけでも帰ろうかな。聖女様も転移魔法使えるだろうし自力で聖都へ帰還できるだろう。
美味しい紅茶っぽいお茶も飲み終わったら聖女様に僕だけ帰っていいか打診してみようか。
(カトリーヌ、久しぶりだね。元気そうで何よりだよ)
そう思ったとき突然頭の中に何かの声が響いた。
「!!?」
この声はカトリーヌさんにも聞こえているようで、驚いた彼女はあっちこっち忙しなく頭を動かして声の主を探していた。
――あ、あんた今どこにいるのよ!? 早く私の下へ戻ってらっしゃい!――
カトリーヌさんは念話でこの謎の声と交信した。どうやら知り合いである様子。
(その前に君と話したいことがある。ジャック、彼女をここへ連れてきてもらってもいいかな?)
――承知した――
なんだろうこれ? 謎の声が頭に響いてくる感じ、以前にもあった気がする。
「カミヒト、あんたは先に戻りなさい」
「……いいんですか?」
「いいわ。ただ五聖殿で私が戻るまで待ってなさい」
「はあ……分かりました」
あれというのは十中八九この謎の声の主のことだろう。聖女様があれを秘匿したい以上僕はもう用済みということか。別にいいんだけどさ。
僕は聖都へ戻るべく白い鳥居を召喚した。
「じゃあ、僕は戻りますね。皆さん、突然おじゃまして申し訳ありませんでした」
「またね。君とお話できてよかったよ」
「あなたともっと深いお付き合いをしたかったのに残念だわ」
僕は竜頸傭兵団の面々に一礼すると鳥居をくぐった。
「ねえさまは?」
聖女様が封印されていた部屋に戻るとそこで待機していたマリンさんに尋ねられた。ロアイトさんも待っていたようだ。僕は彼女達に竜頸傭兵団のアジトでの出来事を大雑把に説明する。呪いの方は念のためぼかしておいた。
「まあ……そんな事が。カトリーヌ様がご迷惑をおかけして申し訳ありません。カミヒトさんもお疲れでしょう。従者様方と一緒に夕食でも召し上がっていってください。カトリーヌ様は私達がお迎え致しますので」
「カミヒトお疲れ様」
マリンさんが呪文を唱え、僕の下に転移の魔法陣が現れたかと思うといつも通り視界が暗転した。
移動した先は客間らしき場所。壁も装飾品も白で統一された洗練された空間だった。そこで聖子さん達4人が出迎えてくれた。事前にロアイトさんからこちらに僕が来ると連絡がきていたようだ。
イーオ様がねぎらいの言葉を僕に言うと、部屋に備え付けられた細長いテーブルまで僕を誘導した。テーブルには白いクロスが掛けられており、上には燭台とお皿やフォークなどの食器類が五人分用意されている。
僕がテーブルの片側に座ると両サイドは天女ちゃんと聖子さん、対面にはアリエさんイーオ様が座った。僕達が着座すると、客間にゴーレムらしき硬そうな素材でできたロボットが料理を運んできた。アリエさんによると五聖殿は防衛のために極力人を少なくしているので、こうした自立駆動型の魔法具を多く使用しているらしい。
僕は少し早めの夕食をいただきながら彼女達に大体の出来事を語ってみせた。聖女様の封印が解かれたことをアリエさんとイーオ様は喜び、交換留学の話になれば聖子さんはニヤァっと不吉な笑みを浮かべ、アリエさんは困惑した様子であった。
竜頸傭兵団のアジトの話になれば、アリエさんやイーオ様は神妙な顔つきで聞き入っていた。勿論、彼女達にも堕ちた神の話はしていない。
説明が終わると今度は質問された。特に交換留学について聖子さんやアリエさんから集中的に聞かれた。聖子さんや期待が入り混じった声色をしており楽しみにしているのが分かる。今日からここで暮らすわと言っていたが、彼女は実家ぐらしなので一人暮らしをするという名目でお家の許可を取ってからにしようと言えば、
「私もう成人よ? 家の許可なんかいらないわ」
と反論された。しかし彼女のお家の特別な事情とやらがあるらしいので、僕としてもここは譲れなかった。勝手なことをして菩薩院家からクレームがきたら嫌だし。
渋々納得した聖子さんであったが、やはり異世界留学という話には心惹かれるようで不機嫌な感じはしなかった。
対するアリエさんはどことなく不安そうだ。彼女には僕の国は東の大陸の端っこの辺鄙な島国だと説明してあるので、殊更気になるのだろう。いきなり全く文化も文明の水準も違う僻地へ留学させられるのだから心配になるのも無理はない。
アリエさんには僕の国が異世界にあり文明がここよりも進んでいるとは知らないので、彼女の心持ちとしては日本の女子高生が突然親の命令でアフリカの聞いたことのない国へ留学させられるようなものであろうか。
ひとしきり質問が終われば談笑タイムである。そう言えば彼女達は僕が居ない間に打ち解けたようで、初対面のときのような微妙な空気はだいぶ薄らいでいた。
それにしても聖女様遅いな。竜頸傭兵団のアジトから帰還して一時間ほど時間が経つが何か揉めているのだろうか。聖女様の性格だとその可能性が高そうだ。
「カミヒト様、よろしいでしょうか? 二人きりでお話したいのですが……」
話が一区切りしたところでイーオ様が僕の目を見つめそう言った。柔和で品のある微笑を浮かべている。彼女は依然としてスパイ疑惑があるしその目的もわからないが、彼女の聖職者としての在り方は本物だ。大災害獣戦でそれがよくわかった。メイゲツの住人を守るためにレアアイテムである銀婆盾を惜しげもなく使っていたし。
そういうわけだから、イーオ様と二人きりで話をすることに抵抗はないので僕は快く承諾した。アリエさんはイーオ様にスパイ疑惑がかかっている事を知らないためか、彼女の申し入れに特段疑っている様子はなかった。
イーオ様に先導される形で僕は客間を出て、長い廊下を歩き豪奢な階段を降りるとそこは最初に来た玄関ホールであった。
「ここならば誰にも邪魔されずゆっくりお話できますね」
「ええ、昨日からバタバタしましたからね。僕もお話したいと思っていました」
「ふふふ、カミヒト様は今や時の人ですからこのような機会はもうないかもしれませんね」
「そんな……僕なんて大したもんじゃないですよ」
「いいえ、そのような事は決してありません。カミヒト様は救世主様でございますから。これは大げさな表現ではありません」
「……恐縮です」
そう言われることに僕が居心地の悪さを感じていることを察してか、イーオ様は「本当にそう思っているのですよ?」と真心を込めて言うと話を続けた。
「リュノグラデウスの浄化はすでに各国に知れ渡っています。そうなるとセルクルイスの白霊貴族の件も公表するでしょうし、カミヒト様の存在が世間に広まるのも時間の問題でしょう。そうなれば今後、各国や色々な組織が様々な思惑をもってカミヒト様に接触を試みます。竜頸傭兵団がいい例です。私も彼らが動くとは思ってもみませんでしたが、それほどカミヒト様はこの世界にとって重要であるのです」
プレッシャーを感じないように普段は努めて意識しないようにしているが、僕という存在が重要であることはすでに自覚はしている。アロン教にも狙われているし、割と切実に困っている。
ただ聖女様が頑なに僕をどこにも渡すつもりがないようなので、しばらく聖女様バリアのお世話になろうかと思っている。代わりにこき使わされそうだが多少は目を瞑ろうか。
「私は心配です。アロン教のこともありますし、カミヒト様を利用しようとする邪念を持った愚かな輩も出てくるでしょう。ですから私はカミヒト様のお力になりたいのです」
僕の目を見つめる双眸は意志の強さが籠もっており、これが冗談や巧言の類でないことは明らかだった。
「ありがとうございます。イーオ様に心配していただけるだけで十分ですよ」
「あ、信じていませんね? 私は本気でそう思っていますし、その力もあるつもりです」
イーオ様は一歩僕に近づき両手の白い手袋を取ると彼女の繊細で華奢な手があらわになった。
「カミヒト様、お手を」
手を差し出すように促されたので疑問に思いつつも言われた通りにすると、彼女は僕の手を両手で優しく包み込んだ。いきなりのことでドキリと心臓が高鳴る。
そしてイーオ様が僕の手を包んだまま目を瞑り祈りの言葉を捧げると、彼女から得体のしれない膨大なエネルギーがなだれ込んできた。この途方も無い何かが自身の中に入り込んでくる感覚は、いつしかドラゴニックババアから銀婆工芸品を授かったときと酷似している。
「…………これは?」
「それは銀婆聖護符といい、それを身に着けていれば悪意からその身を隠蔽することができます。人間の悪意だけでなく人ならざるものにも有効なので、これからのカミヒト様のお役に立てることでしょう。そちらを差し上げます」
イーオ様が何かしらのババアから寵愛を受けていることは、本人の口から聞いたことであるので彼女が銀婆工芸品を持っていても不思議ではないがそれを僕に譲渡する意図がつかめない。本当にただの善意であろうか?
「……そのような貴重なものをいただいてよろしいのですか? これほどの物をいただいても僕には何も返せる物がありません」
銀婆工芸品のすごさはこの身をもって体験しているのでものすごく嬉しいのだが、かなりのレアアイテムでもあるので簡単に貰っていいのか判断に迷うところでもある。
「安心してください。見返りなどは求めるつもりはありませんから。私はただカミヒト様のお力になりたいだけなのです。その為にはどのような協力も惜しまないつもりです。これから数多の艱難辛苦がありましょうが、私達が共にあることを忘れないでください」
イーオ様の情感のこもった言葉に胸が熱くなる。僕個人というよりも“伝説の何か”の使者の力になりたいということだろうし、彼女にはスパイの容疑があるがそれでも嬉しいものは嬉しい。
「ありがとうございます」
「ふふふ、どういたしまして」
それから僕達はお互いのことを話し合った。イーオ様は雪深い北国出身で両親は共に“神聖光輝協会”の神官であるという。神聖光輝協会とはイーオ様が真に信仰すると思われる宗教であるが、ここでその名前を簡単に出したことに驚いた。
僕はイーオ様に神聖光輝協会の教徒にならなかったのかと尋ねたが、彼女は幼い頃はそうであったがカトリーヌ教の神官が悪氣を祓う姿を見てカトリーヌ教に憧れを持ったそうである。神聖光輝協会は歴史こそあるものの、規模は小さく在籍する神官も大した力を持っていないので、幼い頃から悪氣を祓い人々の役に立ちたいと願っていたイーオ様はカトリーヌ教を選んだそうだ。
これが事実なのかそういう設定なのか分からないが、僕の持っている情報と照らし合わせてもおかしなところはないように思える。まあ、僕が考えることじゃないのでこの件は聖女様に任せよう。
イーオ様は僕の国つまり日本について聞いてきた。ただここから見たら何もかも違う異世界であるので説明に困ってしまう。なので独特の文化のあるいい国ですよと具体的な説明を避けてあやふやに言うほかなかった。
そんな裏がありそうな僕の言葉にもイーオ様はニコニコと黙って聞いてくれた。イーオ様はいつか行ってみたいですと呟いた。僕は銀婆聖護符をタダで貰ってしまった負い目も合って、咄嗟にいつか案内しますよと言ってしまった。
「本当ですか? 約束ですよ?」
「ええ、いずれ必ず……」
言ってしまったものは今更仕方がない。彼女の思惑に裏がなかったらいつか連れていくことにしよう。
「こんな所にいたのね!」
突然、玄関ホールに聖女様のよく通る声が響いた。二人で声がする方を向けば豪奢な階段の上に腰に手を当てふんぞり返っているカトリーヌさんが居た。彼女の背後にはマリンさんやロアイトさん、先程まで一緒に居た聖子さん達3人も居た。全員集合だ。
聖女様はいつにも増して自信満々で無駄に機嫌がよく見える。あれとやらを返してもらったのだろうか。