第9話 復活
遅めの昼食を取った僕達は真っ直ぐカトリーヌさんのいる五聖殿へと向うことになった。なんでもマリンさんはこの後、僕達を聖都で一番の繁華街に連れて行くつもりだったらしいのだが、急遽カトリーヌさんから念話で連絡がありすぐに僕達を連れてくるように言われたみたいだ。
「ねえさまはせっかち」と文句を言っていたがマリンさんも十分せっかちだと思う。もしかしたらカトリーヌさんに似てしまったのだろうか。
僕の神正氣を食べた翼馬車は周りの他のどの翼馬より速く飛んでいた。あまりのスピードに他の翼馬車とぶつかりはしないかと心配だったが、マリンさんが言うには翼馬同士はかなり距離が開いていてもお互いの位置を察知できるので、衝突する心配はないらしい。
しばらく窓から猛スピードで流れ行く景色を眺めていると、翼馬車が減速し始めた。
「着いた」
僕達3人は顔を見合わせた。なぜならそこには何もないから。
遥か下には建物が何もない荒野であり、上には青く澄み渡った空が広がっているだけである。どこに五聖殿とやらがあるのだろう。
「見てて」
マリンさんが目を瞑り小声で呪文を唱え始めた。
「「「!!?」」」
彼女が呪文を唱え終わると僕達の前方に大きな要塞が現れた。突如出現した島のように巨大な要塞に圧倒されしばし言葉を失う。
「外敵が侵入できないようにちょっとずれた空間にある」
ここは聖都の中でも特殊な場所であるようだ。要塞の外縁には一際高い尖塔が等間隔で5本聳えている。尖塔は赤、青、黄、白、黒とそれぞれの色聖を象徴しているのだろう。
「あれが聖都の中枢である五聖殿。正式名称は“カトリーヌ様が御和す難攻不落にして雅やかな聖なる五色の宮殿”」
僕は誰が付けたか分からないがイマイチな正式名称が気にならないほど圧倒されていた。それ程までにこの空中要塞は鴻大である。何というか、大きさだけでなく存在自体に一種の畏怖のような侵すべからざる神秘性がある。
「ねえさまが待ってる」
静止していた翼馬車が再び動き出し五聖殿へと向かう。上から見る城塞はシンと静かだった。広大な敷地には人の気配はない。
五聖殿はそれまで見てきた聖都の建物とは全く違う趣だ。他の建物は統一されたデザインであったのに対し、ここは時代が違うというか全く別の文化の様式である気がする。全体的に古びており、遺跡のような雰囲気すら感じる。
しばらく城塞の中を進むと中央に一際大きな城があった。この城は五聖殿の中で一際優雅で派手である。ここだけは街中で見た建物と同じようなデザインだ。翼馬車はこの城らしき建物の前に下降した。
「この中にねえさまがいる」
僕達は翼馬車を降りると、城の入口、アーチ状の扉の前に一人の女性がいるのに気がついた。羽衣付きの真っ白なドレスを着ているその人はまるで神の御使いである天使を思わせた。マリンさんが先頭に立ち僕達は天使のような女性の下へ歩いていく。
天使さんは女性としては背が高く、サラサラの長い金髪が純白の衣装によく映えるものすごい美人さんだ。肩と鎖骨を惜しげもなく出し、深めのスリットからのぞく白い足が艶めかしい。彼女は流れるような所作でたおやかに頭を下げた。
「ようこそおいでくださいました、使者様方。カトリーヌ様お付きのロアイトと申します。白琴聖歌隊の隊長も兼任しております。以後お見知りおきを」
「あ、初めまして。野丸嘉彌仁と申します」
「蓬莱天女と申します! よろしくお願いします!」
「菩薩院聖子」
「ロアイトは大聖女とも呼ばれている。“伝説の聖女”であるねえさまの次に有名な聖女」
つまりこの天使な美人さんはマリンさんやスピネルさんと同じく“伝説のおしゃぶり”第三世代というわけだ。という事はマリンさんと同年代であるはずだが、見た目の年齢が全然違うぞ。ロアイトさんは二十代前半に見えるが、マリンさんは十代前半の小学生に見える。カトリーヌさんの外見も十代中頃だ。この差はなんだろう。
チラっと隣のマリンさんを見れば目と目があった。
「む……」
マリンさんが僕を睨みつけた。おお、二人の外見を見比べてしまったことを見抜かれてしまったか。
「ふふふ。聖都はいかがでしたか?」
「はい。見るものすべてが新鮮でとても楽しい時間でした」
「喜んでいただけたようで何よりです。本当はもっとゆっくりしていただきたかったのですが、カトリーヌ様が痺れを切らせてしまいまして……ごめんなさいね。でもこちらに逗留している間はお好きになさってください。我々が面倒をみますので」
「ありがたい申し出ですが今日国に帰るつもりなんです」
天女ちゃんの学校があるので、当初から今回の異世界の訪問は一泊二日と決めてあったのだ。
「まあ……せっかくいらしていただいたのに、それは残念です」
「ロアイト。ねえさまが」
「ええ、全くカトリーヌ様は気短で困るわ。私がお話しているというのに」
「どうかされました?」
「ねえさまが早く連れてくるようにって」
「申し訳ないですけどすぐに来ていただけますか?」
どうやら聖女様から念話で急かされたみたいだ。済まなそうにしているロアイトさんに引き連れられ僕らはカトリーヌさんの居城へと向かった。
アーチ状の扉を抜けるとそこは広く天井の高い玄関ホールであった。西洋の有名なお城のように綺羅びやかで華やかな装飾がこれでもかと施されていた。白で統一された装飾はややゴテゴテしていて少し過剰ではないか。
天井にはカトリーヌさんと思しき聖女の絵が無駄に美形に描かれていた。このお城のデコレーションはおそらくカトリーヌさんの趣味であろう。
玄関ホールの中央にはアリエさんとイーオ様が立っている。彼女達はここに居たようだ。
「カトリーヌ様の御座所には私達と使者様だけでお願いします。申し訳ありませんが従者様方はこちらでお待ち下さい。アリエ、イーオ、従者様のお相手をお願いしますね」
「はっ! お任せを」
「謹んで拝命いたします」
「カトリーヌさんの所に行けるのは僕だけみたいだから、二人とも少し待っててね」
「それでは参りましょうか」
そう言ってロアイトさんが呪文を唱え始めると、僕の下の地面に魔法陣が出現した。昨日今日とお世話になった転移陣だ。ロアイトさんが唱え終わると浮遊感に襲われ視界が暗転する。
「…………」
転移した先は薄暗い部屋であった。いや、部屋なのか? 天井も壁も見当たらず、ただ薄い闇が無限に広がっているように思える。
そんな薄暗い中、僕の前には淡い光を放つ丸い琥珀色の何かが浮かんでいた。直径は3メートル程だろうか。その中にまるで胎児のように丸まって逆さまになっている女の子がいた。ウェーブのかかった金髪で年の頃は15歳くらい。カトリーヌさんだ。
つまり今のこの状態が封印されし聖女様というわけだ。まるで樹液にとらえられ、琥珀に閉じ込められた太古の蚊のようではないか。
カトリーヌさんは全裸であった。しかし丸まっているので、この位置からは大事なところは見えず安心安全だ。後でクレームを付けられる事も無いだろう。そもそもここに呼んだのは彼女だし。
「あのようなお姿で申し訳ありません。何分、厄介な封印をされているので。ああ、おいたわしい……」
ロアイトさんはやや芝居がかった様子でそう言った。やはりあの琥珀が聖女様の肉体を封印しているのか。
――あ……かわ……ず……冴え……ない……おとこ……ね――
おや? 頭の中に何か声が響いたぞ。
――そのような事を仰っては失礼ですよ――
また響いた。この声はロアイトさんか。
――よく連れてきたわね。じゃ、手はず通りによろしくね――
この声はカトリーヌさんだ。
――本当にやるの? ねえさま――
――当たり前でしょ。いい? 私は体から魂が長い間離れていたせいで危篤状態という設定よ――
……もしかして彼女達が念話をしているのだろうか。なぜそれが僕に聞こえるのか分からないけど。
――だから今私は体と魂の療養のため動けないの。でもこの世界は危急存亡の秋でああどうしましょう! 誰かその身を呈して守ってくれる素敵な使者の方はいらっしゃらないかしら! こんな感じで同情を誘ってカミヒトを働かせるのよ!――
――……そんなにうまくいくでしょうか?――
――色仕掛けで誘惑してうまく転がせばいいのよ。コイツもてなそうだから――
――わかった、がんばる――
――マリンには言ってないわよ――
――どうして?――
――はあ……だからこのような大胆な衣装を着るように言ったのですね――
――シェヘラ姉様みたい――
――大聖女と呼ばれた私がこのような浅はかな謀りごとをする羽目になるとは――
――シェヘラ姉様はよくやってた――
――姉さんと一緒にしないでください――
――何をさせようかしらねえ。イーオの逆スパイもさせたいし、残りの大災害獣も浄化させたいし、そういえばそろそろ大瘴海が起きる頃よねえ。他にも色々させたい事が沢山あるのよね。迷うわねえ。ま、全部やらせるんだけどね!――
何だこの企みは。僕をこき使う気満々ではないか。しかもマリンさんとロアイトさんまでグルになって。ちょっと酷くない?
はぁとため息を付いたロアイトさんは覚悟が決まったのか流し目で僕を見た。
「カミヒト様、お願いがあるのです。私の話を聞いていただけますか?」
ロアイトさんが潤んだ目で僕に一歩すり寄ってきた。スリットから覗く長く美しい足に思わず視線が奪われる。
「……お願いですか?」
「そう、お願いです」
また一歩僕に近づく。そっと彼女の長い指が僕の胸に触れた。マジで胸がドキドキ。
「承知しました。そのお願いは僕が責任を持って叶えましょう」
「……本当ですか? それは嬉しいのですが内容を聞かなくてよろしいのですか?」
いきなり快諾するとは思わなかったのだろう。ロアイトさんは拍子抜けしたような間の抜けた顔をしていた。
「ええ、願いは分かっています。カトリーヌさんを癒やせばいいのですよね? 長らく魂が離れていたせいで危険な状態のようですから」
――なっ!?――
「なぜ、それを……?」
聖女様もロアイトさんも驚いておる。まさか自分たちの悪巧みが僕に漏れているとは思いもしていないのだろう。
「この封印がカトリーヌさんの自由を奪っているのですよね? ついでにこれも壊しましょうか?」
「そ、そのような事が可能なのですか!? ぜひともお願いします!!」
――ちょっ!? 待ちなさい、ロアイト! そんな事絶対にさせてはならないわ!――
慌ててる慌ててる。思った通りカトリーヌさんは封印から出たくないようだ。日本に居た頃から、どうも彼女から封印を解くというモチベーションが全く感じられなかったのだが、やはりそうであったか。
――ぜったい、絶対だめよ! そんな事をしたら大変なことが起きるわ!――
「よろしくお願いします、カミヒト様」
――ロアイトーー!?――
聖女様は盛大に慌てている。よほど出たくないようだ。しかし自分だけ安全地帯に居て僕だけに危ないミッションをさせるなんて、そうは問屋が卸さない。僕も面倒な案件を抱えているから、むしろ聖女様を日本に引っ張り出したいくらいだ。
という訳で聖女様の封印を解いてしまいましょう。それができるかといえば試したことはないので分からない。でも多分いけるだろう
聖女様によれば僕は浄化だけでなく封印を解く才能があるらしいし、実際に何件かやってのけた。サエ様が一つ目猿に閉じ込められた社にスルリと入ることができたし、さっきも大災害獣の封印をぶち破って中の魔氣を浄化した。聖女様の封印だって可能だろう。
僕は聖女様を包む琥珀に近づいた。
――くるな~~~!!――
めっちゃ頭に響く。これは僕の頭に直接叩き込んでいるな。だけど僕はその声に気づかないフリをして、そっと琥珀に手を添えた。
――止めなさい! カミヒト! 聞こえてるでしょ!!――
カトリーヌさん、めっちゃ必死だ。これ本当に解いちゃっていいのかな? ちょっと心配になり僕はロアイトさんの方を見た。
「お願いします」
「ついに、ねえさまが復活……!」
よし、ロアイトさんの了解も取れたしやっちゃっていいだろ。僕は両手に神正氣を込めた。頭の中で琥珀が粉々になるイメージをする。
――や~め~ろ~~!!――
「封印解除!!」
神正氣を琥珀に注ぐとピシリと幾筋もの亀裂が走り、どんどん増えたかと思えば弾けるように琥珀は粉々になった。
――あああああ~~~――
聖女様の断末魔が響く。
無事、封印は破られた。ミッションコンプリート。