第7話 聖都へ
「……信じられねえ。マジでやりやがった」
レベルアップした余韻に浸っていると、僕の下へ一番早くやって来たのは意外にもスピネルさんだった。彼は結局、聖都には戻らずメイゲツに留まっていた。
「ああ、お疲れ様です」
晴れ晴れとしていい気持ちだ。なぜだかいつもより世界が愛おしく思える。
「……雰囲気変わったか?」
「気のせいですよ」
「白霊貴族の件といい卑人共やヴァルバードの浄化といい、お前の話を聞いた時は全く信じられなかったが自分の目で見ちまったら信じる他無いよな」
驚き半分呆れ半分といった様子でスピネルさんはため息を付いた。
「こんな事ならアロン教徒共を生け捕りにすればよかったな。そうすれば奴らから情報が得られたんだが」
「そう言えばそちらにもアロン教徒の妨害があったんでしたね。魔人も二体出たとか。そちらの被害はどのような感じですか?」
「死亡者はなんとかゼロに抑えられたが重症者は大勢出た。確かに魔人は手強かったが俺が奴らに当たれられれば被害はもっと少なくできた」
「スピネルさんは魔人と戦ってないんですか?」
「……ああ、あの場には“死地天”と“罰刀”だけでなく“惨終刺”まで現れやがったからな」
アロン教は少数精兵で十一組の集団から構成されているらしい。死地天、罰刀、惨終刺も僕達を妨害した御忍刃矢死と同じくアロン教内のグループであろう。
「言い訳をするわけじゃないが惨終刺の中にやたら強いやつが一人いてな。初めて見る野郎だが、こいつは卑人じゃねえから赤聖魔法のアドバンテージが得られなかった。他の連中と戦う余裕はなくほぼこいつ一人に手こずった。しかも殺すことも捕らえることも出来ず逃しちまった」
卑人とは禁術で魔力が邪氣に変わった人間の事である。邪氣を持つ者は呪術を使うことができ、呪術は非人道的な魔法のようなものであるから、これを使用できる者を侮蔑の意味を込めて卑人と呼んでいるらしい。
「卑人でない者が邪教に入れるんですか?」
「邪教共はアロン教に限らずほぼ卑人で構成されているが例外はある。卑人は知っての通り赤聖が弱点だ。対赤聖魔法使い用に卑人ではない手練を抱え込む事もある。卑人にならず邪教に入信しようって奴は稀だがな」
「確かに明確な弱点をそのままにしておく訳がないですよね」
スピネルさんは赤刀武人衆の長であり対呪術のスペシャリストだ。故に僕達を妨害したアロン教徒の尋問を行ったのも彼だし、捕らえれられた邪教徒の処遇についても詳しいだろう。
「……一つ聞いていいですか? 御忍刃矢死に女の子が居たと思うのですが、彼女はこれからどうなるのでしょう?」
彼女達は聖都へ連行されるという話しだが、その後はどうなるのだろうか。マダコさんが大災害獣を使って僕達を苦戦させたが一歩間違えれば大惨事になっていた。結果だけ見れば大きな被害はなかったが彼女の罪は軽くはないだろう。
「大災害獣を操ることができる奴だな? 確か青の女神の妹と聞いている」
「はい。あの……もしかして極刑になったりします?」
「その可能性はある。だが大災害獣を操ることができるという極めて特異な能力を有しているから利用価値がある事も事実だ。呪術では無いらしいからこの小娘の特有の能力だろう。今尋問しているがダンマリを決め込んでいて全く情報が得られねえがな。ま、カトリーヌの姉貴に任せりゃ大丈夫だろう」
彼の話を聞く限りすぐに死刑というわけではなさそうだ。アリエさんを思えば何とかそれだけは勘弁してもらいたいものだが。
「利用価値があるとは彼女を使って大災害獣を操るつもりですか?」
「いや、そうじゃねえ。あの小娘はあれだけ特異な能力を持っているんだ。必ずアロン教は取り返しに来る。邪教共はどいつもこいつもぶっ殺してやりてぇが、アロン教は特にうぜえからな。いい加減ぶっ潰してぇと思っていたところだ。だがカトリーヌの姉貴から邪神は刺激するなと言われているし、俺も正直邪神に勝てる気がしねえ。だから奴らを深追いする事はできなかったんだが、どうやら俺達に運が向いてきたらしい」
ニヤリと笑いスピネルさんは僕を見た。おや、何やら雲行きが怪しくなってきたぞ。彼はアロン教殲滅のために僕を利用するつもりだ。だがあの邪神と真っ向から対立するなんて冗談ではない。
正式に要請されたらどうやって断ろうかと悩んでいるとドスドスと誰かが近づいてくる気配がした。王様だ。
王様の他には数人の護衛とクライス王子、イーオ様、天女ちゃんと聖子さんも一緒に居た。
「うおおおおおん! 使者さまぁ~!」
王様はそのふくよかな体を揺らしながら号泣している。僕の側まで来ると流れるように土下座した。
「ありがとうございます! ありがとうございます! まさか私が生きている内にこのような奇跡を目の当たりにするとは! これでメイゲツも安泰です。うおおおおおん!!」
王様は豪快に男泣きをしていた。その間絶えず僕に感謝パワーが流れ込んでくる。イーオ様やクライス王子、護衛の人達も同様だ。彼らは片膝を地面につき手を胸に当て最敬礼をしていた。
「カミヒトさん! すごかったです! 格好良かったです!」
「……やるじゃない」
聖子さんは珍しく天女ちゃんと同様に素直に称賛の意を示してくれた。そう言えば彼女に神術を見せるのはこれが初めてかも知れない。
「ああ、カミヒト様……なんて素晴らしいお力なのでしょう。あのような奇跡の御業をこの目で拝見できたこと、末代まで語り継ぎましょう」
「ええ、ええ、イーオ殿の言う通りです。今日という奇跡が起きた日をマンマル王国が続く限り後世に語り続けると約束しましょう」
泣き止んだモント王が立ち上がった。目は赤いし鼻水は垂れ流しだが、テカテカと光る血色の良い顔は晴れやかである。
「そう仰っていただける事、誠に誉れでございます。しかしこれは僕だけの力ではなく皆の力が合わさって初めてできた奇跡なのです。僕だけの功績ではありません」
「……おお。なんという謙虚なお方だ」
僕が謙虚というわけではなく実際にそうなのだ。神正氣の素となる感謝パワーは多くの人から頂いたものだし、この力自体、光の女神様から押し付けられたのだから純粋な僕の能力は皆無に近いだろう。
「少しは自分の行いを誇ったらどう?」
「え?」
聖子さんから思いもしない言葉がかけられた。まるで僕の考えを見透かしたような言葉にうまく返事ができなかった。
「お見事」
王様達とは反対側、僕が先程浄化したリュノグラデウスの卵側からマリン隊長が現れた。アリエさんも一緒だ。
「どうだった?」
「ん。ちゃんと浄化されてた。でもちょっとおかしい」
「おかしい? 何がだ」
「これを見て」
マリン隊長が両手を差し出すと、その小さな手に乗っていたのは白い金属のような見た目のメタリックな卵。大きさは鶏の卵くらいだろうか。これはあれだ。竜頸傭兵団のアジトでジャックさんが見せてくれたヴァルバードの卵と同じだ。
「それはリュノグラデウスですか?」
「そう」
またもや完全に浄化はできていなかったようだ。おかしいな、浄化の為の神正氣は充分足りていたと思うんだけど。
「浄化が不完全でしたか。もう一度やってみるので貸して下さい」
「ううん、浄化は完璧にできている。この卵からは魔氣は全く感じない。むしろ神聖な気さえ感じる」
「あん? じゃあ、何なんだそれは」
「わからない。ただこれがリュノグラデウスであった事は間違いない」
確か聖女様の話では大災害獣は“原初の魔物”が5つに分かれた物であり、純粋な魔氣だけでできている魔物であるので、浄化が成功すれば跡形も無く消滅するはずだ。しかし、実際にはリュノグラデウスだった卵はサイズこそ掌に収まるほど小さくなったが、確かにそこに存在している。マリン隊長の言う通り魔氣の浄化が完璧であれば理屈に合わない。
「もしかしたら私達は大災害獣の認識を間違えているのかもしれない」
「……一応この事はこの場にいる者たちだけの秘密だ。他言はするなよ?」
僕達は皆、黙ってうなずいた。
王城の地下、床一面には大きな魔法陣が敷かれている。メイゲツと聖都を繋ぐ転移陣である。2、30人くらいは余裕で入りそうな大きさだ。これから僕達はここから聖都へ向う。
「本当にもう行ってしまわれるのですか?」
王様の顔には名残惜しさが表れていた。この前にももう少しメイゲツに滞在してほしいとしきりに言われた。
「僕としてももっと街を見て回りたかったのですが、何分予定が詰まっているもので」
「うーむ……残念ですなあ」
「メイゲツなんていつでも来られる。早く行く」
せっかちなマリン隊長は別れのちょっとした挨拶でも無駄に感じるらしく、何度も僕達をせっついた。
聖都へ行くメンバーは僕達日本組3人と、アリエさん、イーオ様とお付きの部下達、マリン隊長、スピネルさん、ヒガンさんを含めた何人かの赤刀武人衆、そして捕らわれたアロン教徒だ。
アロン教徒の4人は目隠しに猿ぐつわ、両手は鎖で雁字搦めに縛られていた。アロン教徒一人に付き、左右から赤刀武人衆が二人がっしりと固めている。
アロン教徒と共に闘ったヒガンさんは重傷であったが命に別状はなく、今は治癒魔法のおかげでピンピンしている。無事なようでなによりだ。
「近い内にまた来るのでその時はよろしくお願いします」
僕には白い鳥居があるのだから一度訪れた場所には簡単に来れるのである。
「必ず、必ず来て下さい! いつまでもお待ちしています!」
リュノグラデウスを浄化してから王様はずっとこんな感じで僕の熱狂的なファンのようになっている。
「よし、じゃあ行くぞ」
スピネルさんが最初に転移陣の上に乗り、続いてアロン教徒を率いた赤刀武人衆の面々が乗る。彼らに続き僕も転移陣に乗ろうとしたが、マリン隊長に服の裾を掴まれ止められた。
「マリン隊長?」
「私達は朱南門から行く」
「はあ? 何でんなめんどくせえ事するんだよ? 五聖殿に直接行けばいいだろうが」
「カミヒト達は聖都は初めて。街を案内しながら五聖殿に行く。スピネルは先にねえさまに報告して」
どうやらマリン隊長が気を利かせてくれたようで、僕達は聖都を観光できるらしい。やったね。聖女様が日本に居た頃、しきりに聖都自慢をしていたものだからとても楽しみだ。
「……はあ。じゃ、先行ってるぞ」
「私達もスピネル様と一緒に行きますね」
アリエさんやイーオ様御一行も五聖殿とやらに直接行くみたいだ。先に聖都に行く先発隊が全員転移陣の上に乗れば、ほのかに光っていた魔法陣が輝きを増した。スピネルさんが何かブツブツと唱えると彼らの姿は一瞬で消えた。
「次は私達」
マリン隊長に促され僕達は魔法陣の上まで歩いた。僕達が乗ると先程と同様に魔法陣が輝きを増す。すると突然入り口の扉が勢いよく開けられ、クライス王子が入ってきた。だいぶ急いでいたようで息を切らせている。
クライス王子は手にバラのような花束を抱えており、服装は向こうの世界でいう結婚式で着る白いタキシードのような衣装だった。こちらの地下室まで移動する途中で居なくなったかと思ったら着替えていたのか。
「待って下さい!」
「クライス!」
王様がたしなめるがクライス王子は無視をして転移陣の中へ入り僕達の前まで来た。彼の格好からこれから何をするか大体予想できてしまうな。
クライス王子は天女ちゃんの前で片膝を付くと、バラのような花束を天女ちゃんに差し出した。まあ、予想通りだ。
「アマメさん、私の妃になってください! ひと目見たときからあなたの虜になってしまいました。もう、あなた無しでは私は生きられない! どうか受け取って下さい!」
予想通りプロポーズである。予想通り過ぎて何だか笑ってしまいそう。
「ごめんなさい」
「な、何故ですか!?」
天女ちゃんは即答である。クライス王子はまるで予想の正反対の言葉を言われたかのように狼狽えている。いや、昨日頑張って口説いていたけど、全然手応え無かったでしょ。
「クライス! 無礼だぞ! 使者様の従者殿にいきなり求婚など!」
「無礼は承知です! 父上、ここが私にとって人生の重要な岐路なのです! どうかご寛恕を!」
「クライス!」
「アマメさん! 結婚に抵抗があるならまずは婚約からお願いします! 時間を掛けてゆっくり二人の絆を育んで行きましょう!」
「ごめんなさい」
「ど、どうしてですか!? アマメさん!」
「私には生まれた時からの目標があるんです。それに今、学校がすごく楽しいですから」
あっさりと断られたクライス王子は両手を地面に付きガックリと項垂れた。僕から見て勝算はかなり薄く見えたのだが、何故彼はイケると思ったのだろう。
マリン隊長がクライス王子の下へ来て、彼の肩に優しく手を置いた。表情の薄いマリン隊長であるが、その顔はどことなく慈愛を帯びているように思える。彼女はクライス王子が赤ん坊の頃から知っているので、きっとお婆ちゃんのような心境なのであろう。
「クライス、今のあなたは全然だめ。話にならない。もっと男を上げてからにする。それ以前に常識を身につける。率直に言えばすごく気持ち悪い」
勘違いであった。全然慈愛などなかった。歯に衣着せぬ物言いでクライス王子の心にダイレクトアタックだ。
クライス王子は歩く気力が無いのか護衛の兵士達に抱えられ転移陣から出ていった。打ちひしがれたその後ろ姿は見るも哀れである。
「倅が大変失礼しました」
「気にしない。若気の至りは誰にでもある。モントにも身に覚えがあるはず」
「それは……そうですが……」
「もう行く。これ以上時間は無駄にできない」
マリン隊長が小声で呪文を唱え始めた。
「短い間ですがお世話になりました。いずれまた来させていただきます」
「絶対ですぞ! 使者様、此度は誠にありがとうございました。この御恩は一生忘れませぬ」
視界が暗転すると、僕は一瞬意識が奪われるような感覚を覚えた。
転移した先は屋外であった。前にはでっかい赤い門が見える。キョロキョロ辺りを見渡せば僕達は驚きを禁じ得なかった。
なぜなら視線の先には雲があるから。
上を見ているわけではない。まっすぐ視線の先に大空が広がっていた。
「……もしかして浮いてる?」
聖子さんがボソッと呟いた。
「その通り。聖都は空中都市。別名は空の聖域。ここは聖都の端っこ。朱南門からの景色は格別」
マリン隊長が門とは反対側の柵のある方へ歩いていくので僕達は付いていった。柵の高さは僕の胸の程で、人が空中都市から落ちないように外縁を一周巡っているようだった。
マリン隊長が柵の外側を指し示した。僕達は彼女の示す方向を見てあまりの光景に絶句した。
「ふあ~、すごいです!」
「……絶景ね」
聖都の下に広がっていたのは青々とした山脈だった。果てまで続く山々の連なりは自然の力強さをこれでもかと主張している。谷を滔々と流れる豊かな大河はどこまでも澄んでいて、キラキラとまるで銀河が流れているよう。
そんな光景を雲より高い位置から眺めると、自然の畏怖という神秘が全身に染み込んでくるようだ。僕は自身の内に形容し難い感情が湧き上がってくるのを感じた。
圧倒される僕達を見てマリン隊長はどこか嬉しそうだ。
「私はここからの景色が一番好き」
ここはマリン隊長イチオシのビュースポットであるようだ。
「こんな素晴らしい景色は見たことありません。マリン隊長ありがとうございます」
「あなた達は大事なお客様だからこれくらいは当然。ようこそ聖都ホシガタへ。我々カトリーヌ教一同は使者様御一行を歓迎する」