第3話 縁雅の守り神
体を清め案内された中庭は非常に広くすでに儀式の準備が整っているらしく、雅楽衣装を着た伶人が左右に10人ずつおり各々の楽器をもって座っていた。雅楽衣装は海松色と呼ばれる日本の伝統色で茶みを帯びた深い黄緑色だ。
中央には神楽鈴を持った巫女さんがこちらに背を向け座っている。巫女さんの先には朱い大きな鳥居があり、こちらの鳥居にも白い蛇が絡みつく装飾がなされていた。その鳥居の先にはでかい石がいくつも折り重なって上部は台のようにきれいに平面になっており、まるで石舞台古墳のように神秘的な様相を呈していた。
「ここからは一言も声を漏らさずにしてください。さあ、こちらへ」
男達に先導され白い砂利が敷かれてある中庭を歩く。巫女さんの一歩手前には人1人が座れるほどの大きさの、置き畳みたいな厚いござのような物が敷かれていた。このござに正座するように指示された。
僕が座ると巫女さんが立ち上がり振り向いた。巫女さんは驚いたことに縁雅千代さんだった。どうやら彼女がこの儀式の主役を務めるらしい。
縁雅千代さんが神楽鈴をシャンと鳴らした。それを合図に伶人たちの演奏が始まる。曲に合わせて踊る千代さんは慣れているのか、いつぞやのお祭りの時の天女ちゃんよりも滑らかで見事に舞っていた。僕は黙って彼女の舞をみていた。
10分ほど演奏していただろうか、音楽が鳴り止むと、どこからか別の巫女さんが朱塗りの杯を抱え千代さんの下へとやってきた。巫女さんから杯を受け取った千代さんが僕にそれを渡した。朱塗りの杯には水が湛えてあった。これは飲めということか。
僕は一息に飲み干した。味はまあ、普通の水だ。
「ここから鳥居の先は神域となります……。くれぐれもご無礼のないように……」
か細い声で千代さんが言った。もう儀式は終わったらしい。僕は千代さんに促され鳥居の前まで来た。いよいよハクダ様とご対面だ。鳥居の先には巨石で構成された台座がある。
僕は緊張で喉を乾かしながらも一歩を踏み出す。鳥居を超えると空気が一変した。超越神社のような清涼さと静けさに満ちており、紛れもない神域である。そして視線の先、石の台座の上には大きな白蛇がとぐろを巻いて鎮座していた。
思わず気圧される。真っ白な鱗は造り物かと思われるほど美しく、こちらを見据える赤い目はまるでルビーのような力強さ。全身には神正氣が満ち満ちており、その巨躯も相まって畏怖と尊厳をその身で体現しておられる。この方は紛うことなき神である。それも極めて強力な。僕は自然に跪いた。
「よく来たね」
男とも女とも取れない中性的な声は澄み渡るほどよく通った。僕は平伏したまま挨拶する。
「お、お初にお目にかかります。野丸嘉彌仁と申します」
「知っているよ。なにせお前を呼んだのは私だからね」
その声からは何の感情も読み取れない。ハクダ様の想像以上の神性さに僕は萎縮してしまっていた。
「その態度は殊勝なことだが、そんなに縮こまらなくたっていい。お前も私と同じ神なのだから」
「はあ……」
「立ったらどうだ?」
「失礼します……」
僕はゆっくりと立ち上がると、上から見下ろすハクダ様とバッチリ視線があった。やっぱりどうしたって萎縮してしまう。相手はティタノボアより大きな蛇である上に神様なんだから、人間である僕がビビってしまうのも仕方がないだろう。
「お前をここに呼んだ理由は2つ。尋ねたい事と伝えたい事があるからだ」
「左様でございますか……」
「まず、アレは何だ?」
赤い瞳に射抜かれた僕は文字通り蛇に睨まれたカエル状態である。マジ怖い。
「アレとは……?」
「お前に力を与えた何かだよ。ここでお前はアレに神にされたんだろう?」
アレって光の女神様のことか。たしかに僕はおみくじと、光の女神様から伝言を授かった天女ちゃんに誘導されて縁雅神社までやってきた。
「一応女神だと言っていましたが……」
ついでに天女ちゃんに負けないほどの美女だとも。光っていたから全く分からなかったが。
「神であることは理解している。だがアレは異質すぎる。あんなモノは今まで見たこともない。この世界の神ではないだろう?」
「それが僕にもよく分からなくて……。あの時が初対面でしたので……」
ハクダ様からイライラが伝わってくる。どうやら得体のしれない光の女神様にお怒りのようだ。
「私の縄張りに勝手に入って来てこちらの了解も得ないまま得体のしれない空間に繋いで挨拶もしないまま消えて。一言文句を言ってやろうとしても全く痕跡を残さず、ヤツの気配を負うことも出来ない。なにが『ちょっと借りるね』だ。由緒ある古の神であるこのハクダに向かってあんな無礼な振る舞いをした奴は初めてだよ。ああ、腹立たしい」
のべつ幕なしに文句を言い立てるハクダ様はよっぽど腹に据えかねたようだ。
「それでヤツの眷属であるお前にあの無礼者の所在を聞こうと言うわけさ」
そんな事言われても僕だって勝手に呼ばれて勝手に神にされたわけだから、光の女神様の居場所なんて知るはずもない。
「わかりません……」
「嘘を言えばただでは済まないよ」
「ほ、本当です……」
ハクダ様から脅迫に近い威圧が放たれる。僕をじっと見据える赤い目に心の奥まで見透かされている気がした。見つめ合う蛇とカエル。しばらくしてからハクダ様が呟いた。
「……どうやら嘘は言っていないようだね。お前からはヤツとの縁が感じられない」
何をされたかよく分からないが疑いは晴れたようだ。
「ありがとうございます……」
「まあ良い。どうせ大した成果は得られないと思っていたから。さて、ここからが本題だよ」
ハクダ様は相変わらずとぐろを巻いたままだが、その雰囲気から居住まいを正したように感じた。これから話すことはそれほど重要なのだろうか。
「一度しか言わないからよくお聞き。これから話す事は零源家に纏わりつく呪いについてだ。とはいえ大したことは言えないが」
「……もしかして五八千子ちゃんの呪いの事ですか?」
「そうだ。零源の巫女に現れる呪いだ」
思いもしない話題に虚をつかれた。驚いている僕に構わずハクダ様は語り始める。
「まず、この呪いは千年前の堕ちた神によるものだ」
一言終えると突如ハクダ様の胴体にまるでかまいたちに斬られたかのように切り傷ができた。パックリと空いた傷から青い血が流れる。できたての生々しい傷は見ているだけで痛々しい。それでもハクダ様はなんら気にした様子を見せず話を続けた。
「この堕ちた神を零源灼然が封じたためにあの小僧の一族は呪われる事となった」
また一つ皮膚が独りでに裂かれ傷ができた。
「あの……!」
僕はたまらず話を遮る。一体ハクダ様に何が起きているというのか。
「いいから黙って聞きな。この呪いは灼然の力を滅せんとしている。それ故、灼然の力が色濃く出る零源の巫女達は例外なく呪われる」
また一つ傷ができた。
「堕ちた神は復活を目論んでいる」
「故に自身にまつわる情報を隠匿するためこの世界すべてに呪いをかけた」
「どんな些細な事でも堕ちた神の事を口にすればこの通り呪いがかかる」
「言葉だけでなくどのような手段でも伝えることは出来ない」
「この呪いは人間に耐えられるものではない」
「零源に灼然の力を継いだ男子が生まれないのは堕ちた神による呪いだ」
「堕ちた神の真に近づくほど呪いは強くなる」
ハクダ様が喋る毎にどんどん傷ができていった。目の前で起こっている呪いによる現象とハクダ様が話す内容に僕は混乱するばかりだ。
「そしてこの呪いは伝えた者だけでなく伝えられた者にもかかる」
すでにハクダ様の全身は血だらけである。っていうか最後にサラッととんでもない事を言ってないか? ハクダ様はフゥっと一息ついた。
「……零源の小僧の言う通りお前は呪いにめっぽう強いみたいだね。私でさえこの有様なのに、お前には何一つ呪いの力がかかっていない。お前が規格外というのは本当みたいだ」
結果として僕には何もなかったがそういう事は先に言ってほしかった。呪われるだなんて冗談ではない。
「あの、お体は大丈夫ですか? 一応体を癒やすことはできるんですが……」
全身に切り刻まれた傷から出る青い血は止めどもなく溢れ、ハクダ様の純白の鱗を覆っている。見ているこっちが痛くなる。
「不要だ。この程度で尻の青い成り立ての神に縋るほどこのハクダは落ちぶれちゃいないよ」
「そうですか……」
「この傷を含めてすべて零源の小僧に貸しさ。あの小僧に頼まれたわけだからね」
どうやら灼然さんが裏で動いていたようだ。五八千子ちゃんの呪いについて僕に教えるために神であるハクダ様を頼ったのだろう。これは灼然さんが僕に期待しているということか。しかし、零源家の呪いは想定以上に厄介ではないか。目の前のハクダ様の惨状を見ても、呪い元が堕ちた神という事実を考えてもやばい匂いしかしない。
「解っていると思うがお前に呪いが効かなくとも、今言った内容を他の誰かに話せばその者は死ぬよ。さて、言いたいことは全て言った。もうお帰り」
「あの! ハクダ様にお願いがあるのですが」
「お願い? なんだいそれは」
ハクダ様は面倒くさそうに言った。だが僕の用はまだ終わっていない。このまま帰る訳にはいかないのだ。
「実はハクダ様に断ってほしい縁がありまして……」
「……なるほど。確かに先程お前にかかる縁を辿ってみたが悪いものもいくつかあったね」
「ええ、そうなんです。お願いできますか?」
「タダでは嫌だね」
「……僕にできることなら何でもしますが」
「断ってほしい縁はどのモノだい? それによるね」
「ええと、昨日あった邪神なんですが」
ハクダ様は目をつむるとじっと動かなくなった。僕は黙って待っている。
「黒い髪の娘かい? 確かに禍々しい神性を持っているね。それもとてつもない力を感じるよ。だが妙だね。これほど強い神なのにその存在が薄い。これは相当な距離があるのか? いや、距離というよりも全く別の時空に居るような……」
ハクダ様が縁をどのように感じているか分からないが、恐らく異世界と地球の間の縁という物の在り方は従来とは異なるのだろう。
「……お願い、できますか?」
「やれることはやれる。ただ、条件次第だね」
「その条件とは?」
無理難題を言われなければいいが。
「私の氏子達の為に働くことだ」
「氏子と言うと縁雅家の人々ですか?」
「そうだ。詳しく言えば縁雅に累をもたらす厄を祓い、子孫繁栄の為に尽力してもらう」
「今何か縁雅家に問題が?」
「今は特にないよ。何かあったらということさ」
将来、縁雅家に危機が起こったときに力を貸せというわけか。まあ、この条件ならそんなに無茶苦茶でもないんじゃないか。
「承知しました」
「ではここに契約は成立した。言っておくが、神と神同士の契約は一方的に反故にすることはできないよ」
「はい」
ハクダ様が再び目を瞑った。
「これでお前と邪神の縁は切れた。とはいえ、これも完璧なものではない。再び相まみえれば縁という物は復活する。もう近づかないことだ。そうすれば邪神の脅威にさらされる事はないだろう」
「もう終わったんですか?」
「疑うのかい?」
「い、いえ。とんでもございません……」
だってこんな簡単に縁が切れるものとは思わないじゃん。怖いから睨むのは止めてほしい。
「約束を忘れてはならないよ。さあ、もうお帰り。私は疲れたよ」
「すみません、邪神との縁が繋がってしまった人がもう一人居るんですけど、その人もここに連れてきていいですか?」
何の因果か、聖子さんも邪神に気に入られてしまったようなので彼女もハクダ様にどうにかしていただきたいです。
「まだ願いがあるのかい。強欲なやつだね」
ハクダ様は呆れたように言ったが、彼女を放って僕一人だけ安全圏に居るわけにはいかないのだ。
「申し訳ありません。追加の借りということで、ここは一つお願いします」
「……その者の名はなんという」
「菩薩院聖子さんという人です」
ハクダ様の目がうっすらと薄くなる。何かを考えている様子だ。
「菩薩院の巫女の事は知っている。菩薩院の事情もね。故にその者をここに連れてくるわけにはいかないだろう?」
事情というのは分からないが、聖子さんは菩薩院家の意向により超常現象に全く関わらせておらず、彼女はその存在すらも知らされていない。だからハクダ様の下へは連れて来るのは菩薩院としてはご法度なのだろう。まあ、異世界の事は知っちゃったんだけど。
「何かいい方法はありませんか?」
「あそこの神とは古い知人でね。今は正気を失ってしまっているが、それでも私が菩薩院の領域に茶々を入れる訳にはいかないんだよ」
「どうにかなりませんか?」
「……氏子たちに私の力の籠もった守刀を用意させよう。それを肌身離さず持っていれば私の加護が働くよ」
「ありがとうございます!」
太っ腹じゃないかハクダ様。最初は怖かったけど、水晶さんの言う通り優しい神様なのかもしれない。
「この貸しは大きいよ? さあ、今度こそお行き」
「はい。失礼します。ハクダ様、本当にありがとうございました」
ハクダ様は尻尾でシッシと僕にさっさと帰るように促した。僕は鳥居をくぐり元の中庭に帰還した。