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由緒正しき巫女装束ではありません(弍)


 滑落の際、カヲルは千を庇い背中を擦りむき、打ちつけた右足を折っていた。なんとか上半身を起こし岩肌へ預けたが、とても歩けそうにない。


「どうしてすぐに言わないんですか! 護符を貼ります!」

「無駄だ。さきほど話しただろう。呪術は使えない」

「そんな……」

「微かな霊気すら感じない。こんな場所は初めてだ。なんなんだ一体」


 カヲルほどの陰陽師が惧れを抱くとは、由々しき事態である。


「そう落胆するな。半刻もすれば助けがくる」

「この世界の半刻ってどの程度ですか」

「一時間」

「待てませんね」

「待たない。一時間のあいだに遭難した妖をあぶり出すぞ」

「大怪我ですよ? お務めだなんて言ってられませんよ!」

「千。為事しごとは、為事だ。悪いが、腰の巾着を取ってくれ」


 不本意ながら腰をまさぐる。幸いすぐにみつかった。紐をほどき巾着の口を開けると、石と小瓶、それから紙包が出てきた。

 


「石は火打ち石。瓶の中身は油だ。燃やせるものをなにか持っていないか」

「残念ながら、漫画は置いてきてしまいました」

「持ってきていたとして燃やさんわ。袴を脱ぐから手伝ってくれ」


 これ以上、殿方の下半身に手をかけるのは、生娘には難しすぎる。


「い、いや、そんな高そうな金ピカ袴燃やせませんよ!」

「これだけ破れて汚れちゃ、価値などないだろ」

「私の心がすたれます!」


 千はカヲルから離れると、己れの紅袴をバサーッ脱いだ。


「なあに、この音。衣擦れ? なに脱いでんの? 俺から離れるなよ!」

「今は離れていたほうが安全な気がします」


 とはいえ、恐怖は背後で手を広げ待っている。

 千は紅袴に油を染み込ませると、慣れた手つきで火打ち石を打った。

 数秒たたずに火花が見られると思っていなかったカヲルは、嘆声をあげた。


「やだ、カッコいい……」

「貧しいもので」


 国に電気をとめられ、単三電池さえも切らしていた不知火神社の境内に灯りを点したのは他でもない、千である。


 小さな火花だけでも救いだったが、化学繊維を含んだ袴は脂ののった肉みたいに火柱をあげた。


 向かい側にぼんやりと、血みどろで目をぎらつかせたカヲルの顔が浮かび上がる。顔立ちがよすぎるので、サイコパスにしか見えない。


「どうか冷静になってください」

「俺は終始冷静だった。だが俺は知らない。下衣をはかない女がこの世に存在するなんて」

「とても貧しいもので」


 千が身に纏っている巫女装束は、ハロウィンを過ぎた十一月ごろに、コスプレショップのワゴンセールで見つけた掘り出し物だ。肌着は上衣だけで、上から羽織る白衣も太もも半分までの丈しかない。


「いやいや、制服のスカートと変わりませんよ」

「言われてみれば確かに」


 納得して肯いたはずの首が、横にねじれた。火柱の奥で、千のやわ肌が赤らんでいく。


「いや制服とは異なる、言い知れぬこの興奮と背徳感はなんだ」

「私に訊かれても」

「隙間という隙間に手を入れたい」

「もうやだこの陥落皇子」

「さっそく呼んだから、押し倒していいな?」

「重症で残念でしたね。それで、これからどうしますか?」

「巾着に紙包が入っていただろう。試しにひとつ炙ってみてくれ」


 紙包を火にかざす。


「あつっ」


 一瞬で煙幕となり、辺りへ散った。同時にツンと鼻を突く香り。いやじゃない。


「……お腹空いた」


 いつもなら、ふりかけごはんをかっこんでくるのに今日に限って朝からなにも口にしていない。千は後悔した。どうせなら、じいさんに握ったおにぎりをコロコロせず、頂戴してから行くのだった。そうだ、焼きおにぎり。香ばしい魅惑の塩分を、たっぷり塗った──。


「しょう油だ!」

「香の効果はあるみたいだな。よかった」

「なんですか、このマッチ売りの少女みたいな作用は。中毒性がありますね」

「母上が香合わせをしたものだ。鼻を惑わせあらゆる幻を創りだす。身体には無害だが心を狂わす、この闇のような異能だ」

「なるほど危険です。もう一包キメましょう」

「腹が減るだけだぞ」


 次の包みは、千を殺しにきた。


「おさとう……! 焦げた、きゃらめる。これはまさに、キャラメルポップコ────ン!」

『はあ、はあ、私にも、どうかひとつ』


 千の目には、空っぽのざるを持ったじいさんが見えた。幻覚かと、目をこするが消えない。


「じいさん、こんなとこでなにをしている」

『足を滑らせてしまってな。手持ちの小豆も底をつき、飢え死にするところじゃった』

「そうなの」


 ──ん?

 じいさん、本殿にこもっていたのではなかったか。

 カヲルが口を挟む。


「遭難していたのは小豆洗いだったのか。よかった、無事で」

『あれまあ、こりゃあ皇子さまじゃねぇか。久しぶりだな』

「小豆洗い……? 遭難中の妖怪か!」


 じいさんじゃなかった! 寸分変わらぬ毛量!


「とにかく、みつかってよかったです」

「暗闇に光が浮かべば、虫でなかろうと集まる。腹の空く香りは、ネコの警戒心も解くだろう」

「さすが師匠、あとは助けを待つだけですね」

「ああ。千、こっちに来い。もうすぐ火が消える」


 千の紅袴はすでに消し炭。燃えかたが激しいぶん、燃え尽きるのもはやい。


『ワシは?』

「もう慣れたもんだろ」


 しょんぼりした小豆洗いを尻目に、千はカヲルの左脇へ移動した。カヲルは左腕の力だけで、千を強く引き寄せた。そんなに力を入れたら、傷が痛まないか心配だ。だが千は拒まなかった。間もなく訪れた闇──。


「今日は千に助けられた。ありがとう」


 髪にかかる息が憂わしげで、胸が締めつけられた。


「私のせいで、こんなに怪我をしたのに」

「そうだったか? では後で酒でも継いでもらおうか」

「お酒ははたちになってから!」

「うーん。では、膝枕でどうかな」

「それくらいなら……」


 しばらくして、縄のようなものが三人の身体に絡みつき、優しく引き上げていった。陰陽寮から派遣された救助隊かと思っていたが、違うらしい。

 美しい妖怪、毛女郎が小豆洗いを引き取っていったという話しを聞いたのは、千が目覚めた夕暮れどきのことだった。



 見慣れた天井に、邸の御帳台だと気づく。

 目はすぐに冴えた。カヲルの血の感触を、手が覚えていたからだ。

 起きあがろうと横に身体をむけたところで、声がした。


「そろそろ……、起きるころかしら」


 若い娘の声だ。

 几帳の隙間から見える、その娘は手に御膳を抱えていた。配膳などするはずもないような、高貴な袿を肘までめくり、テキパキと並べていった。なりと居住まいは姫君のようだが、去り際に見た横顔は幼く、絵画のように美しい。


 美味そうな出汁の香りが帳の奥まで届いたが、千はしばらく動けずにいた。


「にゃお」

「ひゃっ」


 頬にざらりとした舌の感触が走る。ミケだ。千はカヲルが裂け目でそうしたように、ミケを強引に抱き寄せた。


「カヲル、無事かな」


 命に別状はないが、貺都の不思議な力で一体どれほどの治療が可能なのか。縁には膳がふたつ並んでいるのだ、きっといつもの間抜け顔で、声をかけてくれる。


「……、ふっ」


 千は息を殺して泣いた。

 カヲルが裂け目で話した過去には欠落がある。

 千は知っている。貺都の歴史は人知れず、不知火神社の本殿に祀られた絵巻に描かれる。特に絵巻の最後、今代の皇帝の物語は不知火家に関わる謎が多く、一言一句覚えていた。

 


 ──第二皇子は皇帝に身命を賭す誓いの印に、自ら右大臣の首を刎落した。



 そしてカヲルは、決して傍観者などではなかった。そこに行き着くまで、たくさんの困難があった。御所を護るため自ら立ち上がり戦った。親友であり、恋敵でもある春宮のために。義弟のために。最後は自分の手を汚したんだ。

 ミケが溢れた涙を舌ですくう。


「ありがとう、ミケ」

「にゃーお」

「……っ、今すぐ、カヲルを抱きしめてあげたいよ」

「にゃ!」


 それならばと、ミケはスクッと立ち上がり脱兎のごとく几帳の裾から出ていく。ぎゅう、と抱きしめようと寄せた腕が空振りし、為方なく千は起きあがった。


「千〜、飯が冷めるぞ〜」


 知らぬ間に縁にカヲルが座っている。千は飛び起きると滑るように帳台を降り、カヲルの背中に抱きついた。


「師匠……! ご無事で!」

「チチ、待っていたぞ。さっさと食べて膝枕だ」

「チチじゃないけど、約束は約束です」


 ちなみに、千の袴は塵となり戻っていない。

 カヲルは思いがけず生の太ももに頭を預けることとなり、千はというと、膝枕を始めてようやく己れの醜態に気付いたが、拒むに拒めず。

 双方我慢比べの夜であったことは、互いに知らない。


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