パンチラに夢を詰め込みすぎです(弍)
長老の邸へと連れ込まれ千は今、すり傷だらけのスネに御札をぺたぺた貼られている。敷居隔てた差し向かいの縁側には子供達が集い、行儀よく並んで柿を食べていた。
のどかだ。
「この御札はなんですか。邪気払いのひとつですか」
丁寧に護符を貼っていく、カヲルの真剣な眼差しに問いかける。
「治癒符といって、精霊の力を拝借する呪具だ。嫁入り前の肌に傷をつけてはいかんからな──、よし」
「わぁっ、凄い!」
護符を剥がせば綺麗さっぱり傷が消えてしまった。
「医者いらずですね」
「この程度ならな」
「教えてください!」
「ああ、もちろんだ。お前には立派な助手になってもらわんとな」
脚に傷が残っていないか念入りに調べるカヲルの顔は下を向いたまま戻ってこない。
千は、樹木子に宙吊りにされた自分を思い返し、胸が痛んだ。囮役だとは聞かされておらずとも、今日も何もできなかった。助手どころか識神にもなれないのに、こんなに情けない自分をカヲルは責めたりしない。
これ以上足手まといにならないためにも、しっかり教示を受けなくてはと思う。
「とりあえず、脚なでまわすのやめてもらえますか気色悪い」
「はっ──、すまん。つい」
「子供がみてますよ」
「俺は気にしない。視姦大歓げ──、ぶっ」
師匠を崇めたい手が、勝手に平手打ちを繰り出していた。
「従順な弟子のままでいたいので、さっさと今日の件をこと細かく説明せんか、お師匠さま」
「平手打ちに、生足で首絞めとは、まったく尊んでおらんだろ。まあ、いいけど」
このまま話そうかと、幸悦とした笑みを手向ける。千は軽く締めていた首を、今度はかかとで落とした。頭がめり込み畳から煙がでる。童子たちは「こびとこわい」と、半泣きで逃げ出した。
のどかじゃない。
カヲルはしばらく悶絶していたが、首に護符を巻きつけるとすぐに居直り、語りだした。
「本来の依頼はタンコロリンの退治だった。
村を囲う柿はとても食べきれる量ではなく、落ちた柿は腐り、カラスが集まる。夕暮れ時にはタンコロリンが村を襲いにやってくるから、柿林を隔てた向こう側にある稲畑へ行けない。このままでは柿だけでなく、畑の作物が腐ってしまう」
その話を初秋に聞いていたカヲルは、村の柿を刈り取り、村人には干し柿の作り方を伝授した。
「それで終わるはずだった。どうだ、怒りは鎮まったかとタンコロリンに問えば、今度はあちらさんから話しをもちかけられた」
タンコロリンは、村の柿が腐り落ちていないか見回りながら、ひとつ気がかりがあった。
それが村に根を生やす大木。樹木子だった。
「古くは鬼の社木でな。鬼は昔、村に住む生娘を生け贄に生を長らえていた。その時代の陰陽師が鬼を退治したのだが、運悪く社木が鬼の血を吸っていた。幸い村には今、童子しかいないが、いつか成長したその血を嗅げば樹木子に化ける危険があった」
「化ける前に切ったらよかったのでは」
「そんな簡単な問題ではない。千年樹である社木を壊しては木霊が怒り、村が祟られる危険がある。そこで千、お前の出番だ」
「わたし?」
「樹木子の血の循環には周期がある。生娘を求め、鬼血を集めた裾の枝を断ち切れば、宥和する」
「つまりは、生け贄ってことですね」
カヲルがわかりやすく顔面に手のひらをかざす。まだ拳をにぎっていないぞ。
「なぐらないのか」
「お望みならいくらでも」 ぶんぶん首を横にふる。
「その、辛抱させて悪かったな。おかげで鬼血は抜けた。たとえ残っていようと枝切り名人のタンコロリンが切ったんだ、千年は落ち着くだろう」
「まあ、少しは役に立てたなら、よかったです」
「少しなもんか。千、お前なくしてはこの務め、成し遂げられなかった。感謝する」
カヲルが千の手をにぎる。
千もまた、握りかえした。今日は師匠のお役に立てたんだ。素直に嬉しい。
「こちらこそ助けてくれて、ありがとうございます」
「何を言う。村は平和、千の生娘が確定。まさに一石二鳥ではないか」
「ありがとう、返上!」
制服は巫女装束より身軽だ。かかと落としをまともにくらったカヲルの首は、コロコロ転がり庭で潰滅した。
「その治癒符ってやつ、まだ効き目あるといいですね!」
千はひとり、馬を走らせ先に邸入りすると、すぐに御帳台へ上がった。なにしろ昼寝のなかった一日の終わりは、くたびれ果てている。今日に限って寝間着に着替えることもせずに、布団をかぶった。一度入ったら出られない安眠布団だ。制服のプリーツがシワをつくり、またアイロンがけを余儀なくされる。
着てくるんじゃなかった。
千は、じくじたる思いで丸くなった。終始晒しものであったし、無防備だった下肢が冷えきっているのがわかる。
「カヲルも、きっとがっかりしてた。制服って、こんなもんかって」
当たり前だ、漫画に出てくる四肢の長い女子高生といっしょにしないで欲しい。ただでさえクラスメイトにゴミとしか認識されていない底辺だというのに。
「ひゃっ」
太ももにザラリとした生温かい感触が走る。いたずらっこが布団に入ってきたなと、両手で脇をつかんだ。
「ミケたーん! くすぐったいでしょう?」
頭上まで引き上げると、なんとも言えない、だらしのない顔をしている。布団へ下ろすとまたすぐにもぐりだすので、今度はしっかりと胸に抱きとめた。
「太もも冷たいから、気持ちいいの?」
「にゃ」
「ミケにだけでも気に入ってもらえたなら、着てきてよかったや」
それからまた飽きもせず事後報告を始めた。一日の振り返りは大切なことだ。祖母に教わった。後悔しても、そこに気付きがあれば、次に活かせる。
「今日はね、妖怪の囮になって、カヲルのお手伝いができたんだよ。すごいでしょう」
「にゃあ」
ミケは、すまなそうに目を細めた。
「カヲルが三つもヒントをくれてたのに、私ちっとも解けなくて……自分の頭のかたさ、ほんとイヤになっちゃう」
「にゃ?」
ミケは、首を傾げた。思い当たる節がない。
「そういえば、帰ってきたとき軒先にびーっしり干し柿が吊るされてたんだけど、ミケ知ってた? まさか今件の報酬なのかな」
「にゃあ」
「甲斐性なしだねぇ。カヲルって。うふふ」
千はカヲルを壊滅させた後、少し長老と話した。今日を迎えるためのお膳立てがあったように思えたからだ。
依頼は二週間前。カヲルは毎日のように村へと足を運んでいた。柿を刈り取る手伝いから始まり、干し柿の作り方を教える。それから夕刻に現れるタンコロリンに、刈り残しがないか調べてもらう。タンコロリンへは、子どもの遊びを教えた。それを繰り返すうちに、村を襲っていた妖怪は、いつしか子ども達の遊び相手になっていった。
樹木子の枝だって、カヲルが切れた。わざわざタンコロリンを頼ったのは、村人と妖のあいだに信頼関係を築かせるためだ。
悪霊、怨霊は容赦なく叩き斬るのに、望みあるものには全力で守る。たとえ報酬が干し柿でも。
「カヲル、柿が苦手だって言ってたよねぇ。時間も手間もかかってるのにね。馬鹿だねぇ」
自分が一番、権力にしばられて生きてきたくせに。決して物事を物差しではからない。あれで十六歳なのだから恐ろしい。
「疲れてるなら労ってあげたいけど、漫画以外になにがあるかなあ。皇族の男を労うといえば……、夜伽か」
「にゃあああ!?」 どうした、ミケ。
「でもたしかに、一石二鳥って言ってた。村は平和、私の生娘確定って。私が生娘で、嬉しいってことだよね?」
「にゃあ(とうぜんだ)」
「でも夜伽なら、その道の手足れのほうが、都合がいいか。生娘は重すぎる」
生贄といえば生娘だ。
これからも妖怪退治に好都合とか、きっとそう言う意味だろうと、千は飲み込んだ。ミケは人知れず肩を落とした。千の紡ぐ、次の言葉を聞くまでは。
「神社は婿を取るとして、それまでに経験しないのも、もったいないかなぁ」
「──にゃ?」
「でも私には、相手がいないしな。これからも出来るとは思えない」
「にゃ!(ここにいる!)」
「……うん、決めた。
修行終わったあかつきには、お師匠に床入りをお願いしよう」
万年お盛んなカヲルならば、二つ返事で引き受けてくれるだろうと思う。ただ女として見てくれるかどうかが問題なので、当日は制服を着て紙袋でもかぶってやるか。
気持ちに整理がついた千は間もなく、すやすやと寝息をたて始めた。一方ミケは──。
「にゃ──────────────!」
山の端が白々と明けるまで、庭を駆けずり回った。
明朝、すっきりと目覚めた千の横には、精根を使い果たしたカヲルが座っていた。特に目の下のクマがひどい。
「なにごとですか師匠。あれからもう一件、想像を絶する戦いがあったのですか」
「ああ──」
箸をもちながらも綿のようにへたっている。いつもは朝日に眩しいブロンドヘアーが心なしかプラチナでは。
「千。俺は、もう」
「諦めたら試合終了ですよ」
「先生!」
「ほら、美味しい玉子焼きあげますから」
箸でつかめば、ほくほくと湯気がたつ。焼きたてを膳にのせて、運んでくれる人間がいるのだ。
「師匠、いつも豪華な朝ごはんいただいてますけど、どなたが作っていらっしゃるのですか」
一度はきちんと、感謝の意を述べたい。
「ん? ああ。そりゃあ、はは──はっ!」
「ははは?」 なにが可笑しい。
「すまん、千! 用事を思い出した!」
カヲルは、千からもらった玉子焼きだけを口に放りこむと、忙しなく席をたった。ただ去り際、
「千の制服姿、かわいいよ。目のやり場に困るけどな」
と、言い逃げるものだから、千の頭からも湯気がたった。