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パンチラに夢を詰め込みすぎです(壱)

「白紙が増えてる」


 畳にひろげた絹地の絵巻は、読み終える頃には足の踏み場もなくなる。読み返していると完結しているはずの物語に、百寸の新たな空白が生まれていた。


「千速、お茶が冷めてしまったよ」


 祖父に声をかけられ、絵巻を巻きとる。長さがのびているはずが、巻き終わると不思議なことに厚みは変わらない。

 千は訝しみながらも覚えたばかりの呪を小さく、口ずさむようにして唱えた。


「どうだ。じいさん、凄いだろ」


 その茶を啜り、祖父は畳で転がりもがいた。起き上がった顔にはふっくらとした明太子がのっている。


「うん、じいさんビックリした。もうポックリ逝ってしまうかと思った」

「そりゃあ、よかった」


 土曜正午、喚ばれる時間だ。唇に火傷をこさえた祖父を放置し立ち上がった。


「待たんか、千速! まぁた京都へいくんか」

「うん、今日も泊まってくるから」

「まったく毎週毎週ふしだらな……次こそは婿どのに来てもらうんじゃぞ! それにお前、まぁた柿残すんじゃな──」


 すまんじーさん、柿はどうも好きになれない。

 千は胸のなかで謝った。

 すたこら土間を抜け、ゲートのある納屋へ向かう。境内を見渡せば、うんざりするほどの柿。柿。柿! それをついばむ、カラス!


 秋の不知火神社は、「息を止めて通りすぎないと呪い死ぬ」と噂されている。小学校の七不思議のひとつだ。

 鳥居を塞ぐカラスの大群。カラスが食い荒らした柿の腐臭。近所の奥様方には「害鳥肥やす主婦の敵」と回覧板をまわされる。


 柿もカラスもうとましいが、祭神がお怒りになるので、どちらも滅することができない。


 不知火家としては、もう掃除の一手しかない。今日も健気に千の母親は、石畳をゴシゴシたわしで磨きながら、いらぬ声援を投げかけてきた。


「いい男釣ってくんのよ!」

「は、はぁい」


 千は休日になると陰陽師修行で家を空けるため、「京都で婿探しだ」と言って出る。今のところ両親にも祖母にも反対されていない。それほど我が家では婿養子問題が深刻だ。ちょっと憐れみの目でみてくるのだけやめてほしい。

 ただ一人、祖父はくち五月蝿くてしかたがないので、先日もう目処はついてると言ってしまった。今度は会わせろの一点張り。

 困ったものだ、本当は婿探しなんてしてないし、目処なんてついてないのに。


「師匠であるカヲルが婿だなんてあり得ないしな。はい、配達ですよー」

「おおぉ…………」


 なんだなんだ。

 うわさの師匠が漫画を受け取らずに両手をわしゃわしゃ動かしている。


「ただただ気色悪い」

「すまんが、急に腹が」


 次にはその場でごろごろ転がった。今日はすぐさま妖怪退治へ出かけるのではなかったか。


「少ない小遣いはたいて買ったんですよ。早く連れて行ってください」


 片手では重い。


「もう少し上ー」

「お望み通り綺麗な顔ぼこぼこにしてやりましょうか」


 顔面に鈍器漫画の角を食い込ませようとした瞬間、カヲルは御馳走を食べたような至福の笑顔を浮かべた。そりゃもう、ぱぁあっ──と。


「うはは、イチゴ柄」

「きゃぁあああ!?」

「ごふっ──」


 顎関節から鈍い音をさせて、カヲルはそのままこと切れた。

 千は忘れていた──、制服を着てきたのだった。


「南無三」

「何が南無三だ、本当に天に召されるかと思ったぞ」

「生きていましたか。残念です」


 せっかく人がアイロンがけして着てきてやったというのに、ほめ言葉もなしにパンチラを堪能して終わりか。不満を顔にはりつけた千に気づかず、カヲルはさっさと沓を履き厩舎へ急ぐ。


「──って、私まだ着替えてな」

「いいから、いいから」


 勢いよく踵を返したかと思えば、千をひょいと持ち上げた。千は意表を突かれ、なすがままである。

 お姫様抱っこで馬のもとへと連れていくとは、さては貴様は白馬の王子か。


「え? 乗せてくれるのでは」 すんでのところで、下ろされた。

「重い。自分でまたげ」

「それもそうですね。……ちょっと! なにみてるんですか!」

「いいね。もっと言って」

「変態反対!」


 白馬の王子は、女子高生が馬をまたぐ様子をいやらしい目つきで見守らない。千は思った。さすが陥落皇子!


 馬を走らせたあとは大人しかった。

 千は訝しんだ。

 今日のお務めはなかなか骨の折れる案件なのだろうか。たとえ千里の馬と呼ばれる駿馬であろうと、馬一頭に対してふたり乗っているのだから、あまり離れて座らないでほしい。


「もっとくっついてくださいよ」


 落ちたらどうする。また股間を痛めるぞ。


「く……っ、けしからん」

「そんなに大きな仕事なのですか」

「短い。薄い。揺れる。非常にけしからん」


 脱出ゲームかなにかのヒント?

 降り立った先は小さな農村だ。

 日本昔話によくでてくる、からぶき屋根の小屋が点々と建つ。島の中心部から離れるほど、こういった集落が多い。古きよき妖怪を護るために、近代化が許されないこの異界の付け目だ。畦道のど真ん中で、古着一枚の童子たちにかこまれた。


「陰陽師様だ!」

「陰陽師様がいらっしゃった」

「何して遊ぶ?」


 畑からぞろぞろと人が集まると、神を崇めるように大行列を成した。もしや村一帯滅亡の危機──今宵、大妖怪との対決か。

 いや、ただの遊び道具だ。

 馬から引きずり下ろされたカヲルは、童子をかわりばんこにおんぶと抱っこ。大人たちまで「囲碁しよ」「相撲しよ」と五月蝿い。ただ、両手にやや子をぶらさげながらも、その表情はいつになく深刻である。


「すまないが、今日は遊んでいる暇はない」


 やはり妖怪大戦争なのですか、お師匠。

 千はゴクリと喉を鳴らし、カヲルの後に続いた。周りの眼がチラチラと鋭く突き刺さる。


「陰陽師様、失礼ですが後ろに侍る御方は識神であらせられますか」

「うむ。ギャルという名の小人の精だ」

「やはりそうでしたか、ははぁー」


 小人の精て。


「うんうん頷いて一同納得していますよ。セーラー服を妖精服みたいにジロジロみてますよ」

「あまり見るでない。小人は俺のものだ」

「謎の独占欲!」

「陰陽師様、こちらでございます」

「うむ」


 絵に描いたような長老に案内されたのは、集落から一寸離れた小さな雑木林だ。向かいにも畑が見えている。不思議なことに林へ足を踏み入れると、途端に昼日中の陽光が届かなくなった。見渡せば木々一本一本に、しめ縄がしめられている。それが苔むし蛇のようで、薄気味悪い。カヲルが急に足をとめるので、千は背中に激突した。


「チチ、よそ見をするな」

「チチじゃない」

「上を見ろ」


 言われたとおりに、しぶしぶ顔を上げる。目の前には、カヲルの身体三人分の柱をたたえた大木が、剛々と聳え立っていた。洞穴を造るように肥えた葉を繁らせ、下生えの雑草からにょきにょきと根をうねらせている。カヲルは大木から目を離し、重々しいため息を吐いた。


「ついに、この日がきたか」


 やはり妖怪大戦争が始まる。

 千は生唾を飲んだ。


『汝、我の生け贄か』


 頭上から草笛のような高音で、言葉が降ってきた。空をおおう枝枝は、まるで生をうけたように今にも動きだしそうだ。いや、動いた。動いてるね? 千はカヲルに同意を求めたが、つかんでいたはずの袖の裾がなくなっている。


「お師匠──?」

「どうぞご賞味くだされ」

 

 どこからか聞こえた長老のひと声に、枝がうねりを上げた。


「生け贄? ご賞味って……まさか私のこと? ねぇ、カヲル! ねぇ…………え?」


 ぐるりと見渡せば、カヲルや長老だけでなく人っ子ひとり、見当たらなくなった。天井では枝が犇き音を鳴らしている。そのうちに自分の影さえ薄くなり、木漏れ日さえも届かない。真夜中のような闇に包まれ、聴こえるのは、ざわざわと擦れる葉音だけ。


「うそ……神隠し?」


 千と千速の? 捕まったら湯屋で働かされる?

 千は息を整えた。

 これは試練。カヲルが残したヒントをかぎ分け、この密室から脱出するのだ。


「薄い。短い。揺れる。薄い……、葉っぱ……。枝? 短くて、揺れ動く枝──」

『汝、若い枝を探しているのか』

「そう、なのかもしれない」

『ならばつかまれ』

「ありがとう」

『捕まえた』

「きゃぁああああっ!」


 脱出の糸口をつかみとったはずの千は、その枝に手首をからめ取られ、宙吊りとなった。


「妖怪、樹木子じゅもっこだ」

「カヲル!」 


 刀もほころびそうな太い枝の壁に亀裂が入る。その裂け目から陽の光りとともに、カヲルが入ってきた。


「いいね! もっと名前で呼んで!」

「第一声が、いいね!?」

「樹木子とは、古戦場に残った、人の生き血を養分に根を生やした吸血樹のことだ。人が通りかかると枝で締め上げ血を吸いとる」

「血を吸いとる。ふむ。献血すら苦手なので説明は後ほどお願いできますかね」

「おっと、眼鏡が落ちそうだ。大切な萌え要素を汚さぬよう、先に回収してやろう」


 落ちかけていた眼鏡だけ拐っていく。その間にも枝は、千のやわ肌をキュウキュウと締め付けた。もはやカヲルの視野から、スカートのなかを守るものはない。


「壮観──! ……ん? 千が胸につけている、それは……」


 シャツの裾がめくれ上がり、もう少しでなかが見えそうだったが、スカートをおさえようと頑張る千の腕からきしむ音がして、カヲルはしぶしぶ枝を切った。一気に落ちる千の身体を軽々と受けとめ、「どうだ惚れたか」と、笑みをこぼす。

 千はカヲルの胸に頭を預け、言ってやった。


「怖かったぁ、もっと、ぎゅってしてぇ」


 注釈を入れる。

 千が、眼鏡をとることでなくすものは視界だけではない。物事すべてに靄がかかったように、なにも考えられなくなる。思考回路の遮断だ。つまりは、ポンコツである。


「ぎゅう、してよう!」

「あー、思ったよりダメだ、身も心ももたんわ。即刻、眼鏡をかけろ。自分の力で立て」

「えーんっ、やだぁっ、おろさないでぇっ」

「かわいいから無理! はい!」


 ストンと立たされ、眼鏡を装着した千は機動開始、辺りを見回す。細かく刻まれた枝がにわか雨のようにぼたぼたと降り落ちてくる。木漏れ日が少しずつ射しこみ、火が爆ぜるような音が落ち葉に弾んだ。

 

「生け贄回収、そっちは?」

『こんなもんかのぅ』


 ギョッとした。

 カヲルの背後から現れたおじさんが、三頭身だ。カヲルと同じ上背にもかかわらず、頭はちゃぶ台ほどの大きさがあり、ニスを塗ったような艶やかなオレンジ色をしている。形はまるで柿の実の様──。柿?


「こちら、妖怪タンコロリンさんだ」


 タンコロリンとは柿をとらずに放っておくと現れる妖怪だ。柿の木をほったらかしにする人間を襲うだけでなく、自ら枝を切り、柿を回収する枝切り名人と伝えられている。

 タンコロリンがうねる枝をパチパチ手際よく切り落とすと、ついには樹木子の動きを止めた。


『これでもう悪さしねぇべ』

「ありがとな」

『なんの、それはわいの台詞だがや』


 そう言うなりタンコロリンは雑木林の奥へと消えてしまった。

 木漏れ日降り注ぐ、平穏な秋の情景がもどる。冷静さを取り戻した千は、カヲルに訊ねた。


「……どういうことですか」

「柿食いながら話してやろう」


 柿は苦手だと言うと、「俺もだ」と、カヲルは笑った。


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