追加シナリオが終わらない(壱)
夜御殿の桜は今日も満開だ。
枝にはカラスが二、三羽、景観を崩さぬ程度につかまっている。
やっぱり、好きになれない。
今はその血が身体じゅうを侵していると思うと、つい苦手な溜め息を吐いてしまった。
「また考えごと?」
腰紐に小さな手がかかる。クウガだ。
つぶらな瞳が猫のようで、つい抱きしめてしまう。
「おはよう! なんでもないよ」
「それ、大人の常套句。お姉ちゃんにはまだ早いんじゃない」
「ぐぬぬ。生意気だけど可愛いから許す。カヲルはまだ?」
「起きてるよ。主上が礼拝終わったら、みんなでいっしょにご飯食べようって」
「了解した」
みなで、と言うからには、主上が話しを煮詰めるおつもりだ。千はまた小さく息を吐いた。
人は思案し、悩み、溜め息を繰り返すことで大人になるのか。多少は他人に迷惑をかけても、自分らしく生きていたいと思うことは、贅沢なのだろうか。
ただ千の背負う世界は、他人を巻き込むにはあまりにも大きすぎる。
「カヲルに、逢いたいな……」
そばに居たいと思えば思うほど、遠く離れていってしまう。これだからエンディングは好きじゃない。
せめて最後にこの世界の空を愉しもうと、千は羽根をのばし、飛び立った。
日が高く昇ったころ庭へ降り立つと、カヲルがひとり縁でふてくされていた。御膳の並べられた出居はまだ人気がない。
「遅刻ではないですよね?」
「今までどこへ遊びに行っていた」
「襲われるには充分な時間があったので、外へ逃げていました」
「俺のことすごくよくわかってる!」
もうやだ恥ずかしいと体育座りをしたので、お散歩してきて本当によかったと心から思う。千は遠慮なく隣に腰を入れた。
「無節操で、なによりです」
「その敬語、もうやめろよ。俺のほうが年下なんだし、今のお前に教えることなんてないだろ」
「昨日はそう思いました。でも空を飛んでいたら、まだまだ知らないことがたくさんあるって、気づいたんです」
「そうか。じゃあ、またふたりで、ミカドの手伝いでもするか」
「はい」
師匠と弟子の関係を、続けられたらいいのに。
千はカヲルをジトとみつめた。
キスの合図だ。
息を止める準備もなく、唇が重なる。
「……メガネはどうした」
「カラスの視力は人間の五倍なんですよ」
「目がみえ、翼が生えるか。俺は知っているぞ。俗に言う、チートヒロインだな」
「ここまでくると嘘くさいですよね」
「五回も死んだんだぞ。もっと望んでいい」
「じゃあ、もう一度キスしてください」
「千……?」
はらはらと涙が落ちた。
もう二度と会えなくなると思うと胸が張り裂けそうだ。首を切ったときよりずっと痛い。
「なぜ泣く」
「だって、うれしくて」
「おや、公然と押し倒されたいのかな? ……待って。今の撤回して」
カヲルは千の頬を両手で包み込み、涙を猫のように舌ですくうと、しっかりと目を合わせて言った。
「愛してる。千姫」
「ひ、──っ」
姫て! ツッコもうとしたら口を塞がれた。もう一度って言ったのに、何度も、何度も。
「ずっとそう呼びたかった。どうせ柄じゃないとか言うんだろうけど、俺にとって千は、最高のお姫様なんだよ」
「カヲル……、私も」
「なあに、千姫」
おねだりするようにうっとりと見据えてくるので、今度は自ら唇を落とした。
「私も、カヲルが大好き」
パチパチとまばらに、かわいた拍手が前後左右から鳴った。
「おめでとう」
「おめでとう、ちーちゃん」
「おめでとうカヲル」「お姉ちゃん、おめでとう」
カヲルの名前が名前なだけに、実に既視感のあるエンディングが始まった。
千は心のなかでこぶしを天へ突き上げたが、なかなか夢から醒めない。そうか、エンドロールが長いのだな。
「さ、バカップルは置いといて、先に食べましょう」
カヲルの母が御膳の前で手を合わせる。やはり間違いない。ハッピーエンドで和気藹々な情景を流すタイプのエンドロールだ。合点のいった千は何事もなかったかのように席へつき、食べ始めた。
「それで、昨日の話しなんだが──」
主上が空気を読まずに話しを煮詰めに入ったので、千は差し出口をはさんだ。
「主上。エンドロールですよ。キャッキャ言っていればいいんです」
「ちーちゃん?」
折姫がかっ、と目を開いた。勘付いたようだ。
千は目配せをした。そうです。物語も終盤に入りました。
「ちーちゃん、まさかとは思うけど……」
「そうだ! 昨日お姉ちゃんに頼まれて描いた地図があって」
次にはクウガが新たな展開を生み出そうと半紙を持ち出したので、広げられる前に千がくしゃんこにした。
「ひどい! なにするの!」
「お食事中ですから」
さめざめと泣くクウガの御膳に、果物を寄せてなぐさめる。
隣に座るカヲルは母と乾杯を繰り返し、向かいでは、どうにか話しを進めたい主上へ折姫が耳もとで何か囁いている。そろそろ『FIN──』の文字が浮かぶころだ。
千は感慨深くその時を待った。
──が、終わらない。
主上が「そろそろ戻る」などと言いだしたので、千もまた箸を置き、言った。
「やはり、──R指定だったか!」
エンディングまで妙に時間が空いていると思ったら、初夜イベントを挟まなければらなかったのだ。
次にはカヲルの手をつかみ、寝所の方角へ行こうとするので、折姫が腰にまきつき全力で阻止した。
「ちーちゃん! お気をたしかに!」
「止めないで! いおりちゃんのためにも、はやくこのゲームを終わらせないと!」
「これ、乙女ゲームじゃないから────!」
滅多に声を荒げない折姫が両手に力を入れて叫んだ。
疑問符が乱れ飛ぶなか、千はひとり異議を唱える。
「いおりちゃん。これはゲームのなかだよ。私といおりちゃんは、クリアしないとでられない。その証拠に神社に祀られた絵巻にシナリオが綴られてる」
「ちーちゃん、それ貺都の歴史の蔵書で、常に書き記されているものでしょう」
「ていう、設定でしょう」
「ちーちゃん! 待って、みんな……」
音もなくどよめく貴人たちへ、折姫は言い訳したいが、
「この娘、ゲームのやりすぎなんです!」
中二病の子どもを庇う母親みたいな言葉しか出てこない。その後も千の暴走は止まらない。
「このシナリオが終われば、いおりちゃんも自由になれるんだよ? 監禁生活に終止符を打てる」
「監禁……?」
主上は耳を疑った。
「監禁は言い過ぎだよ! せめてそこは軟禁! たしかに身体はぼろぼろ、四六時中ミカドの監視がついてるけど、御所のなかをぐるぐる、ちゃんと歩いてるよ!」
「いおりちゃん、フォローになってないフォローをありがとう」
主上の顔色が真っ青を通り越して真っ白だ。それでもお務めは待ってくれない。侍従が御簾の向こうで焦りだしている。
千は確信した。やはりまだストーリーモードが続いている。
「カヲル、行こう」