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神を手懐かせてみせよう(弍)


『ふん。最期まで気に食わん』


 千は、巨峰を思い出した。

 下げられた供物の巨峰は熟れていて、皮ごと口に入れると、実が簡単にむけて、つるんと喉を滑り落ちた。

 ただ、愉しんだ後に残る皮と果汁がうっとうしい。


「……貴方さまの、お名前は存じております」


 千の声が、鈴の音のように通る。

 その頬に血飛沫が飛んだ。祭神が指をはらったのだ。五歩先にカヲルの抜け殻が、落ちた。相変わらず金ピカで、流れ星みたいだった。


『千速。私はお前が可愛い。辛いならば、記憶を消すことができるぞ』

「記憶は……、すべて、そのままお残しください」

『愛する男の死を受け入れるか。まあいい、すぐに忘れる』


 千は刀を抜いた。鞘から刃を出しただけで、指の腹を切ってしまった。切れ味は抜群だ。


「なぜ忘れると、言い切れるのです」

『時とは、そういうものだ。乱れてもすぐに戻る。川と同じだ。お前の傷は柏木唯斗が癒すだろう』

「唯斗……?」

『まだ若輩者だが、いずれは宿命に気付く。それに柏木家の血を交ぜれば、いくらか生活が楽になるぞ』

「生活が、楽になる。……それだけ?」

『今の不知火家は見ていられない。富を得るためだ、千速ならわかってくれるだろう』


 さすが祭神、千をよくわかっている。昼食代に巫女装束を売るし、母が怪我をすれば父を出稼ぎへ追いだす。だが己れの労力を犠牲にはしなかった。何があっても、どんなに貧しくても卒業までは巫女に精進する。そう決めていたからだ。

 週末、家をあけていたことでバチが当たったというなら、手をついて謝った。


 相手が目の前の祭神でなければ。



「毎日毎日、朝も晩もあんたなんかに拝んでたと思うと、反吐がでるわ」


 

 千は団子の串を思い出した。女将がもしも本気でのどに串を刺していたら、苦しい最期だったことだろう。


 千は、祭神の名を噛み砕くように傲然と、清麗に言い放った。




時置師神天良ときおかしのかみてんら。私を失いたくなくば、かしずくがいい」




 首にあてがった刀身はカヲルの手のように熱かった。

 以上が、自害した女個人の短い感想だ。


 




 *





 魔法円が消え、十分後。

 主上が朱雀を使役し羽ばたかんとする矢先、黒い翼が空を覆った。南庭へ降り立ったその翼を追いかけると、巫女装束の娘がひとりで立っていた。背には、朱雀より大きく長い翼を蓄えている。


「千、どの……なのか? カヲルは」

「それが、カヲルが……!」


 千は涙目で耳まで紅くして、主上に訴えた。



「全裸なんです────!」



 主上は着物を持ってくるよう従者へ用付けると、ひとり思案した。


 ふたりが転移してたった十分だ。

 千は背中に翼をはやし、カヲルは全裸だと言う。言葉がすぐに出てこない。


「その、全裸とは。私も行こうか」

「ううん、大丈夫! ありがとう」


 着物を受け取ると千は脚力をバネにして再び天空へ舞い上った。辺りの砂利がまるで枯山水のように、波紋状に動いた。

 主上はひとりつぶやく。


「ありがとうって、……ふっ」


 娘に軽々しく感謝されたのは、初めてのことだ。同じ従者へクウガを呼ぶよう命じ正殿へと戻ると、小袴一枚のカヲルが板間に転がっていた。

 先ほど飛び立ったばかりの千が今にも足蹴にしようと構えている。


 主上の鶴の一声、「正殿、ぼうりょくきんし」でふたりは居住まいを正したが、状況がまったく把握できない。

 主上は訊ねた。


「それで、なにがあったのかな」

「カヲルが、目の前で、その、見せびらかすように着替えるもので」

「千がはやく着ろって言うから着ただけだろ」


 訊きたいこと、そこじゃない。

 主上がもどかしくしていると、クウガが足音をたてて入ってきた。注意をしようと集く近衛を扇ではらい、傍へ招く。

 クウガが子どもらしく高揚した様子で、広げた半紙に対し目を疑った。

 裂け目ばかりでなく地滑り、小さなヒビも忽然と消えている。

 クウガが言う。


「消えています! まるで時間が巻き戻ったみたいに!」

「裂け目は閉じたし、鏡も治しましたからね」


 千の膝には傷ひとつない鏡が置かれている。


「治し、ました? 割れた鏡を」

「はい」

「カヲル、頼むから一から説明してくれ」


 主上は船をこぐカヲルの額に扇を叩きつけた。

 

「いだっ! 死ぬ直前に戻されてるから、俺いと眠しなんだけど。それでも聞く?」

「死んだ? ああもう、出鼻からわからんよ」

「あー、じゃあまず、先週のことだ」

「先週!?」


 千がこぶしをあげる。

 カヲルは星がとぶのを覚悟して話しを進めた。


「俺が不知火神社へ行った日の夜。はじめて鏡と向き合ったら死に痣がでた。己れの顔にな」


 一週間もジメジメ悩んでいたのかと、千が呆れた視線を突き刺す。


「この時に不知火神社の祭神、時置師神は裂け目を閉じるために人身御供を要するとわかった。それも、俺がいいんだと」

「時置師神……?」


 主上のこめかみに冷や汗が噴いた。

 初めて聞く名だ。

 全知全能の神を意のまま操る彼は、知らない神がいたことに恐れを抱いた。


「まだ俺にもよくわからないんだが、あちらでもこちらでもない、鏡に座する神のようだ」

「両世界を分かつ神ということか」

「恐らくな。俺だって死ぬのは御免だったけど、あっちじゃあどんなに拝んでも返答ないし、カラスにはつつかれるしで最後は諦めたよ。いだ!」


 千のゲンコツが落ちる。


「けどさ、さっき此処で千の顔みたら、吹っ切れた。ふたりで行くのに、千の顔にはどこにも死に痣はないだろ。もしかしたら千がどうにかしてくれるんじゃないかって、本気で思ったんだよ」


 ぼう、と惚けて笑う。


「で、このですよ」


 千は恥ずかしそうに目を伏せ言った。


「カヲルと心中しました」


 主上は頭が痛くなってきたが、裂け目での出来事を知るものはふたりしかいないのでカヲルを睨みつけた。カヲルも目玉が飛びそうなほど目を皿にしている。

 主上は胸中で叫んだ。

 誰か説明して!


「死んだ? 何言ってんだお前。祭神を自力でひざまつかせたって──」

「カヲル、私に刀を預けて食べられちゃったじゃない。追いかけてこいってことかと」

「解釈の違い!」

「それなりに打算はあったよ。天良は次代当主の私を殺したくない。それなら納得するまで死んでやろうと思った。五回は死んだかな」

「五回も、自分で……?」


 慣れたころに傷みを感じ始めて地味に辛かったですと、晴れ晴れ笑う。ためらいなく自害を繰り返す女にも驚くが、


「天良と言ったな。不死の神なのか」

「いいえ。時を司る神です。時を止めたり、すこし進めたり。裂け目で呪術が使えなかったのは、あの場所の時間が止まっていたからです。

 対価が必要ですが、万物の時を戻すことができます。裂け目に一死、鏡と母のケガに一死。カヲルの時を戻すのに一死」

「あと二回は、なんのために」

「二度と烏滸がましいことを言わせないために、ひれ伏すまで続けてやろうかと」

「むちゃくちゃすぎだろ……」


 カヲルが板間に寝転んだ。体力の限界がみえる。愛おしそうに千を見あげるが、とんでもない女だ。抱えている鏡を見据える。

 時はすべての基盤。使いようによっては、最強といえる力だ。主上は舌を巻いた。

 

「ではあなたの神をここへ喚ぶことができるかな」

「いいえ、それも叶いません。天良は時の進む世界線で姿を表すことができません。その代わりに神使がいたるところで目を光らせています」


 千は、懐からいつしか折った折り紙を取り出した。千が折った数多の折り紙のなかで唯一、動いたものだ。不知火家の呪いかと落胆していたが、然り。

 白い折り紙は千の手のなかで墨を滴らせたように黒く染まり、羽を広げた。


「天良は束縛が強くて、このカラスとシオン以外の使役を許しません」

「シオンだと?」

「不知火神社の御神木が桜なので、理由はそこにあるかと」

「そうか。シオンは、御神木の挿し木から生まれた精霊」


 主上の脳裏に桜が掠める。

 折姫との出逢いもまた桜のむこう──。

 絆か、はたまた因果か。

 それ以上の言及は諦めた。

 神の御言を聞けないのならば、今日はお開きだ。命を削ったふたりを休ませねば。


「私はこれから後始末に追われる。悪いがあなたはカヲルとクウガを連れて夜御殿へ移ってもらえるかな。カヲルがこの容態だ、回復するまではそばに置きたい」


 試すつもりで命じたが、顔をあげれば千の背中に翼が生えていた。


「御意でーす!」


 だから、なにそれ。

 三人は瞬きする間に忽然と消え、板間は押し寄せた大臣たちで埋めつくされた。

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