貧乏神社のおもてなしに過度な期待は無用です(弍)
母の言う通り、今週末は高校の文化祭で休日丸潰れである。只でさえ憂鬱な学校生活を、土曜日まで過ごさなくてはならないとは、地獄に等しい。
今日の午前中は仮眠と頭の整理で終わったが、午後は終業のチャイムまでが長い。文化祭の準備で今週の午後の授業は、すべて重労働で埋まっている。
千のクラス、二年三組の出しものは団子屋だ。
買い出し班がお買い物を楽しんでいる間に、インドア班が看板やメニューを制作する。おあいにく様、さらに下っぱの千は雑用係として、ひたすらゴミ捨てや片付けに勤しんでいた。
色塗り班が仕事を終えたので、ペンキで汚した新聞をかき集めていると、ピンと、後ろ髪を強く引っぱられた。
「いったい!」
「なんで髪おろしてんだよ」
「唯斗か」
買い出し班、まだ戻ってきてないだろうなと、見回した。
同じクラスの柏木唯斗はいわゆる幼馴染みというやつだ。同じ街の同じ氏神を祀る神社の次男坊で、小学生までは仲がよかった。毎日お互いの境内で遊んでいたから「不知火神社に婿入りすれば」なんてよく、柏木家やお母さんに茶化されていたが、それももう遠い昔のお話し。
高校生になった今、唯斗はオシャレ眼鏡の奥に潜む瞳を、不愉快そうに歪ませ、見下ろしてくる。千は、自分からなにかした覚えはないので、シンプルに嫌われているんだと思う。
「朝、時間がなかっただけ」
「その髪が視界に入るだけで気持ち悪いんだよ。これでしばっとけ」
「輪ゴムって」
一度言い始めると五月蝿いので、適当に束ね作業を再開した。
千の髪を呪いの日本人形と言い続け、言霊にしてしまったのはほかでもない唯斗だ。
唯斗は人受けがよい可愛いらしい顔立ちをしている。清潔感のある制服に、程よく流行りを取り入れた髪型。典型的なモテ男だ。
一方、千は妖怪女なんてあだ名でクラスメイトに虐げられている、はみ出し者だ。小学校からの同級生は、千と唯斗の過去を掘り下げ「婚約者だと勘違いしてるストーカー」と吹聴。唯斗は毎日のようにクラスメイトから「呪いの契約は果たしたか」「金縛りで襲われたか」と挨拶される。千としては、なるべくかかわらないように息をひそめ、暮らすばかりである。
「あんた、唯斗になにかもらってなかった?」
帰りしなに声をかけられた。買い出し班、もとい唯斗の取り巻きのご登場である。
「輪ゴム、もらったけど?」
千は見せびらかしてやった。お前たちが好んでそばにいる男は、髪を結ぶのに輪ゴムを渡してくるようなやつだと。
「輪ゴムって! ふつう、もらっても髪しばる?」
予想通り、クラスは笑いに包まれ一致団結したので、千はそのまま教室を後にした。授業のまどろみは嫌いじゃないが、学校の空気はどうも好きになれない。まるで裂け目のなかのようだ。人間の妬み嫉みがうずまく、瘴気に足がすくむ。
早く帰って、癒されよう。
「……なに、に?」
コンビニでお会計しながら、千は己れの胸に訊いていた。
家に着いたのは四時前だったが、すでに西陽が影を長くさせていた。戸が開け放たれた稽古場で大きな影が踊っている。
「ただいま」
「ツーンッ」
カヲルは千を鼻であしらい、竹刀を振るい続いた。まあ当然といえる態度である。千はちゃんと、ご機嫌を取るための策を巡らせた。授業中、五秒でまとまった案だ。
「ほらほらほら、最新号ですよ〜」
「その手には乗らん」
まあここまでは想定できよう。
千はビニール袋から、別のアイテムを取り出した。
「ジャーン!」
「……なにそれ」
「最中だ。それも、ただの最中ではない。アイス最中だ。ひんやり冷たくて、甘いんです!」
「え……、千は俺のこと、甘味ごときで釣れると、本気で思ってるわけ」
「な、なんで!? これすっごく美味しいんですよ? 高いから、半分こだけど……」
そう言って袋を開けると、最中をちょうど半分に折って、カヲルの胸もとへ突きだした。
「はい」
「えぇ……」
「溶けちゃうので、はやく」
千は決して、あざといわけではない。貧しくて割と本気でやっている。皇子に平民の象徴アイス最中を献上したことに今さら気づき、顔を紅くした。
「いらない? よね」
「食べさせてくれるなら、許してやってもいい」
「ほんとう? はい!」
ひと口味わえば、平安文化人にバニラアイスなど罪な味である。
「なにこれうまーい!」
「よかったぁ。はい、こちらをどうぞ」
千はまだ口をつけてないほうをカヲルに渡した。それからカヲルが食べたほうを、己れの口に運んだ。決してあざとい譯ではない。思いやりと卑しさの同居である。
すっかりご機嫌よろしくなったカヲルとふたり、縁側に腰を下ろし、静かに食べ進めた。
「本当に毎日、制服着て行っとるんだな」
「制服ですから」
「もう少し丈を長くできないのか」
「誰も私の足なんて見ませんよ」
疑いの眼差しを全力で太ももへ向ける。
「そういえば、お母さんの足はどうでしたか」
「ああ、そのことなんだが」
カヲルが診たところ、母の足の傷は癒えるどころか、深くなっていた。少しずつ、じわり、じわりと斧を食い込ませるように。
「居合わせていた千にも訊くが、母上は持っていた鏡を足に落として怪我をした。間違いないな?」
「はい。すごく重そうでした。でも御神体ではありません。不知火神社の御神体は、裏山の桜の木ですから」
「ああ。じいさんから聞いた。だが本殿に祀られているのだから、神具には違いないのだろう。それにヒビというのが気になる」
「ヒビ……?」
「落としたときにできたらしい。そのヒビが奇妙にも少しずつ広がっているらしいんだ。もしかすると貺都で作られた呪具かもしれん」
「貺都のものが家にあって、お母さんが持ち出し、割ってしまったと」
母はすでに、質屋へ持っていくところだったと供述している。
「このまま放っておけば、鏡は母上ともども砕けてしまうかもしれん。そうなる前に鏡を貺都へ運び入れ、神の怒りを鎮めねば。今週末、少しだが俺だけで戻るよ」
「いや、少しとは言わず、そのまま帰っていただいたほうが家計は助かります」
「つれないなぁ。……ん? なんだこの髪留めは。からまってるぞ」 輪ゴムだ。忘れていた。
「きれいな髪が傷んでしまう」
カヲルは輪ゴムを優しくほどくと、しばらく指ですいた。生まれ持った髪質もあるが、巫女装束に合うよう、しっかりと手入れされている。
「千は、務めにとても真摯だ。どうやら学校には、それをおびやかす人間がいるようだな」
「ギクリ」
カヲルは懐をさぐり、なにやら引き出すと、千の髪を器用に束ね直し、組紐を結んだ。
「これ、あのときの!」
「多少は邪気払いになるようにしといたから、明日からつけていきなさい」
「嬉しい……、ありがとう!」
よく磨かれた床に映る千の顔は、ことのほかだらしなく。庭のカラスと祖母だけがそれを見ていた。
「夕飯の支度しな」
「ヒィッ」
一日目の夕飯は客人を招き入れるときのおはこ料理、すき焼き鍋である。父の今日の給料を遠慮なく使わせてもらった。スーパーの激安牛肉も、ひとつの鍋をみんなでつつくのも、カヲルにとって初めてのことだ。所為は美しいのに、「生卵をつけて食べる? お腹壊さない?」「お麩がいちばん好き」などの反応が新鮮で、みんなの心をわしづかみにしていた。全年齢性別不問のたらしである。
父にさそわれ、風呂へ行ったときは動揺したが、項垂れた父が帰ってくるだけだった。
「神さまはなんて不公平なんだ……」
「師匠は?」
「身体を清めたから、神殿へお参りするそうだ。熱心だな」
それからカヲルは戻ってこなかった。お布団はお父さんの部屋に敷いといてと母から言われ、そのまましばらく部屋で待っていたが、十二時を回っても帰って来なかった。結局おやすみを言えずに、千は自分のベッドへもぐりこんだ。
そこで嬉しい土産があった。
ミケだ。
「ミケた────ん! カヲルってば、わかってるぅ! 癒しといえばミケだよね」
「にゃあ」
一週間家を空けるとなると、飼いネコを放っておけず連れてきたのだろう。そう納得して、ミケを仰向けで抱え上げた。まだまだ軽い仔ネコちゃんだ。千は、そのままの姿勢で、茹で蛸のように顔を紅くして言った。
「ミケ……、だよ、ね?」
ミケの目が瞠く。それは一寸のことで、次には白々しく「にゃあ!」と鳴いた。かわいいので、とりあえずチューでもしとくか。
「ちゅう」
「ちゅー」
「ねぇ、ミケ。カヲル、なにも言ってなかった? その……、昨日のこと、とか」
「ゴクリ」
気のせいか、仔ネコが生唾をのむ。
「お酒で記憶がなくなるなんて……、そんな都合の良い話し、漫画のなかだけだって、わかってるよね?」
千は、話しながら昨夜のことを思い出した。
たしかにミケと戯れていた時間のことはほとんど覚えていないが、男に布団へ入ってこられたら、さすがに酔いも覚める。
「カヲルのほうこそ、酔ってて忘れてるのかな。でも、あのとき言ってたことは、嘘じゃないよね?」
ミケは目を潤ませ、ジッとするばかりだ。
「ねぇ、ミケ。答えてよ」
ミケは返事をしなかった。ネコなのだから、それが普通だ。
千の眠ったあと、神殿へと足を運んだそのネコは、朝方まで帰ってこなかった。