みたらしだんごは甘めが好みです(壱)
朝といっても、鶏鳴の刻。
山の端が白々と明ける早朝のことだ。
千は、みたらし団子の香りで飛び起きた。
「食べます!」
「ふふ。聞いていたとおり、効果覿面だ」
「え?」
豪奢な布団の裾に、見知らぬ男が腰をかけている。短い黒髪の、涼やかながら壮美な顔をした人だ。真っ白な束帯からのぞく肌の白さと所為。カヲルとはまた違う、煌びやかな気品を感じ入る。
「起きがけに、すまない。出来たてを持っていくように言われてね」
「カヲルが?」
貞操の危機を思い出して己れを抱きしめるが、気怠さも違和感もない。元気はつらつである。男は艶のある声で笑みをこぼした。
「カヲルならば、朝から走り回っているよ」
ドドドドド地響きがする。よくもまあ、この音のなか寝汚くしていたものだ。かがり火で明るい庭園を望むと、向かい側の回廊を全速力で走る、豆粒大のカヲルをみつけた。女の嬌声が複数、高らかに聞こえる。茶屋で遭った深い闇とは程遠い和やかな朝。
千は微かに愁眉を開いた。
ぼうと惚ける千へ、男はみたらし団子をやけに勧める。
「さあ、食べて。冷めないうちに」
「はい。いただきます。あの、ここは……」
簡易式ではあるが、帳台にかかる几帳は金糸で編まれた桜が光り、見知らぬ天井にはまた高そうな彫り物がある。男の背景は後楽園を彷彿とさせる広い中庭。冬が始まろうとしているのに、樹齢四〇年の見頃の桜が、爛漫と咲いていた。
「御所のなか、ですか」 遠慮がちに頷く。
「御所門の内だが離れにあるから、気負わずにゆっくり休んで」
ついには、鼻先に串を持ってこられた。
どうやらここでは、団子を食べないと朝が始まらないらしい。千は遠慮なくみたらし団子を頬張り、目を瞠いた。
白玉粉を水でこねただけの、簡素な食感。砂糖多めのみたらしは、作り手の見える濃さ。噛むたびに懐かしさがこぼれてくる。
「これ、おばあちゃんの味だ……! もしかしてイオリちゃんが作った!? じゃあ、いや、その、まさか、では、あなた様は」
イオリは、従姉妹だ。
一年前にこの鬼ヶ島へ先入りしている。
皇后となるために。
「そう忌憚なく。少なくとも、ここではひとりの友人として接していただけないかな」
言葉遣いはやわらかいが、随所に貴さが溢れている。
──この国の主上。皇帝だ。
千の気持ちを汲みとり、男は滑らかに会話を続けた。
「カヲルはどう? うまくやっているかな」
「はい。為事には実直かと。あとは、少し元気すぎるくらいです」
「ふふっ。元気を取り戻したのは、あなたが来てからだよ」
「私、ですか」
「ああ。とても生き生きとしている」
変態としてでは。言いかけてやめた。
もっと訊きたいことがあったからだ。
「恐れ入りますが、主上はカヲルのことを、恨んでいますか?」
「カヲルを恨む? 私が」
「はい。その……、カヲルから幼少期の、お母様のお話しを聞いたもので」
自分でも、主上を相手に愚かなことを訊ねていると思う。でも確かに今、知りたかったのだ。
「感謝しかないよ」
主上はほがらかに笑った。
「死期を知らなければ、死に目にも会えなかったであろう。カヲルのおかげで、別れの挨拶ができた」
「では……」
うなずく主上の笑みは、少しあどけない。なるほどカヲルと同年である。
「しかし、まだ根にもっていたのか。そちらのほうが許せんな。罪として、あなたに教えてやろう」
「はい」
なんだろう。カヲルのおねしょの数?
「私の妻、折姫にも死に痣が浮かんだときがあってね。泣いて逃げたカヲルが、その夜にとつぜん、痣を消そうと自ら立ち上がった。そうだな……、梅雨明けでやけに蒸し暑い夜のことを、おぼえてない?」
「私が、ですか」
「なんでも、酒を呑みながらシオンに愚痴をこぼしていたら、花びらごしに蹴られたんだと。うるさい、酒呑んでる暇があったら、さっさと助けてこいってさ」
「……っあ」
千は思い出した。
御神木の前に空の盃が散らばっており、なんて罰当たりなことを、と怒ると、
「呑まないとやってられない」
と、返ってきた。
好きな女が死にそうなんだと、だから呑ませろとずいぶん女々しいことをいうので、遠慮なしに蹴りをかました。
酔った祖父を蹴り上げたつもりだった。
そこには誰も居なかった。
居たんだ──そこに、カヲルが。
千が団子を平らげると、主上は空になった皿を満足げにかかえ、「それじゃあ」と、退いていく。お茶が欲しいところだが、さすがに頼めない。自分で汲みに行くかと帳台を下りると、カヲルが色をなして立っていた。
「千も、ミカドがいいのか」
「帝? 主上のことですか」
「なんだよ、そのだらしのない顔」
そんな顔をしていただろうか。
訊ねた内容を思い出し、目がしらが熱くなる。
今すぐに話すべきか迷う。
「最高です。まるで映画を観ているようです。十全十美。真摯にして寛容。ザ・陰陽師を垣間見ました」
「どうせ俺は金髪チャラ男だよ」
「先ほどもチャラさを遺憾無く発揮してましたもんね」
「お前がここに来るからだろ! 御所の結界は朝まで解けないし、ちょっと羽織りを取りに戻ればこれだよ」
「どこぞのテニス漫画かと思いましたよ。よりどりみどりじゃないですか」
「好きな女には、見向きもされませんがね」
千は、一寸魂が浮いた気がした。
「なんだよ、その顔は。俺といるときは、怒ってるか泣いてるか、どちらかだな」
「師匠が、そうさせるんじゃないですか」
千は鼻息を荒くした。団子が喉につまって苦しいのに、この陰陽師ちっともどきやしない。
「私、喉乾いたんです。失礼させていただきます」
「千、今日もここに泊まるからな」
「それは出来かねます。明日は学校ですので」
「朝に送っていく。俺がいれば、霊力の消耗はないから」
それが誠ならば、甘い言葉となる。
「一日引き延ばす理由が、あるんですか」
「先週分の修行が残っているからな。シオン以外の識神を使役してみたくはないか」
「みたい! お願いします!」
そういうことなら為方ない。
千は手の平を返すように深々と一礼すると、足音を軽やかに部屋を出た。師匠のぶんも茶を淹れてやるかと鼻歌まじりである。
「余裕、なさすぎだろ……」
カヲルのひとりごとが、高い天井に轟いた。
「ちーちゃん」
懐かしい呼び名に胸が躍る。
お茶を淹れるため落としていた視線に映ったのは、桜の咲いた袿の裾。
茶釜から顔をあげると、着物の花より精緻で美しい女が立っていた。時の皇后、名を折姫という。
「久しぶり」
「わーん! 会いたかったよう」
千は折姫の胸に飛び込んだ。
識神の教示に折姫が加わると聞いて、千は手放しで喜んだものだ。
隣には当然の顔をして主上が寄り添っていたが、執務中のため、程なくして宮仕えに引きずられていった。カヲルがシッシッと、手の甲で追い払う。
「まったく、あいつ怠けすぎだろ」
「カヲルも。久しぶりね」
「折姫──もとい、皇后様。本日も傾国の美しさ。眩しゅうございますな」
「うふふ。そのお世辞を聞くのも久しぶり」
「いや本当に。イチャついてないで、たまにはしっかり為事させろよ」
「あれでも寝る間を惜しんで働いているのよ。御所の外は、もうずっとカヲルに頼ってばかりだけど」
遠くをみつめる折姫の目の下に、心なしかうっすらクマが見える。
皇后に即位して二か月。折姫は真名を衣折という。歴とした現代人で、前述の通り千の親友であり、従姉妹にあたる。一年前、行方知れずになったときには、千は血眼になって探したものだ。
不知火家には、呪いがいくつかかけられている。
そのひとつが、代々生まれる女子一人、白羽の矢が立ったものを、貺都の生け贄として捧げなくてはならないというものだ。その枷を祖父から聞いたのは、衣折がいなくなって直ぐのことだった。
蓋を開けてみれば、生け贄とは不知火の血をわけるという意味で、折姫は御所へ入内していた。側室どころか皇后として迎え入れられたのだ、絵巻の大団円を飾るにふさわしいハッピーエンドであったはずなのに──。
絵巻には、なぜか余白ができたまま。
「ちーちゃん、今日はビシバシいくからね」
「受けて立とうではないか」
烏羽色の髪が床へすだれる。髪質は同じだが、折姫のほうがずっと長い。切ることを許されず、大切にのばしてきたその髪こそが、折姫に白羽の矢が立った証だ。家で最も霊力が強く美しく、才にも恵まれた。
折り紙を折る才能だ。
「じゃあまずは、ヤマタノオロチを折ろうか」
「さっそく匙を投げようか」
「嘘ウソ、鶴折ろう、鶴」
「鶴かー」
カヲルが縁で、千の淹れた茶を飲みながら言った。
「短い時間で、なるべく多くの種類を折るんだぞー。そのなかから千と相性のよい鬼神をみつけるからな」
「折り紙で? わあ」
折姫が折った鶴が庭から飛び出していく。
一方、千の折った鶴は微動だにしない。
「結構、うまく折れたと思うんだけどな」
「呪もなく、折った紙すべてに魂が宿るなんて、折姫だけだ」
異能といえる特別な力だが、本人に自覚はない。もどってきた鶴を指の先にのせ、戯れるその姿は床の間に飾りたいほど絵になる。
「うっとりしちゃって。未練タラタラじゃないですか」
「なに? ヤキモチ焼いた?」
「だあれが、変態陰陽師なんかに」
「まあひかえめにいって、今の折姫の美しさは貺都一だと思うよ。目で愛でてなにが悪い」
「師匠はすぐに手が出ますけどね」
「この美しさはミカドの存在があってこそだろ。俺にはつけ入る隙なんてないさ、ほら」
カヲルが折姫の袿の裾へ手をのばすと、その狭間にシュパンッと、矢がとんできた。
「折姫の半径一尺以内に男が入ると、こうなる」
折姫は屈託のない笑みを浮かべた。カヲルの心を射止めた、浄らかでいて陽なる笑みだ。
「対カヲル装備だそうよ」
「師匠、まったく信用されてませんね」
いじけたのか、カヲルは千の背後へまわった。
「ふん。俺には千がいるもんね」
「そうだね。ちーちゃんは、小さい頃からお人形さんみたいに可愛いいし」
千は耳を疑った。
「呪いの日本人形の間違いでは」
「おしゃべりは後だ。時間は有限だぞ。千はまず、折ったら呪文を唱えてみるといい。喚べなければ、縁がないってことだ」
「はい」
折り紙細工は再びかがり火が灯りだす、黄昏どきまで続いた。十二支から始まり、様々な動物から食べ物、花や手裏剣まで折ったが、動いた折り紙はひとつだけだった。
カヲルはというと、千を膝の上に乗せて器用に漫画を読んでいた。
「師匠それ、なん往復めですか」
「んー。この状態なら、なん往復でもできるぞ」
「お腹すいた! ごはんにしましょう」
折姫の言葉を、待ってましたとばかりにカヲルが頷く。
「やった! 久しぶりに御所の酒が呑めるぞ」
「あまりいい顔できませんね」
「まあかたいこと言わず、肴だけでも付き合え」