師匠が、師匠の責務を全うしません(弍)
「あの方……、薫の君に似てない?」
店内にいる娘たちが品物から手を離し、カヲルの後ろ髪に釘付けになっている。
千は心でツッコんだ。
なにその源氏物語な呼びかた。
「金色の髪、煌びやかな袴。いで立ちは絵巻そのもの」
「みて。海のように澄んだ瞳の色……! 間違いないわ、あの美しさ絵巻以上よ」
「でも、第二皇子がこんな茶屋街に来る?」
「もう皇子ではないでしょう」
「御所を追放されたのだから、まんざら夢でもないわ」
「うそでしょう。信じられない……!」
女三人よればかしましいと、よく言ったものだ。どの世界でも、女の駄弁りは耳に障る。なにより、確信を得た娘たちが、カヲルに少しずつ詰めよっている。波風が立つ前に店を出なければ。
千は半ば割り込む形で、カヲルの背中にひっついた。
「どうしたチチ。少しも待てないのか」
「待てない。手、はなさないでって、言ったのに」
「はあ────!?」
デイリーランキング一位の耳障りな声を出したのは、他でもないカヲルだった。波風どころか津波が起きてしまった。千はカヲルの手首を引っつかむと、忍びのように素早く外へ出た。
「うひゃぁ……」
何ゆえ気づかなかったのだろうか。千は己れを顧みた。外は外で、人気アイドルの商店街食べ歩きリポートが始まってしまうほどの完成された人集りである。テレビのなかのように、ついてこられたらたまらない。千は眉間に眼鏡を食い込ませ、行灯看板をにらんだ。五軒先に布のかかっていない店がある。
「よし、とりあえずあそこに退避しましょう」
「待て。あそこは」
「選んでいる暇はありません」
店までつっ走り、歩をとめず暖簾をくぐった。幸い店内にひと気がない。
「助かった」
ひと息ついて、なかを見渡す。座敷が広くとられているだけで、メニューなどの装飾がない。何屋なのかよくわからないほど、こざっぱりしている。千がカヲルに訊ねようと見上げれば、鬼を前にしたような形相で立っていた。
「忠告したら、すぐに出るぞ」
「え、でも」
店の人に頼んで少しの間、身を隠したほうがよいのではないだろうか。
今にもつかまりそうだったと表へ向き直る。
「あれ」
通りにいる女たちが、ひとりも入ってこない。表では草履に下駄が、鮮やかに動くだけだ。まるで店の敷居に結界がはられているみたいで、気味が悪い。
千は迷った。
カヲルの言ったとおり、すぐに出たほうがよいのだろうか。足をだす方角をまよっていると、先に店員に話しかけられた。
「いらっしゃい。どうぞ好きなところにお座りになって。今お茶をだしますから」
三十路くらいの快活なお姉さんは、店の女将だという。言われた通り、すぐ近くの座敷に腰をかけると、同時に茶も並んだ。さすがにカヲルも渋々と腰を入れる。
「はい、よかったらお団子もどうぞ」
朝に蒸しあげたばかりだと、差し出されたお盆の上には、あんがてりてりのみたらし団子がのっている。ちなみにこの娘、みたらしに目がない。
「わぁい!」
「あ、こら千、食べるな」
「なんで? 走って小腹空いちゃった」
お茶屋さんなら、出されたものに手を出さないのも野暮ってもんだ。千は団子の串を、カヲルの口にもつっこんだ。
女将さんが、からからと笑う。
「お嬢さん、ずいぶんとお盛んなようで」
「やめてください」
カヲルが茶々を入れる女将さんをとめた。めずらしい。
「あらまぁ、お兄さんのほうが、緊張してるみたいやね」
「やめてくださいってば」
ついに女将さんを面と向かって注意した。頬にお団子を蓄えたまま、みるみるうちに顔色を青ざめさせていく。どうした、団子が喉につまったか。
「師匠、本当に大丈夫ですか? せっかくなので休んで行きましょう」
「……ああ、そうだな」
千は胸を撫で下ろした。
よかった。やっと首を縦に振った。
「そうだ! 女将さん今晩、百鬼夜行がありますよ。お迎え布をかけていただかないと」
「あ、あら、そう? それじゃあ、すぐにかけてくるわね」
「あと、もしもいらない着物があったら貸していただけませんか。洗ってお返ししますので」 カヲルが、自分でな。
「なあに、譯あり?」
女将はふくんだ笑みを浮かべたが、深くは掘り下げなかった。カヲルの袴を見れば一目瞭然である。
「男ものかい。それなら、うちの旦那の着物が遺ってるから、着ていくといいよ。あとで何枚か、もってくから。食べ終わったら上がっといで」
「上がる?」
「上の部屋。今日は空いてるから、どこでも好きに使ってね」
女将さんはそういうと、なかへ引っこんでしまった。お迎え布か、着物を取りにいったのだと千は思う。
「わざわざ上の部屋で待つ理由がわかりませんね」
千の疑問に対し、カヲルはゆっくりと居住まいを正し、手を組んだ。
「師匠、どうしました。人類補完計画でも語りだすのですか」
「……千。先に言っておく」
「改まって、なんでしょう」
「ここは、出合い茶屋だ」
「はあ。お茶屋さん。お団子食べましたね」
しっかり、ふたりで半分こ。お茶を啜りながら、話しに耳を傾ける。
「この座敷へあがると、男女に茶がだされる」
「男女……? ははあ、なるほど出合いとはお見合いのことですか」
「違うな」
「えー」 じれったい。
「出された茶に、お互いに口をつければ、双方合意と判断される」
「合意……?」
カヲルは次に出す言葉にまよい、湯呑みに手をかけた。ようやく突いた言葉は聞き慣れた四文字だ。
「あいびき」
「合い挽き?」
「お前のは、おそらく意味が違うな」
そうは言われても、千の脳裏によぎる音はじゅうじゅう、鉄板で肉を焼く音一択である。よだれをすする千にしびれを切らしたカヲルは、お茶を一気に喉に流し込み、言った。
「ラブホのことだ」
*
「では、ごゆっくりと」
お店の女将さんは、じゃらんじゃらんとご機嫌な音を響かせ、遠のいていった。着物を借りるとはいえ、いくらつかませたのか。あの金は組紐に代わるはずだったのではと、千は悔いた。
部屋は三畳半の畳に布団一枚。少し足をのばせば、相手にあたる狭さだ。
「着替えたらもちろん、すぐに出るんですよね」
「いや、今日はここで泊まる」
「泊まる!?」
カヲルは部屋へ入るなり、障子窓を開け放ち肘を預けた。
「責務はどこへ。全うするって……」
「今、識神に任せた。こちらのほうが肝要だからな」
窓から放たれた紙が、ふぶきのように散っていく。カヲルと肩をならべ外へと頭をつきだすと、紙ふぶきは人型となって、街へと紛れていった。
「さて」
「さ、さて!?」
「落ち着け。千、真面目な話しがある」
カヲルは視線を落とすと、すぐにまた外へやった。話しを遮るなということだ。千は巫女らしく正座して、カヲルの口が次に開くのを待った。
話しは想像以上に重いものだった。
「皇族はみなひとつ、異能を持って産まれると話したな。第一皇子はその異能により神の子と謳われたが、俺は違う。『虫の知らせ』といって、遅咲きなうえに疎まれた能力だった」
虫の知らせとはまた、不吉な名前である。
千は首を傾げた。
カヲルの異能は女神の恩恵ではなかったか。
「その意味するところ、死の予知。知ったのは六年前だ。宴の席で居合せた女に痣をみつけ、あろうことかその息子に打ち明けた。干支の形をした痣は、死に痣といって、死相を表した。その場には人が、たくさんいたんだ。瞬く間に御所じゅうに広まり、先帝──父上からは、三日三晩魘されるほどの拳をくらったよ。目が覚めたときには、女は死んでいた。
死んだ女は桜の壺の女御。……春宮の母親だった。つまり俺は、まだ十の子どもに、母親の死を突きつけたんだよ」
自分も子どもだったんじゃないの。
千は言いかけてやめた。カヲルの横顔は笑っている。
「この能力を恨んで荒んだものだ。だが虫の知らせのなかには、助けられる命もあった。それを教えてくれた人がいる。だから、今の俺は地にしっかりと足をつけて、立っていられるんだ」
その笑みをこちらに向けるので、さすがの私も目が眩んだ。秋の日差しの下で見る壮麗な顔こそ、神も愛でる異能ではないのか。
「助けられる、命」
「茶屋の女将の頬に死に痣がでていた。濃いネズミの痣、壬子の日付は今日。放っておけば今日じゅうにあの女将は死ぬ。そしてその死にはおそらく百鬼夜行が関係している。見ろ」
カヲルが指を差した先には、行灯看板。
「お迎え布がかかっていません。すぐにかけるって、言っていたのに」
「百鬼夜行だからといって、客が全くいないというのもおかしな話しだ。最もしのべる夜だというのにな。この茶屋──、なにかあるぞ」
話し終えたタイミングで、ひらひらと一枚の紙きれが部屋へ入ってきた。桜の花びらをかたどった紙は、狙ったようにカヲルの手のひらにおさまった。
「千。今から唱える呪を、頭に一発でたたき込め」
「はい」
カヲルが呪を唱えると、花びらに印が浮かび上がった。
「桜の精霊を喚ぶ。桜のあるところならば、どこへでも連れていってくれる。万が一のときのことを考えて、千も使える様にしておけ」
「はい」
花びらと同じ印を指で結ぶ。花びらが増え、部屋じゅうに舞ったと思ったら、たちどころに消え──花びらの代わりにピンク色の髪をした少年が立っていた。
「星桜。今宵だけでいい。力を貸してくれ」
『仰せのままに』
「俺は準備があるからしばらく空ける。ミケを連れてくるから、今のうちに寝ておけ」
「はい」
言うなり、ふたりは消えてしまった。
「はい……」
急にひとりにされて気が抜けたのか、片方の目から涙がこぼれ落ちた。
──なんて、憐れな男なんだ。
カヲルを想うと、胸がはりさけそうになった。
死に痣をみることが、自分のただひとつの異能だと。未だに思い込むほど心の傷が深い。
──救える命があることを、教えてくれた人がいる。
でもその傷を癒してくれた人が、彼には存在する。
「失恋した人のこと……、かな」
ひとりごとをこぼしながら布団に倒れこむと、教えてもらった呪を心のなかで二、三繰り返す。窓を開け放ったまま、強い日差しのなかで眠り込んでしまった。
*
気付けば真っ暗闇だ。目を開けたり閉めたりしてしばらく慌てた。次第に目が慣れると、障子窓の外が明るく見えたが、窓側へは行けない。寝ている間にカヲルが閉めたということは、開けてはならない理由があるはずだ。
「にゃあ」
暗闇に夜目が光る。ミケだ。起き上がり手を広げると、小さな仔猫がすっぽりと腕におさまった。ミケがいて、カヲルがいない。つまりはまだ寝ていてよい時間だ。少しだけ胸の動悸がおさまる。
「ミケたん、来てくれてありがとうね。カヲル大丈夫かなぁ」
「にゃ」
ミケを抱いてもまだ心許なく、懐から一枚護符を引き抜く。
「うふふ。これ治癒符っていうんだよ。持ってきちゃった。カヲルが描いたんだ、いいでしょう」
「にゃ?」
「あ、爪たてたらだめ! 傷ついちゃう」
いつでもすぐ使えるよう、もっておかなければ。
「えへへ。宝物なんだぁ」
完璧なまでの配置と書体に、ほんの少しわかるクセ。治癒符をながめているうちにようやく眉を開いた千は、今日一日を振り返り、顔がほてるのを感じた。
「ねぇ、ミケ。今日のお務めね、……デート、みたいだったの」
「にゃ!」
「わかってる! 為事だってわかってるんだけど、夢みたいだった」
千は人生をそれなりに愉しむため、恋は二次元と決めている。婿は子孫繁栄に要する人材であり、はなから恋愛要素を期待していない。さえない自分が伴侶と出かける理由など、差し詰め食材の買い出し程度。
デート。千にとって、繁殖行為よりハードルが高く、また最も理想の高い行為だ。
軽々飛び越えてきたカヲルへ、今やあらゆる可能性を感じてしまっている。
「カヲルには奥さんも、特定の相手もいない。暇つぶし程度になら私、もしかして本当に、ワンチャンあるのでは……?」
いつも相槌をくれるミケの鳴き声がしない。呆れて声もでなかったのか、腕からすり抜けると、放たれた矢のごとく部屋を出ていった。間もなくカヲルの影が、布団に落ちる。女将から貸し出された古着に身を包み、手にはミケではなく、火灯し皿を持っていた。
「お、おかえりなさい」
聞かれていただろうか。カヲルの所為がどことなくぎこちない。膝をつき、すみっこへ皿を置くと私の方へ向き直り、目線を合わせた。
「大ありの、あり」
「聞いてましたね!」
「俺も男だ。それも出合い茶屋で、そこまで煽られたら止められん」
「いや師匠が今まで我慢できたこと、ありましたっけ」
「これでも陰ながら耐えてるんだぞ」
平手打ちをしようと振り上げた手を両手ごと絡めとられ、身動きができない。では頭突きをかまそうと見上げれば、カヲルは苦虫を噛み潰したような顔をして、言った。
「……すまない」
なんて情けのない顔。
──なんで謝るの?
口走るところで、激しい祭り囃子が耳を貫いた。腹に響く太鼓に、頭が割れそうな笛の音。とても耐えられない。互いに絡めた指をほどき、耳をふさいだ。