毒
手に入れた。
亡き父の仇を殺すために。
毒。
たった数グラムで確実に成人男性を死に至らしめる。
それを今私は手にしている。
仇はある大企業の社長。
おいそれと近づける立場の人間ではない。
しかし私は運に恵まれた。
近づく事が出来たのだ。
「重役会議は午前10時からです」
秘書の松嶋が伝えた。若いのにここまで登り詰めた切れ者だ。
「そうか。まだ少し時間があるな。君は先に会議室に入り、他の役員の様子を窺ってくれ」
「はい」
松嶋は一礼して社長室を出て行った。
私は大企業の社長。わずか20年で、社員3人から始めた製造会社を、今では総人員1万人の大会社にした。
世間では「血も涙もない」と言われている。実際にそうなのかも知れない。
私は他人を信用しない。
重役達も私がいないところで何をしているかわからない。
創立以来の社員達はともかく、急成長する中で招き入れた連中は、いつ私の寝首を掻くかわからないのだ。
そんな中で、松嶋は私の信頼する数少ない社員の1人だ。
彼女は私と境遇が似ている。
両親と幼くして死別しているのだ。
だから同情して秘書にした訳ではないが、同じ実力の者が2人いたら、迷う事なく彼女を選ぶだろう。それは間違いない。
私はその上妻も亡くしている。
不幸自慢をするつもりはない。
むしろ不幸は生きる力になる。幸福は慢心を呼ぶ。
だからこそ私は成り上がり者だという事を自覚し、慎重に生きて来た。
ノックの音がした。
「どうぞ」
ドアが開き、妻紀香と娘朋美が入って来た。
彼女は2人目の妻だ。娘は彼女に似て美人に成長した。まだ高校生であるが。
「貴方、最近良くない噂を耳にします。気をつけて下さいね」
妻が心配そうに言った。娘は妻の後ろで悲しそうな顔で私を見ているが、何も言わない。
「脅迫状の事か? 企業には付き物だ。あまり気にしていないよ」
「でも・・・」
妻は心配性なのかも知れない。私はフッと笑って、
「大丈夫だ。警察にも知り合いはたくさんいる。打つべき手は打ってある」
「それでしたら良いのですけど」
それでも彼女は不安そうな顔をしている。
「会議までまだ時間がある。紅茶を飲まないか?」
私は贅沢を好まないが、紅茶に限っては世界最高の品質のものを取り寄せている。
そしてそれを味わわせるのは、ごく限られた人だけだ。
私は自慢のティーポットで紅茶を入れ、妻と娘に振る舞った。
「さァ、飲んでみてくれ。これこそ至高の紅茶だよ」
「はい」
妻と娘はカップを手に取った。私もカップを持った。
「まずは香りを楽しんで。それから一口飲んでみてくれ」
「はい」
2人は言われた通り鼻孔で紅茶を味わい、次に舌で味わった。
「美味しい」
妻と娘が異口同音に言った。私は満足感に浸りながら紅茶を口にした。
「うっ・・・」
違和感があった。カップの縁に何か塗られている。
「ぐはっ!」
私は血を吐いた。
「ぐおおおっ・・・」
何だ・・・? 何が一体・・・。
私は仇の男が絨毯の上で苦悶の表情を浮かべて死んでいるのを夢見心地で見ていた。
「遂に仇を討てたわ」
私が言うと、
「私もよ。この男、私の夫を自殺に追い込んで、私無理矢理結婚させられて」
と先程までこの男の妻だった紀香が言った。
「私だって。こいつにお父さんとお母さんを殺されて、貴女に養女に迎えてもらったおかげで、仇を討てたわ」
朋美が言った。
「さてと。これから私は重役達に社長が自殺した事を報告して来るわ」
私はドアノブに手をかけて言った。
「私達は悲劇の親子を演じないとね」
形ばかりの母と娘はニヤリとした。