婚約者と、山に入りましたわ。
「ヴェルバ様。本当に徒歩で行かれますの?」
「何か問題があるのか?」
都の門に向かう途中でベラがそう問いかけると、ヴェルバは問い返してきた。
ベラ自身は緑の陸竜にまたがり、服装も変えていた。
さすがに『舞闘の正装』で外を出歩くわけにはいかない。
仕込み杖を腰に差し、地味だが丈夫な旅の服の上から外套を羽織っている。
供付きもないため、髪も結いあげはせず、紐でポニーテールにくくっていた。
「馬を使えばよろしいのでは?」
「辺境に向かうんだろう。馬は途中で奪われるのがオチだ」
旅の必要なものを詰め込んだ大きな革袋を背負う彼の返答に、ベラはかすかに眉をひそめた。
「それほどに、治安が悪いのですか?」
「隣国の王都でも、同じことは起こる。馬は竜よりも馴らしやすく、それに比べれば安いが、それでも高価だからな。君が知らんだけだ」
お前、と呼ぶと訂正するからだろう、ヴェルバは呼びかけかたを変えたようだった。
少しよそよそしいので出来れば名前で呼んでほしいところではあるものの、まだそんなものだろうとも思っていたので、妥協する。
「竜はよろしいのですか?」
「竜は、認めた者以外を乗せることはないからな。そもそも大の男が三人でかかっても捕らえられん」
愛竜の名を口にすると、ヴェルバは片頬に笑みを浮かべた。
「心配なら置いていくといい」
「遠慮いたしますわ。ただでさえ、慣れない旅で迷惑をかけてしまうかも知れませんから」
足に自信はあるが、獣人で傭兵もしていたヴェルバの健脚についていけると思うほど、驕ってはいない。
竜は奪われないというのなら、置いていく理由もなかった。
「目立つんだがな……」
言われて周りに目を向けると、たしかに視線は集めているようだ。
土の道を歩く者たちが、こちらを見て避けていっている。
「隠密の旅でもないでしょう。あまり気になさっても仕方がないかと」
名目上は婚前旅行であり、ベラ自身もそのつもりでいた。
ヴェルバやグレン大公の思惑は関係ない。
あくまでも、一番の目的はヴェルバに嫁として認めてもらうことだから。
「貴族と分かると、その身柄をさらおうと思う不遜な者もいるだろう。まして君の容姿は美しい」
「光栄ですわ」
「……貴族の間では良いとされているそれら全てが、外では危険を招くと言っているんだ」
「身持ちは固い方だと、自負しておりますけれど」
剣の腕も、特段他人に劣るとも思っていない。
そういう思いを言外ににじませると、ヴェルバはふとメガネの奥からこちらの顔を見上げた。
「何でしょう?」
「その自信が、油断に繋がらなければいいがな」
見返すと、ふいっと顔を逸らされる。
身を案じてくれていることは感じられるので、特に気にはならないが。
ーーーできれば、もう少し心を開いていただけると嬉しいのですけれど。
だが同時に、それは望みすぎだろうか、とも思った。
何もしなくても怖い、とパドーレが言う通り、自分に愛想がないことも自覚しているからだ。
そのまま会話もなく門を抜けた後、次の街に向かう大通りを歩いていくと、徐々に人が脇道に散っていき、山道でついに二人きりになる。
すると、ヴェルバがおもむろに外套の前留めを外すと、姿を変えた。
白い鬣と毛並みを持つ獣人姿になると、頭の高さがカーロに騎乗したベラとそう変わらない高さになる。
「人目がないから、でしょうか?」
「道を行く時まで人の姿をしていたら、遅々として進めんからな」
ヴェルバは日の高さを確認して、大きく息を吐く。
「一日は野宿だな。だがこの姿で駆ければ、翌日の昼には隣街に着くだろう」
ついてこい、とアゴをしゃくって、ヴェルバが駆け出す。
逞しい両腕も使って、跳ねるように駆ける様は、四足獣ともまた少し違う躍動感があった。
ベラも竜の体を太ももで挟み込み、速度を上げる。
馬とさほど変わらないその速さに、ベラはなるほど、騎獣は必要なさそうですね、と納得した。
ーーー叶うなら、旅の間に一度くらいは手合わせをしてみたいものです。
そんな淑女らしからぬことを考えながら、ベラはヴェルバの少し後について、先行きを見ながら追走する。
「……何を見ている?」
こちらの視線に気づいたのか、チラリと振り向きながら問いかけてくるヴェルバに、ベラは応えた。
「やはり、その獅子のお姿は見惚れますわね」
道に落ちる木立の影から陽光や木漏れ日が彼に当たるたびに、白磁の鬣がきらめく様は絵画のように美しい、とベラは思ったので、そのまま口にする。
「君は変わり者だ」
「ええ、よく言われますわ」