婚前旅行に際して、大公より贈り物をいただきましたわ。
「やぁ、戻ってきたね」
「戻ってきたとも、この腹黒が」
ベラたちが城に戻ると、笑みを浮かべるグレン大公に、低く抑えた声音でヴェルバは答えた。
表情こそ眉根を寄せている程度だが、額にハッキリと青筋を浮かべている。
「その様子だと、まぁ君が言いくるめられたように見えるけど?」
どこか楽しそうで、見ようによっては挑発的なグレンに、ヴェルバが唸った。
「余計な口を叩くな。貴様は一体、何がしたいんだ?」
「君をからかいたい……のもまぁ、嘘ってわけでもなかったりするけど。そろそろ息が詰まってるんじゃないかなーって思ってたのも、事実だね」
言いながら、グレンが呼び鈴を鳴らすと、一人の大人しそうな男性が入室してきた。
「あ、ヴェルバ様。戻られたのですね」
「セグレイ秘書官。……騒がせて申し訳なかったな」
彼の笑顔に、ヴェルバは少しバツが悪そうな顔になる。
しかし、秘書官と呼ばれた男は首を横に振った。
「いえいえ。少し驚きはしましたが。後、職務以外でそのお姿を目にするのも久しぶりですね」
ーーー好意的な態度、ですわね。
セグレイ秘書官は、獣人のヴェルバに特に思うところはないように見えた。
国の高官が軒並みこうした様子だと『獣人が差別されている』という話に疑わしさが生まれるのだが、まだ二人しか目にしていないので、判断を決めるには性急かもしれない。
ベラは少なくとも、ヴェルバが身近な者に見下されてはいない、と思うだけに留めた。
セグレイ秘書官がその間に、何かの木札をグレンに渡すと、彼は礼を言って話を続ける。
「秘書官には、君が休みの間の代理をしてもらおうと思ってる。有能だからねー」
「誰が休みだ。辞めると言っただろうが」
「受け付けた覚えはないし、君に与えたのは休暇だよ。秘書官が出世するのに不満があるかい?」
「誰がそんなことを言った。セグレイ秘書官に任せるのに異論はないが、貴様は本当に貴族感情を考えないな」
「ある程度の地位は与えているよ。身近な権力者に据えていないだけだし、文官の長は子爵家の出を据えてある」
「それでも子爵だろう。だから貴様は影で『下民かぶれ』などと呼ばれるのだ」
二人のやり取りは少し話が逸れているが、ベラはある程度事情を把握した。
グレン大公は、性格的に難はあるものの実力主義者なのだろう。
おそらくセグレイ秘書官も平民上がりの人物で、ヴェルバの例も加味すると、身の回りを社会的な地位に関係なく仕事が出来る者で固めているらしい。
貴族に有能な者がいないのか、信用していないのかは不明だが、そのせいで起きる摩擦もあるようだった。
ーーー元々、命を狙われていたそうですから、後者かも知れませんわね。
竜車の中で、ヴェルバが現在の地位にある事情を聞いていたベラは、そう判断したが……グレン大公は腹黒いらしいので、別の狙いもあるかもしれない。
そう思っていると、彼は木札をヴェルバに差し出した。
「それはなんだ?」
「旅行が楽になる贈り物をしようかと思ってね。王家公認の通行手札だ……行き先は、隣国との境目にあるエゴス辺境伯領。あの辺りは景色がいい場所だからね」
グレン大公の言葉に、ヴェルバはピクリと眉を震わせた。
「……辺境伯領、だと?」
「そうだよ。君たちの旅行先にはピッタリだと思うけどねー」
あくまでも笑みを崩さない彼の瞳の奥に、ベラはどこか冷徹な色を感じた。
ーーーやはり、何か企んでおられましたわね。
それがどういう意味合いを持つのか、は読み切れないが、やはり大公にのし上がるだけあって彼も有能な人材なのだ。
「……おい、グレン」
「何だい?」
それまで黙っていたパドーレの問いかけに、グレンが片眉を上げる。
「お前、正気か?」
「何の話か分からないな。……まぁ、一つ言えることは、少なくとも僕は嘘を口にはしていないってことだね。景観が綺麗な土地であることは間違いない」
すると、ヴェルバが鼻を鳴らして、こちらをに目を向ける。
「……面白くはないが、そういうことか」
「おい、ヴェルバ」
「パドーレ兄様。危険がある、という話でしたら、その心配はご不要ですわ。これでも、腕に自信はございます」
「いや、だがな」
「元は戦地、と仰りたい気持ちは分かりますが。この国で暮らす以上、避けては通れぬ実情を目にしてこい、と大公が仰るのでしたら、否はございません」
ベラがそう告げると、グレン大公とヴェルバが少し驚いた顔をした。
「ほう。聡明との噂に偽りなしですね」
「気付くか」
「国は民です。民の事情を介さないほど、愚鈍に育てられた覚えはございません」
辺境伯領付近は、天然の要塞とも呼ばれる山岳地帯によって、両国の壁となっている土地である。
またエゴス辺境伯領側の山岳地帯北方には海面した土地があり、そこを港湾として街づくりを行なっていることから、ペンタメローネ側からは海路の脅威になりうると目されていた。
そのため、国境の辺境領の中でも最も戦闘が激しかった土地でもある。
つまり、最も戦火による被害があった場所……戦争の爪痕が一番残っているところだった。
「国の実情を見ろ、ということでしょう? ただのヴェルバ様の嫁としてではなく、わたくしも含めて国の柱となり得るかどうかを品定めしたい、と」
グレン大公の狙いはそこだろうと、推察を口にすると、彼は軽く手を叩いた。
「お見事」
「……何が婚前旅行だ。結局仕事か」
「何かを査察しろ、という話ではないよ。風光明媚なのも事実で、港街では交易も始まっている。国がどうなっていて、君たちが何を思うかを話し合うには最適だと思っただけさ」
ーーーおそらく、そこまでが狙いですわね。
ベラにとって、望むところではある。
ペンタメローネ王国では……おそらくは元来の大公国であっても、政務には女人禁制の風潮が強い。
そのため、いくら腕があろうと、知恵が回ると評されようと、ベラが貴族として民のために働けることはせいぜい、戦災によって両親を失った子どもたちや兵士への慈善や慰労程度のことだったのだ。
実力主義者である、というグレン大公の性格への読みが、真であるとするのなら。
ーーー目に敵えば、わたくしも民のために働くことが出来る、ということですわ。
これが望むところでなければ、何だと言うのか。
ただの政略結婚で添え花となるより、よほど有意義なことだ。
「行きましょう、ヴェルバ様」
「……本当にいいのか?」
「ええ。土地としても目の保養になるのでしょう。お互いの仲を深めることと共に、わたくし自身の見聞を広めることが出来るのなら、慎んで承りますわ」
ベラの答えに、ヴェルバはグレン大公の差し出した木札を受け取る。
「腹黒。もしこれでベラが貴様の目に敵わなければ、この話はなしだ。別の相手を見つけろ。そして俺は、辞める」
「ずいぶんと条件を盛るね。でも、いいよ。そんなことにはならないと思うからね」
そうしてヒラヒラと手を振る大公と、最後まで心配そうだったパドーレを置いて、ベラとヴェルバは出立した。