説得に成功(?)しましたわ。
「だが俺は、辞表を出した。もう参謀ですらない。婚姻する意味など……」
「そのようなもの、すでに握り潰されております」
「なんだと?」
なおも抵抗しようとするヴェルバに、ベラは手にしていた紙を差し出した。
「書状をお預かりしております。どうぞ」
ヴェルバが手に取ろうとしないので、ベラは自分でそれを開いて示してみせる。
その時に、ちらりと内容が見えた。
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〝白磁の獅子〟殿。
戦争が終わって、休暇が欲しかったか?
くれてやる。ドンナ侯爵家御令嬢と婚前旅行にでも行って、親交を深めるといい。
しっぽりとな。
ーーー親友より、心からの祝福を込めて。
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「……あの野郎……」
ヴェルバはめまいを感じたように、机に手をついた。
グレンに対してそのような反応を見せるところは、気が合いそうな気もしますわね、とベラは思った。
彼の理解し難い行動や言動に惑わされるくらい、まともな思考回路の持ち主だということだから。
「お分かりいただけましたか?」
「いただけましたか、じゃね……ぇ、よ?」
バッと顔を上げたヴェルバは、ベラの顔を見てポカンとした。
「なんで赤くなってるんだ?」
「……これでも、乙女ですので」
頬が少し火照っているのを、ベラは自分でも感じていた。
むつみごとに関する話をきちんと教えられていても、実際にそうした話を経験したわけではない。
言い寄ってくる男もおらず、本当の純潔なので反応に困ってしまう。
そんなベラを見て何を思ったのか、ヴェルバは凶悪な爪の生えた手でぐしゃりと鬣を掻き上げる。
「なぁ、ベラ。諦めないか?」
「諦めて欲しそうなのは、私や周りの人間を含めて貴方だけのように見えますが。しかし、婚前旅行ですか……悪くないのでは?」
「何がだ」
「お互いによく知った上で、実際に婚姻を結ぶかを決めては如何でしょう? ……どうやら、親友殿にも何かしらの狙いがありそうですし」
「まぁ、あのクソ野郎は腹黒いからな。……とりあえず一度だけ奴に会いに行く。異論はないな?」
「もちろんですわ、旦那様」
「まだなると承諾したわけではない!」
既成事実にしてしまおうと、しれっと口にしてみたが、即座に否定されてしまった。
「残念ですわ」
ベラが淡々と告げると、ヴェルバはため息を吐いた後、ベラとパドーレと共に竜車に向かう。
腰掛けた彼の体が大きすぎて少し窮屈か、と思っていると、ヴェルバが腰掛けて目を閉じた時に不思議なことが起こった。
しゅるしゅると彼の体が縮み、姿を変えたのだ。
「……その、お姿は?」
獅子姿の時の鬣と同様の白磁の髪と、青い瞳。
しかし、流麗で涼しげな人間の美貌を持った、引き締まった細身でありつつも長身の青年が、そこに立っていた。
ヴェルバが人間サイズになると、野獣の肉体によって膨れ上がっていた漆黒の外套は膝丈の、腰元を覆っていた中のローブは膝丈の服になっていた。
「……俺は半獣人だ。二つの姿がある。早く乗れ」
獣人に関して詳しくはないが、人の顔をした獣人もそうでない獣人もいるように、二つの姿がある獣人もいるようだった。
ベラとパドーレが乗り込む間に、ヴェルバが襟元の紐と前のボタンを締め直すと、あつらえたようにピッタリと彼の体を包む。
最後に、細いチェーンのついた細いメガネをかけた彼は、鋭い目の印象が和らぎ、知的な印象に様変わりしていた。
正面に座ってまじまじと見つめていると、幌の小窓から外を眺めていた彼が、不愉快そうに眉根を寄せる。
「なんだ」
「お美しい顔ですわね。獣の時にも感じましたが」
「お前はツラで人を判断するのか?」
「ベラですわ。いいえ、差別されると仰いながら、なぜ常に野獣のお姿をしておられたのか、不思議に思っただけのことですが」
この姿で常にいれば、彼が差別されるどころか結婚相手も引くて数多だろう。
すると、小さく皮肉げな笑みを浮かべたヴェルバは、平然と答えた。
「決まっているだろう。俺は獣人である己に、誇りを持っているからだ」
「では、なぜ今、人間のお姿に?」
「狭いからな。……それに、もし仮に御令嬢をエスコートするようなハメになったら、誰がどういう目で見られるかを気にしないほど、配慮に欠けるわけでもない」
「わたくしは、気にしませんが」
「今言っただろう。俺が気にするんだ。……だが、旅の間に竜車や馬車の用意はできんぞ。ついてくるなら勝手にしろ」
「これでも、足には自信がございます。それに、徒歩である必要はありませんわ。この車を引いている竜はわたくしの騎竜です」
「ほぉ。ベラは竜を駆るのか。女傑との噂は本当のようだな」
竜は力強いが、気性が馬よりもさらに荒く、乗り手を自ら選ぶのである。
「お褒めに預かり、光栄ですわ。旦那様」
「まだ、婚姻を受け入れるとは言っていないだろうが! ……まぁ、思った以上に美しく、芯の強い女だとは認める」
目を逸らしつつ告げられた言葉に、小さく微笑みを浮かべる。
それは、ベラにとって最上の褒め言葉だった。
「でも、少し残念ですわね。出来れば、獣のお姿の時に、毛並みを撫でさせていただきたいと思っていたのですが……」
「お断りだ」
再び渋面になったヴェルバは、それ以降口を開かなかったが。
ベラはなんとなく、彼と上手くやれそうな気がしていた。