辺境伯の物言いは、不快ですわ。
「魔薬ですと……?」
「はい」
辺境伯領にたどり着いたヴェルバは、辺境伯に面会していた。
ベラは目立たぬよう、傍らに控えて口をつぐんでいる。
「かの街の徴税などを取り仕切る男、ガストンという者が、下賤な風体の者と何やら言い争いをしておりました。その場に落ちていたのが、これです」
ヴェルバがテーブル越しに差し出した包みに、辺境伯は手を伸ばして中身を確かめた。
そんな辺境伯の様子を、ベラはジッと観察する。
辺境伯は、彫りの深い顔立ちをした、老齢ながら大柄な人物だ。
おそらくは武技の鍛錬を欠かしていないのだろう、と思われる引き締まった肉体をしており、自他ともに対して厳しそうな威圧的な表情を浮かべている。
そんな辺境伯がヴェルバに向ける視線は、どこか冷たいものであるように感じられた。
「街中にこれが出回っている、というのが事実であれば、由々しき話です」
「はい。こちらの調査をお願いしたく、参上致しました」
ヴェルバの物腰は、あくまでも丁寧なものだった。
差別的な扱いを受けることが多いだろう彼は、貴族に関して良い印象を持っていないだろう。
それでも、辺境伯に関してはある種の敬意を払っているように、ベラには感じられた。
しかし。
「他者の領地に介入するのは、出過ぎた真似、とは思いませぬか、参謀殿」
辺境伯のほうは、そうではないようだった。
鼻を鳴らすと、そっと魔薬の袋をテーブルの上に戻す。
「隣国との友好のために、婚約をなされたという話は、大公から聞き及んでおりますが。その細君を連れて、何ゆえこの地に入られた?」
「……諸事情がございまして。参謀職を辞そうと考えております」
ーーーヴェルバ様?
明らかに悪意的な辺境伯の当て擦りに対して、ヴェルバは表情も変えずに淡々と言い返すが。
その事実をあっさりと口にするのは、ベラには予想外だった。
「ほう。ようやく身の程を弁えられた、ということですかな」
「元より弁えております。しかし、こちらのドンナ嬢が気骨のある女性でして。職を辞するのに合わせて、彼女に対しても断りを入れたのですが、少々強情に嫁ぐと聞かない」
その言い方はカチンと来たが、この場では余所者であるため、ベラは黙っていた。
「その説得を兼ねて、少々国境の視察を大公陛下より賜っております。こちらがその証拠です」
と、ヴェルバは大公印の入った旅券を示した。
「なるほど?」
辺境伯は、その説明に対して少しだけ表情を緩め、おかしげな様子でこちらを見る。
「ドンナ嬢。貴族でもない獣人に嫁ぐというのに、それを受け入れられたのか」
「務めにございますれば」
ベラは、短くそう答えた。
別に嫌々嫁ごうというわけでもないので、予想した反応ではあるが、好ましくはない。
「ですが、参謀殿は職を辞すると」
「ご本人が仰っておられるだけの話ですわ。大公陛下は受け入れておられません」
「ふむ」
辺境伯はヴェルバとベラの表情を見比べた後、口の端を上げると、彼に接するよりは多少、好意的な声音で告げる。
「隣国、トレメンス家と交友が深いだけあって、ドンナの者も子女を含め勇猛であらせられる。蛮勇ではないことを祈るばかりです」
「これでも『人』を見る目には自信がございます」
氷の令嬢の面目躍如、一切表情も声音も変えずに皮肉を返すと、辺境伯はますますおかしげな様子で幾度かうなずいた。
「なるほど。……一つ詮なきことをお伺いするが、トレメンス家前当主、アラン・トレメンスと何らかの面識が?」
「幾度かお目通りしたことはございます。幼少の頃、妹が剣の聖女に封じられた際に、守護を買って出ていただいたご縁もありますので」
以来、幾度か封印の塔に足を運んだ際にも良くしてもらい、貴族の心得を幾つか説かれたことがあった。
その武勇と共に、語る言葉にも含蓄があり、尊敬する一人に数えている。
……態度こそ軽薄と呼ばれても差し支えない老人で、そう、まごうことなき『パドーレの祖父』ではあったが。
「それが何か?」
「いえ。ふと思い出しただけです。私は戦地にまみえ、負け、一度かの人物に囚われたことがありますので」
あっさり告げられた事実に、ベラは思わず表情を変えかけた。
「囚われた?」
「ええ。隠しているわけではありませんので、公言していただいても構いませんよ。身代金と交換で解放された後、長くバカにされたこともある。が、その話は置いておきましょう」
辺境伯は、静かに言葉を重ねた。
「もし対話の機会があれば、アンデルセン辺境伯のフリンが面会を望んでいた、とお伝え下さい。アラン殿の口にした教訓は、今も私の中に生きている、と」
「教訓、ですか?」
「そう。……『個人の心に根差す好悪ではなく、貴族なら義に通ぜよ』、とアラン殿は仰った。そして、味方を逃すために殿を務めて囚われた私を、傷一つ負わすことなく金だけで釈放されたのです」
感謝の気持ちを直接伝えたい、と口にした辺境伯にベラが了承を返すと、彼は再びヴェルバに冷たい目を向けた。
「私は、個人の資質があろうとも、寵愛のみで志なき平民を徴用する大公陛下のやり方を、好ましくは思わない。が、民を腐らせる魔薬に関する情報をもたらしてくれたことには感謝しよう。以上だ」
「ありがとうございます。では、これにて失礼いたします」
頭を下げたヴェルバと共に場を辞して城を出ると、ベラはポツリとつぶやいた。
「あの物言いは、不快ですね」
「辺境伯は基本的には貴族派だからな。しかし、高潔な人物だ。こちらの報告を握りつぶすような真似はしないだろう」
「あれほど侮蔑されて、腹が立たないのですか?」
短気なヴェルバらしくもない、とベラが思っていると、彼は皮肉そうに口元を歪めた。
「彼は事実しか口にしていない。俺に国を思う志がないのも、貴族でもない獣人に令嬢が嫁ぐのがおかしいことも、どちらもその通りだろう?」
「国を救う志はなくとも、仲間を想い助ける志も優しさも持ち合わせておられるでしょう。人を想う形を勝手に決めつける、一面的な物の見方を不快とは思いませんの?」
ベラの言葉に、ヴェルバは目を丸くした。
「わたくしは、何かおかしなことを?」
「仲間を想う……?」
「でなければ、今この時に至るまで、嫌な参謀職を大公様のためにお続けになってはおられなかったでしょう?」
彼の目を見上げてはっきりと告げると、彼は少し押し黙ってから、目を逸らした。
「……そうかもしれんな」
と、つぶやいたヴェルバの口元が、小さく緩んでいるような気がした。
「君には、時折言い負かされる」
「別に口論をしているつもりはありませんわ」




