もう一組の美女と野獣。
ーーー辺境伯直轄地。
アンデルセン大公家に名を連ねる者と、許可を受けた者だけが使用を許されたワイバーンによる飛竜車に乗ったパドーレは、モーリエと共に眼下に見える街並みを見下ろしていた。
「美しい景色だね、モーリエ。君ほどではないけれど」
言いながら目を向けた相手は、小柄な体格の女性だった。
兄とは腹違いらしく、赤い瞳に関しては共通だが、優しげな垂れ目をしていて、少女のような愛らしい顔立ちであり、肌は白く透き通っている。
金糸の髪は巻毛であり、緩やかにロールして顔の脇に流れていた。
「景色と女性の美しさは、違うものでしてよ、パドーレ様。引き比べるものではございませんわ」
そうピシャリと言われてしまい、パドーレは肩をすくめた。
「つれないな。君を褒めたつもりだったのに」
「光栄ですわ」
微笑みを浮かべたモーリエは、小首を傾げる。
「ですけれど、わたくしよりも気にかかることがありそうな様子で言われても、心には響きませんの」
「おや、バレてたか」
「これでも、人を見る目には自信がございましてよ」
外見とは裏腹に、彼女は聡明だ。
それは、パドーレも理解していた。
「何を気にかけておられますの?」
「先行しているグレンの部下が、接触してくるはずだったんだが」
急いでいるわけではなかったので、道中、いくつかの街に降りたのだが、それらしき相手から話しかけられたりはしなかったのである。
「あら、そうでしたの」
「ああ。ヴェルバとベラを護衛している間者らしいんだが……」
別に彼女に隠すことでもないので、素直にそう伝えると、何故かモーリエは溜息を吐いた。
「パドーレ様」
「何だい、モーリエ?」
モーリエは、パドーレの頬を手で挟み、その顔を覗き込む。
パドーレは思わずにやけた。
「どうしたんだい? 愛を囁いてくれるのかな?」
「違いましてよ。パドーレ様、貴方のように、強く、実直で、時に可愛らしい方に甘やかされるのは、悪い気分ではないのですけれど……そう素直ですと、少々心配になりましてよ」
「どういう意味かな?」
モーリエに頭を撫でられて、ますますニヤけるパドーレに、彼女は目を細めた。
「ーーー連絡役は、貴方の目の前にずっと居ましてよ」
パドーレは、一瞬何を言われたのか分からなかった。
「……は?」
「パドーレ様。先ほども申し上げた通り、甘やかして下さるのは嬉しいのですけれど。……仮にもアンデルセン大公家に生まれ落ちた者が、ただの箱入りでいられる道理がありまして?」
問われて、パドーレは少し考えた。
言われてみれば、グレンにはヴェルバたちの護衛の交換条件のように提示されたが。
あの肌だけでなく腹まで黒い男が、タダも同然でパドーレのお楽しみのためだけにモーリエを同行した寄り道を許すはずもないような気がした。
「……なるほど。つまりグレンは、最初からそのつもりで俺を謀ったと」
「そういう事ですわ」
モーリエは、薄い笑みを浮かべる。
そうすると、可愛らしい顔立ちに、ゾクリとするような妖しさを醸し出す。
「これでも、貴方の愛しのモーリエは、謀戦に長けておりますの」
ーーーこういう顔も悪くないなぁ。
パドーレがそんな風に思っていると、モーリエが言葉を重ねる。
「ヴェルバ様とドンナ家の御令嬢は、既にここ、辺境伯直轄地に入っておられます。道中、特に問題は起こらなかったので、ご報告は致しませんでしたけれど……どうやら、都の教会の方では何やら動きがあったようでしてよ」
「ほう」
「そちらに関しては、辺境伯との薄い繋がりがございましてよ。少々警戒の必要があるかと思われます。居所も、大体の目処はついておりましてよ」
「ふむ。ヴェルバたちに害がありそうな気配が?」
「ええ」
ーーー教会、ということは、ベラが狙いの可能性があるか。
彼女の〝見霊の瞳〟に関しては最重要の秘匿事項ではあるが、どこかから漏れている可能性が僅かでもない、と楽観視出来るものでもない。
ーーー消すか。
仮にヴェルバを狙っているにせよ、瞳とは関係なしにベラを狙っているにせよ、アンデルセンとペンタメローネの友好に亀裂を入れようとしているのは間違いない。
放置しておく道理もなかった。
「なるほど。事情は理解出来たよ、モーリエ」
「何よりですわ」
頬から手を離した彼女の手を握り、パドーレは笑みを浮かべる。
「辺境伯にお目通り願ったら、少し一人で出かけて来ようかと思うけど。……君一人で、大丈夫かい?」
「ご自由になされませ。わたくしの周りに侍る者たちも、手練れですし、わたくし自身にも、多少の心得がございましてよ。追々、お見せ致しますわ」
「信じるよ。君の言うことだからね」
パドーレは片目を閉じて、さらに言葉を付け加える。
「ところで、それよりも気になることがあるんだが」
「何でしょう?」
「俺は謀りごとの得意な君の手練手管にまんまと絡め取られて、惚れてしまったということかな?」
「あら、心外でしてよ。『一目惚れだ』と、初対面で情熱的に口説かれたと記憶しておりますけれど……違いまして?」
可愛らしい上目遣いで、照れたような笑みを浮かべるいつものモーリエに、パドーレは一つうなずいた。
「違いない」
「演技と思われるのは、癪でしてよ。これでも、パドーレ様を好ましいと思っておりますの。わたくし」
「嬉しいよ、愛しのモーリエ」
言いながら、パドーレが彼女の手の甲にキスをして馬車の窓に目を向けると。
薄いレースで出来た目隠しの向こうに、辺境伯の住まう城が見えた。