司祭と子飼い。
ーーー深夜、聖教会司教室。
「魔薬……ですか」
「はい。ここ最近、スラムでちらほらと出回っているとの噂を耳にしまして、探っておりました」
「なるほど」
白いものの混じる長く豊かなヒゲを備えたマーレフ司教は、ガストンの報告に静かにうなずいた。
ふくよかな彼は温厚な人柄で知られており、この街の信徒たちに信頼の厚い、中心的な人物である。
「その者は捕らえたのですか?」
「はい。捕らえた時に所持していた魔薬が、こちらです。今、売人は教会の反省室に押し込んであります」
ガストンがそれを差し出すと、受け取ってちらりと中身を見たマーレフは、静かにそれを執務机に置いて難しい顔をした。
「……なぜ、憲兵に突き出さなかったのです?」
「連中は、貧民を人とは見ておりません。領主には良い顔をして、裏で弱者を食い物にすることしか考えていない、犬どもです」
「ガストン。気持ちは分かりますが、口は慎むものです。それが、災いを招くこともあります」
「……申し訳ありません」
怒りを押し殺した様子のガストンは、不満そうではあったが頭を下げる。
「貴方自身も、領主にお仕えしている身。厳格であることは悪いことではないですが、神は全てを見通しておられます。悪意の者は、いずれ天より罰が下されることでしょう」
「であれば、良いですが」
ガストンは、彼自身も別に清廉潔白だなどとは微塵も思っていない。
仕事で多少荒く取り立てをすることもあれば、人並み以上に欲もあるし、何より短気だ。
酒を呑んで馬鹿騒ぎもすれば、腕っ節や頭の出来で相手を見下すこともあった。
それでも。
「アレは、人を壊すものです。アレのせいで頭がおかしくなり、欺瞞の幸福の中で死んだ者を幾人も見て来ました。本人は幸せかもしれませんが……俺の親父も、何も分からなくなっておふくろを殺した」
ガストンは、一時はスラムで暮らしていた。
戦争によって土地も荒れ、人も荒れ、ただでさえ金がなく飢えに苦しむ生活をしていたのに、魔薬のせいでさらにどん底に叩き落とされたのだ。
一家離散の後、運良く親類に見つけられたのはガストンだけで、他の兄弟たちの行方も分からないまま。
死に物狂いでのし上がった今も、魔薬の存在だけは許し難いと彼は思っていた。
「……悼ましい話です」
ガストンの憎しみや悲しみに寄り添うような顔で、マーレフは彼の肩にそっと手をかける。
「売人の身柄は、こちらで預かります。しかるべき措置を取り、魔薬を広める者を暴きましょう。……私の方から進言すれば、領主も動くことでしょう」
「よろしくお願いします」
「そして貴方は、しばらくこの土地を離れたほうがいい」
「何故ですか?」
不審に思った表情のガストンに、マーレフは静かに言葉を重ねる。
「おそらく、魔薬を扱う者たちは何らかの後ろ盾を持っている。でなければ、戦争後厳しく取り締まられているこの薬を、ただの荒くれ者が手にすることは出来ないでしょう。……となると」
「こちらに危険が及ぶ、と?」
「ええ。貴方の雇い主である領主には、私の方から話を通しておきます。以前、夏には地元に帰るとおっしゃっていたでしょう。それが少し早まったと思いなさい」
「……分かりました」
マーレフに再び頭を下げてガストンが退出すると、白い髭を撫でて目を細める。
「やれやれ……目ざとさが役に立つこともあるが、こういう時は厄介ですね」
ガストンは、土地代や税を取り立てる者の元締めだ。
目端が聞き、職務に熱心なので重宝していると領主は言っていたが、この魔薬を広めて富を蓄えているのもまた、領主なのである。
その元となる植物の栽培は……マーレフが、教会内の子どもたちを使って行っているのだ。
「あの様子では、ほとぼりが冷めるまで……というわけにはいかないでしょうね。領主にとっては、有能な子飼いが消えるのは痛手でしょうが」
ガストンには、永く土地を離れてもらおう、とマーレフは決め、領主に面会を取りつける段取りを始めた。




