婚約者の謎が、ますます深まりますわ。
「市場で買い足しをする」
翌朝、ベラはカーロを手綱で引きながら、ヴェルバと共に市場に赴いた。
周りを歩く人々が、竜を見て驚き、続いて不思議そうな顔をして避けていくのに、首をかしげる。
「ヴェルバ様。なんだか見られていますが、何かおかしいでしょうか?」
「旅人が竜を連れているからだろう。竜車も引かず、さりとて君は世話係には見えんからな」
「なるほど」
やはり人の印象は、いる場所や状況によって感じ方がずいぶん違うものらしい。
「彼らから、わたくしたちはどう見えるのでしょうね?」
ベラは、日持ちする果物であるリンゴを選んでいるヴェルバを見ながら、ふと気になったことを口にした。
彼と自分は、一応のところ婚約者で、今は婚前旅行中。
しかし周りから見た時、自分たちの関係性はそう見えるものだろうか。
いくつかのリンゴを選んで、露天商に貨幣を手渡したヴェルバが、そのまま歩き出す。
「……男女の二人連れは、珍しくはない。が、釣り合いは取れていないだろう」
「そうでしょうか?」
「傭兵と貴族だからな」
「稀代の参謀と箱入り娘の間違いでは?」
そう切り返すと、ヴェルバは渋面になった。
何か、気に障る言い方をしてしまっただろうか。
「俺は、なし崩しで責任を押し付けられただけの平民だ。俺よりもよほど、君の方が教養はある。頭の回転も早い」
「ですが、経験はありませんわ」
先日のこともそうだが、彼の言葉に説得力があるのは、それまでの経験という裏打ちがあるからだ。
ベラには、知識はあっても実際に旅人としてどう振る舞うべきかという点が全く見えていない。
「それにわたくしは、人付き合いが上手い方とは言えません。貴族としてもさほど、優れているとは言い難いですし」
本当に自分は箱入りなのだと、ベラは思っていた。
世間知らずゆえに、彼の手を煩わせてしまっているし、強気に出れたのは後ろ盾があるからだと、知ってはいても分かってはいなかった。
「釣り合いが取れないというのなら、わたくしの方がよほどヴェルバ様との釣り合いは取れていないでしょう」
「そんなことはない。……君は、聡明だ。経験など、生きていれば積める。生まれ持った器量の良さも含めれば、引く手数多だろう。政略に従って俺などと添うに相応しいとは、とても言えん」
「確かに、婚約を定められたのは政略ですけれど」
「そして獣人だ。……人間の君が嫁いだとて、子も為せぬ」
ヴェルバの言葉に、ベラは戸惑った。
「どういうことでしょう?」
「知らんのか? 獣人は、人とは種が違う。夜を共にしても、子は生まれぬ」
「ですが、ヴェルバ様は半獣人だと。人と獣人の間に生まれた、という意味ではないのですか?」
「俺の父は分からん。母は、人だった。そしてその間に俺は、獣の姿と人の姿を持っていた。……ただ、それだけの話に過ぎん」
ヴェルバは、どこか自嘲するように笑う。
「母は、父のことを語らなかった。だから俺は獣人でも人でもない。自分が何者なのかも知らない。俺はどちらからも異端の存在なのだ」
意味が飲み込めず、ベラは彼の顔をまじまじと見つめた。
ーーーヴェルバ様が、異端……。
獣人と人の間に子が生まれないのなら、ヴェルバの存在自体がおかしいということになる。
精霊に愛されている、人でも獣人でもない、謎の存在。
「では、わたくしと同じですわね」
「何だと?」
「わたくしもまた、人に秘すことを科せられた瞳を持っていますので」
ベラの返答に、ヴェルバは眉をひそめた。
「どういう事だ?」
「ヴェルバ様同様に、わたくしも人とは違う、という意味です。この瞳は動乱を招くと、親族は懸念しておりました。その事実を知るのもまた、かなり近しい者ばかりです」
「……なぜ、俺にそれを話した?」
「逆に問わせていただきますわ。なぜ、わたくしに、それを話してくださるのです?」
ヴェルバは、一瞬言葉に詰まった。
何かを考えるように軽く目線を動かしてから、小さくボソリとつぶやく。
「君の相手の選ばれた男が、どれほど胡散臭い存在かを教えたかっただけだ。君には話しておかねばならんだろう」
「同様に、ですわ。添い遂げる以上、いずれ知っていただくことです」
「まだ認めたわけではない」
「頑固ですわね」
「それは君の方だろう。……嫁ぐにしてもそうでないにしても、貴族の長子である以上、子を為せぬことは重大な事実であるはずだ」
その言葉に、ベラは淡々と言葉を返す。
「ヴェルバ様が生まれたのなら、次がある、という可能性は残ります。不確定ではあっても、その程度は障害とは呼べませんね。それに、お父様はそれを理解した上でわたくしを寄越しているはずです」
いかに王命とはいえ、ヴェルバのことを一切知らずにそれを承諾するはずがない。
ベラの父は、愚鈍ではないのだ。
「……気丈なことだ」
「そもそも、獣人が一代以上の貴族となった例は、ペンタメローネではございません。である以上、ヴェルバ様を受け入れた時点で、子のことを気にしても始まりませんわ。わたくしには妹もおります」
もしベラが半獣人の子を産んだところで、敵対する宰相派がそれを理由に家督を継ぐことをごねる可能性は高かった。
妹は『封印の塔』に封じられているが、おそらく役目を終えれば、嫁ぐ相手は地位か名誉を持ち合わせた高潔な人物となるはずである。
「わたくしが子を得られずとも、あの子がいれば問題はないでしょう」
彼女の状況は、いずれ動くはずだ。
あの子の役目はそうしたものなのである。
その話も、ヴェルバにはしておくべきかもしれないけれど、ベラと彼には今、それ以上に、自分たち自身の話が必要だと思った。
「他に何か、気になることはありますか?」
「本当になぜ、君はそこまで俺に固執するんだ? どう考えても、婚姻を結ぶ相手が俺である必要は、君にはないだろうに」
「アンデルセンに嫁ぐことは決まっております」
「だから、幾度も言っているが。その相手が、俺である必要はないだろう」
相変わらず理解しがたい、という顔をするヴェルバに、ベラは小さく笑みをこぼした。
「ございますよ」
「ない」
「ございます。わたくしにも、好みというものがあるのです」
「……は?」
ヴェルバがポカンとするのを見て、ベラは、この殿方は優しいのに察しが悪い、と思った。
どうにも、自分を下に見過ぎているのではないだろうか。
ベラは自分の胸に手を当てて、彼の整った顔を見上げる。
「わたくしは、ヴェルバ様を好ましいと思っているのです。……決められた役割を果たす上で、相手が意中の殿方であれば、それは嬉しいこととは思われませぬか」
自分で言っていて、少し頬が熱くなる。
気持ちを口にするのは、恥ずかしい。
そのような思いを自分にさせるヴェルバに、少し腹立たしさもあったが。
「強く聡明で、芯があり、自分のことよりもこちらの立場を気遣ってくれる殿方に、心惹かれては、おかしいでしょうか?」
ベラの問いかけに、ヴェルバは足を止めた。
そのままマジマジと顔を見つめられるが、ドン、と通行人の一人が彼にぶつかって我に返ったようだ。
再び歩き出して、しばらく黙り込んだ後。
ヴェルバは、大きく息を吐いた。
「君は、本当に変わり者だ」
「よく言われますわ。そして、わたくしの問いかけに返事がございませんけれど」
そう指摘すると、彼は何やら喉の奥で唸りに似た音を立ててから、こちらの顔を見ずに、ぶっきらぼうにつぶやく。
「……君のような娘に、率直な好意をぶつけられて、嬉しくない男などいると思うか」