大彗星の輝く夜に
2020-12-06
安価・お題で短編小説を書こう!9
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/bookall/1601823106/
登場人物
ヴィダーナ、ヴィーシャ、主人公
ダルガスラーフ、ドーリャ、主人公の夫、伯爵
ジィニトヴラート、ジェーニャ、家令、名前のみ登場
>>154
締め切りに間に合いませんでしたので、供養枠での投稿です
使用お題→『新婚』『鉄棒』『螺旋』『大彗星』『追放』
【大彗星の輝く夜に】
星空には月が懸かり、月の反対側には大彗星が、まるで何年も前からそこにいるかのように、白くて大きな尾を輝かせていた。
声が聞こえる。
「そうだ、夜空の半分は私のものだ」
夫が帰ってきたので、私は二階の窓から離れて、玄関ホールに続く階段へと足を向けた。
階段の前の廊下で手摺り越しに見下ろすと、たった今玄関から入ったばかりの彼が、その場にしょんぼりとたたずんでいた。
いつも頭に載せているぺちゃんこの帽子も、頼りなく引っ掛けられた外套も、その様子は普段とそう変わらず、ただ本人は少しだけ疲れているように見えた。
螺旋階段を下りる。水平に回転する私。一度壁の方を向いて、それから再び彼を視界に捉えると、遠くからでは分からなかった彼の表情が、その心の中まで見通せるのではないかと思えるほどに、ありありと私の前に現れた。
「ドーリャ、顔色が悪いわ。何かあったのですか」
彼は、帽子と外套を使用人に預けると、それこそ天球に張り付いた彗星のように固まって、微動だにせず、青白い顔をうつむけて、立ち尽くしていた。
私は心配になって、一歩、彼に向かって踏み出した。すると彼は、その時ようやく私と目を合わせ、そうすることで私を押しとどめようとするかのように、のろのろと口を開いた。
「ヴィーシャ。もう伯爵家は終わりだ。君は実家に帰った方がいい」
*
まるで幽霊か抜け殻か、そんな彼の手を取って、私は彼を食堂まで連れていった。
彼の手に触れた瞬間、不謹慎かも知れないけれど、私の胸は高鳴った。こうして手をつないで歩くのは、ほとんど初めてだったからだ。結婚式以来かも知れなかった。
白くて細い指は女性のようで、けれども幅の広い手の甲は、私のそれよりも、ずっと大きかった。
彼の手は冷たかった。それは死人の手のようで、もちろん私は不吉に感じたけれど、だからこそ、私がその手を握っているのだった。
食堂では、広い食卓の、とりあえず一番手近な席に彼を押し込んで、私はその隣に座った。
彼の様子を見る限り、とても食事どころではなかったので、お茶と軽食だけを用意させて、まずは二人きりで話すことにした。
彼はなかなか口を開かなかったが、私が黙って待っていると、やがて気持ちが落ち着いてきたのか、ぽつぽつと語り始めた。
「ジィニトヴラートが逮捕された」
最初に口から出た言葉がそれだった。『ジィニトヴラート』は、先代から仕える家令の名だ。
「あ、いや、逮捕はされてない。だけど連行された」
そう訂正する。
先代——彼の父親——が急死して、彼が伯爵家を継いでから、まだ半年も経っていない。だから、彼には伯爵家の実務をこなす能力がない。
「それは……大変なことになりましたね」
それでなくても、優秀な使用人がいないと、伯爵家は立ち行かないのに。
「ああ。だけど、それは大丈夫だ。彼はすぐに戻ってくる。事情を聞かれてるだけだから」
なんの事情だろう。
「反乱の計画が明らかになった」
「まあ」
「だけど冤罪かも知れない」
「そうなんですか」
よく分からない話だった。多分、話している彼自身、よく分かっていない。
「今夜も彗星がよく見えた」
「そうですね。私も二階の窓から見ておりました」
なんの話だろう。
「あれは不吉なことが起こる兆しだと言う人もいる。私も同感だ」
「そうなんですか」
不吉がどうとかは、私も知っている。だから、私が知りたいのは、そういうことではない。
「ああ、もう駄目だ。君には申し訳ないことになった。結婚して半年。父が亡くなり、私はこんなで、最後には家が傾くようなことになってしまった」
それだけ言って、彼は再び口をつぐんでしまった。
この頼りない人と私が出会ったのは、今からおよそ一年前。すぐ下の妹が結婚して、その下の妹も婚約するに至って、私のやる気のなさに業を煮やした母が、どこかその辺から連れてきた人だった。
とんとん拍子に話は進み、私には——多分彼にも——なんだかよく分からない内に、私たちは結婚していた。
「あの」
私から話し掛けると、テーブルの上の何かをぼんやりと眺めていた彼は、こちらにゆっくりと視線を向けた。
「ジィニトヴラートや伯爵家は、その計画には関与していたのですか」
私がそうたずねると、彼は、口を引き結び、一度姿勢を正してから、私の方に向き直った。
「いや。ジェーニャの話を聞く限りでは、彼も先代も、反乱のことは何も知らなかったようだ。だから驚いているし、計画の存在が事実かどうかも、私には分からないんだ」
「では、伯爵家には関係のない話で、それがどうして、家が傾くということになるのですか」
「それは……出資だ。反乱の関係者が、それも複数、事業を始めるというので、様々な名目で資金を提供していたらしい」
お金。資金繰りの問題。きっと相当な額に上るのだろう。それこそ、何かあれば、伯爵家が傾いてしまうくらいに。
だけど……それはおかしい。それだけの金額を貸し付けておいて、その使い道に気付かなかった、そんなことがあるのだろうか。
「ヴィーシャ、君には難しい話だろう。済まない。君が心配することじゃない」
考え込む私を見て、彼はそんな風に言ってきた。
それはどうなんだろう。確かに私も、伯爵家の経営については、何も知らない。だけど、そんな無責任でいられるものだろうか。知りたいと思うのは、いけないことだろうか。
私は、彼の灰色の瞳を見詰めて、こう言い返す。
「ドーリャ。私だって、これでも伯爵家の女主人ですよ。心配だってしますし、事情を聞きたいとも思うものです。まずはその、出資、ですか? それはどのくらいの金額だったのでしょうか」
彼は自身の手元に視線を落とした。そして、私の質問に答えるでもなく、他に何かを言うでもなく、まばたきを繰り返した。
しばらくの間そうしていたが、やがて、再び口を開いた。
「金額は……よく分からない。ただ、そんなに大きな額ではない。全額が回収不能になったとしても、君や私の暮らしには、直接の影響はないはずだ」
「では、どのような影響があるのですか」
畳み掛けて質問されるとは思っていなかったのか、彼は、またしても固まってしまった。
彼は最初、『伯爵家は終わりだ』と言った。だけど話を聞いてみると、家令は事情を聞かれているだけだし、資金繰りの問題でもないらしい。
「その……もしも、反乱の計画が事実であったとして、だ。体面が悪いだろう、粛清される側と深いつながりがある、というのは。信用がなくなるし、今後の付き合いやら取引やら、大きな影響がある」
「そうなんですか」
「ああ。悪くすると、社交界追放、だな」
追放。なるほど、それは具合が悪いかも知れない。もちろん、今の時点では、仮の話だけど。
言葉にしてすっきりしたのか、彼の表情は心持ち晴れ晴れとしている。
「だからヴィーシャ。さっきも言ったが——」
「それで」
「——なんだ?」
まだ何かあるのか。面食らった顔をして、彼はそう言いたげだ。
「それで、それの何が問題ですか」
「何って……社交界追放のことか」
「ええ」
「問題ならある。横のつながりというのは、君が思っている以上に大事なものだ。情報が入ってこなくなるだろう。何かあった時に、助けてもらうこともできなくなるし」
その『何かあった時』が今なのでは? そう思ったけど、さすがにそれは口には出さない。
「君にだって、付き合いというものがあるだろう。これは伯爵家の問題であって、はっきり言うが、君には関係のないことだ。君は君で、身の振り方を考えた方がいい」
「あなたは——」
言いたいことは分かる。遠慮しているのかも知れないし、彼なりの思いやりかも知れないし、単に臆病なのか、私の相手をするのが面倒なのかも知れない。
「——私のことがお嫌いですか?」
言ってやった。嫌いなら仕方ない。
彼は口をへの字に結んで、視線をさまよわせた。
「私、実家に帰っても、居場所なんてありません。運良く次の人が見付かればいいですけど、見付からなければ……修道院送りが関の山でしょうか」
「いやそれは」
結婚になんて興味はなかった。だけど実家で遊んでいても仕方がないし、これが私の仕事だと思って、この家に来た。
「追放されたようなものですね。実際に来てみれば、思っていたよりも居心地が良くて、つい長居をしてしまいましたが」
彼の表情をうかがう。普段から気弱そうな、ちょっぴり情けない顔をしている彼だけど、今は分かりやすく動揺——おろおろとしている。ざまぁ見ろ、だ。
「今日までお世話になりました。私、実家に帰らせていただ——」
「だっ、だっ、駄目だ! 分かった! ヴィーシャ! 私が悪かった! 実家に帰ったりしないでくれ。私の側にいてくれ。お願いだ」
ティーカップのお茶が揺れた。彼は椅子から立ち上がっていた。
「ドーリャ、無理しなくていいのよ。あなたが出ていけと言うのなら、私はいつでも出ていくわ」
「ヴィーシャ。出ていけなんて言わない。本当だ。……あれだ、愛してる。君を愛してるんだ」
「私もよ、ドーリャ。愛しているわ」
言わせたみたいで悪いけど。
「だけど、そうおっしゃってくださるなら、覚悟を決めてくださいね」
「覚悟?」
彼は椅子に座り直して、神妙な顔をした。別に、そこまで大それた話ではない。
「この家の主人は誰ですか?」
「それは……私だ」
「反乱の話も、お金の話も、社交界追放も。まだ分からない話ですよね」
「ああ……そうだ」
「でしたら。もっと堂々となさってください。『終わり』だなんて、そんなことを言うものではないわ」
「分かった……しかし」
彼は納得していない様子だった。それも分かる。穏やかな人が、ある日突然、自信満々で威張り始めたら、それはそれで不気味だし。
「もし、もしもですよ、社交界追放、なんてことになっても、それはそれでいいじゃないですか」
彼も私も、あまりあちこち出掛ける性格ではない。
「そしたら領地に引き籠もって、晴耕雨読。素敵だわ」
「ヴィーシャ……」
「今、大人気の小説。ご存じですか? 都から追放された貴族が、辺境で大活躍するの」
「ヴィーシャ」
彼は、あきれた調子で、私の名前を呼んだ。
「それはお話だよ。現実とは違う」
そう言って、笑った。
*
夢を見た。
「ドーリャ……?」
夢の中の彼は、いつもと同じ外套を着て、頭には帽子を載せていた。ただ現実と違うのは、真っ暗闇の中に鉄棒が浮かんでいて、彼がそこにぶら下がっていることだった。
いつか見たサーカスのように、彼は鉄棒を回り始めた。
ぐるぐる、びゅうびゅう。風を切る音が聞こえる。
黙って見ていると、彼はどんどん速度を上げていった。風車のように、それよりも、現実では有り得ない速さまで。
やがて彼は、白く大きく輝いて、その光が長く長く尾を引いて、どこかへ飛んでいってしまった。
多分。私も不安だったのだ。伯爵家がどうなってしまうのか。
逃げても良かったけど。私はそうしなかった。
覚悟が必要なのは、私の方だった。
私は、暗闇に輝く、その白い尾を見上げて。
夢の中で、目を閉じた。
人名だけスラヴ風の異世界。
『彗星』と言えば『戦争と平和』ですよね! 異論は認めない! 彗星の登場は一瞬だけど!
言いつつ筆者自身は、アンナ・パーヴロヴナの夜会から抜け出せていないけど……。
『追放』……追放……ペテルブルク追放……ではなく……チェーホフの『追放されて』という短編が、青空文庫に上がっています。
普通にこの作品より面白いんですが、二点。作中の『ロシヤ』は『ヨーロッパロシヤ』、要するに内地のこと。『シベリヤ』はとんでもない辺境の流刑地。
これだけ分かっていれば、ロシアに興味がない人でも読めると思います。
最後に、この作品は『5ちゃんねる』の『安価・お題で短編小説を書こう!』というスレッドへ投稿するために執筆されました。
もしご興味がありましたら、スレの方に(過疎ですが)遊びに来ていただけるとうれしいです。