9:信用を取り戻すということ
「あいつは辞めました。正直スカっとした気分ね」
不倫相手が辞めたその週の休日に悠太の家に訪れる。
職場からの信用を取り戻した。
このまま悠太とも元に戻るんだ。
「あの、職場には正直に話したから・・・」
「そうか、正直に話したのはえらいぞ。ここから『信用』を取り戻していくんだな」
『復縁してください』
と私が言う前に悠太が言葉を発する。
「え?」
思わず私は言う。
彼はなぜか『信用』を取り戻していくんだなって言っている。
でも私は正直に話して『信用』を取り戻したよ?
「失敗をお客に正直に話したからって、信用は戻ってくるってことはないだろ」
彼は小声で呟くように言う。
その呟きを聞いて私は気づいた。
私がやったことは職場に正直に話しただけであることを。
私がクビにならなかったのは、きっと職場が『信用』を取り戻す機会を与えてくれたから。
それなのに私は勘違いした。
『信用』を取り戻す機会を与えられただけなのに、もう取り戻したと勘違いしていた。
「職場からも俺からも『信用』を取り戻すために、これからもがんばれよ」
「・・・はい」
自分の勘違いが恥ずかしくなり、返事が少し遅れてしまった。
でもこれでやっと信用を取り戻すという土俵に立てたんだ。
これから彼の言う通り頑張ればいいんだ。
「そういえば、『やつ』さ」
悠太が声をかけてくる。
「俺に『不倫していたらこれだけ払う』って言ったのに、結局その額に届かなかったんだよねぇ・・・250万ほど」
「え、あの、」
悠太が何が言いたいのか、一瞬理解が遅れた。
やつは悠太の請求額に250万も届いてなかったらしい。
こういった慰謝料の相場は100万から300万って聞いている。
つまりほぼ全額払ってないってこと?
職場を騙し、仕事を無責任に辞めて、謝罪のためのお金もまともに支払えない。
なんでそんなのと不倫したんだろう。
後悔と動揺している私に悠太が耳元でささやく。
「連帯責任って知っている?『責任』を取れない人は『信用』されないよ」
正直であるだけでは『信用』されない。
『責任』を果たし、その積み重ねでやっと『信用』される。
社会人として仕事をしているなら当然の心得ていることだ。
正直でいること、そして『責任』を果たして、『信用』は得られる。
『信用』は取り戻すことは、悠太を取り戻すことなんだ。
不倫して悠太を手放した私はそんなことを本気で思っていた。
*******
悠太と離婚するとき私たちは財産を半分ずつ分け合った。
そして私が受け取ったうちの1/3を彼への慰謝料として支払った。
両親がそれだけは申し訳ないといくらか支払ったときいた。
・・・・思えば元々ある貯金や親のお金でしか悠太に『誠意』を見せれてない。
ならこの連帯責任の250万は、私が汗水流して働いたお金で支払う。
お金でしか『誠意』を見せる手段がないのは、仕方ない。
むしろ、お金以外で『誠意』を見せようとして、結果何も行動しない方がいけない。
250万を汗水流して稼ぐことはそれなりに苦労することだ。
―苦労した姿を見せればきっと悠太も許してくれる。
そんなやましい考えを持ちながら・・・。
今の私の稼ぎを確認する。
このアパートの家賃、毎日の食費を確認する。
そこから毎月、彼に振り込む額を決める。
もし貯金できるなら、悠太を取り戻すために使う。
責任を果たすために使う。
今の計算だとちょっと時間はかかるけど、ボーナスとか賞与とかもつぎ込めば2年くらいで行ける額だ。
土曜は副業とかするのもいいかもしれない。
250万の連帯責任を果たしたら悠太を取り戻せる。
そんな幻想を私は本気で信じていた。
そして、給料日。
そのうちの一定の額を悠太の口座に振り込んだ。
まずは一歩目を踏み出した。
『誠意』を振り込んだこと。
時間はかかるけど『責任』は果たすこと。
私は愚かにも悠太に伝えに行くことにした。
*******
ピンポン!
悠太の家のインターフォンを鳴らすが出てこない。
なんでだろう。
でも明かりは点いているし・・・。
私は扉に手をかける。
カギはあいていた。
「・・・あの、悠太?」
私は中へ入っていく。
悠太はゲームに夢中になっていた。
「それにしてもこのゲームと同じように、藍花も期待以上だ。」
私が期待以上?
振り込んだお金のことかしら。
私の『誠意』が伝わっているのかしら。
でも次の彼の呟きで、そんなことは微塵にも伝わってなかったことを思い知る。
「藍花がくれた『誠意』は、風俗嬢のショウコちゃんに消えましたよー」
風俗嬢?ショウコ?
もしかして私の振り込んだお金で、その女と・・・。
なんで、なんで、なんで。
私は動揺して手持ちのバッグを落とす。
その音を聞いた悠太がこちらを振り向く。
「・・・ごめんなさい」
私はその場から逃げ出すように部屋から出ていった。
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