#56神社
神武天皇即位紀元110年(紀元前550年)
遷都計画が始まり、10年。その工事の大部分は終了した。まだ国民のための
住宅は建設できていないが、皇居や庁舎の工事はほぼ終わっている。皇居のつくりは、
平安時代の寝殿造風にしてあり、舟が浮かべられるほどの池もある。
ちなみに、前の俺の家(葛城御所)は、俺の写真や昔の葛城村の写真などを展示した
資料館に改装してある。
工事の間にも領土拡張は続いており、念願の新潟県を領有化した。石油の埋蔵量も
多いし、佐渡島には金山もあるし、地理的に米所だ。雪が多いのが難点だが。
弓削教の布教を加速させるため、神社の創建を開始。まずは俺の降臨地である本宮山
に俺を主祭神とする弓削大社を創建する。全国にも弓削神社をつくる。
これだけでは一神教みたいになってしまうので、他の大社も創建する。諏訪大社、
三島大社、多度大社、南宮大社、浅間大社、多賀大社、建部大社、日吉大社などの
大社も創建する。意外と数が多いけど。
神社の造りも現代と同じで、諏訪大社なども現代同様、本宮と前宮の上社、秋宮と春宮の
下社の4社を創建する。
弓削教教典を改訂。弓削教信者は年に一度は弓削大社を訪れ、お祓いを受けるべき、
と追記しておいた。弓削大社の神体として三種の神器を奉納した。
正確には、祀っているのは俺なのだが、三種の神器は俺の代わりだ。
神社本庁を設立。各地の大社などの別表神社の管理、運営などをしていく。
現代では、神社本庁は防衛省や法務省などの官公庁ではなく、民間の法人だが、
弓削教は日本皇国の国教なので、国が運営する。
神社には、もちろん神主などの神職の人間が必要だが、現在の日本皇国に、そんなのは
いないので適任な人材を俺が起用し、教育した。大学にも神道学科を設立し、
そこを卒業すれば一応神職に就くことができるとした。
服装改革を実施。今までは古墳時代の衣褌姿や衣裳姿だったが、一気に飛んで、江戸時代の
服装にする。平安時代の服装とかは、動きにくいので不採用だ。
江戸時代の服装の一つである裃を正装として制定した。裃は武士のスーツの
ようなものだ。