#34中部の開発
技術レベルが発展し過ぎな気もしますが、温かい目で見てやってください。
神武天皇即位紀元25年(紀元前635年)
静岡市、川根本町を領有化。静岡市には4村、川根本町には2村あった。川根本町にも村が
あったのは驚きだな。
これらの6村は外務省職員の熱烈な交渉により、許可を得た。交渉は最初にクロスボウを見せ、
これだけでは押しが弱いので「日本皇国に入ればこれをやる」という感じで特典として
大量の米を与えた。大体はそれで認めてくれた。
静岡平野は広大だ。この土地をどう利用しようか。そう思い静岡市に向かった。しかしそこは
俺の思っていたところと違った。平野と言えば平野なんだが明らかに湿地帯だ。地面はほぼ泥で、
沼もたくさんある。こんな土地じゃあまり利用できない。ちなみに川根本町はアクセスが
悪いため後回しだ。温泉街として開発しようかな。
どうやら徳川家康は静岡に城下町をつくる時、駿府城の堀をつくる時に出た土で湿地を
埋め立てたそうだ。それも江戸の埋め立ての前に。静岡で埋め立ての練習でもしたのか?
俺も家康を真似て、近くの山を削り、埋め立てを開始した。
清水港の整備を開始。清水港は天然の良港である。くちばし状の三保半島が防波堤の役割を
しているそうだ。現代では国際拠点港湾に指定されていて、戦前は重要な茶の輸出港
だったらしい。
港の整備に合わせ、セメントを開発。これが出来たことにより、モルタル、コンクリートを
開発した。コンクリートができれば、色々な事でできる。コンクリートはどんな形にもなれるし、
とても強度が高い。これで港の護岸や増水しやすい川の護岸、埠頭の建設をしていく。
初期的なジャンク船を開発。ジャンク船とは中国が開発したキールのない帆船だ。
ジャンク船は今でも使われている。わずか25年でジャンク船が造れるなんて発展し過ぎと
思うかもしれないが、25年もあれば大分変わる。歴史を見れば、関ケ原の戦いから
300年後に日清戦争をしているのだから別におかしいことではない。
ジャンク船は速度がとても速いため物資の輸送にはかなり優れている。これで作業が捗る。