砂糖舐めたら歯は磨け(前編)
男四人で廊下を歩いていた時だった。俺の前を歩いていた涼が声を上げた。
「あ、すみれだ」
「え? 和泉先輩? 嘘、どこ?」
「お前美人に絶対食いつくよな」
龍が呆れた目を俺に向ける。何だその、俺が美女好きみたいな物言いは。いや、事実なので否定はしないけど。
「いや和泉先輩良いだろ。美人で優しくて運動できて頭も良いとか。パーフェクトじゃん。何でお前らそんな人と幼馴染なの? クッソ羨ましいんだけど」
「お前には野路が居るだろ」
「それはまた別」
いや、別にあっちゃんに不満があるわけではない。そういうことではなくて、こう、何だ、その、いや、俺は誰に対して弁解しようとしてるんだ?
というか、あっちゃんとはそんなに小さい頃からの付き合いではないので幼馴染かと言われると微妙なところがある。俺があっちゃんと会ったのは小学校の中学年あたりだし。
なんて、うだうだ考えているうちに涼が和泉先輩に声をかけていた。
「すみれー。何してんの?」
「わっ、びっくりした! やだ、みんな何だか久しぶりね!」
そう言って俺達に爽やかな笑みを向けるのが二年の和泉すみれ先輩だ。成績優秀で運動神経抜群、去年は一年のミスに選ばれている。まさに高嶺の花。肩のあたりで自然な感じに揃えられた髪がさらさらと揺れているのもお美しい。こういう人を真の清楚系と呼ぶべきだ。
「学校はどう? もう慣れた? 何かあったらどんどん頼ってくれていいからね」
「ありがとうございます。一応、何とかやっていけてます」
「俺もまあ、それなりに……」
「ふふ、ワタリくんも和春くんも元気そうで良かった。これからも涼と龍をよろしくね」
「何で俺達がよろしくされる側なんだよ」
「だって私本当に二人のことが心配で……涼はちゃんと授業受けてるんでしょうね? 龍もクラスの子とうまくやれてるの?」
「すみれは俺らのお母さんなの?」
目の前で楽しそうに繰り広げられる幼馴染トーク。いいなーいいなー俺も年上のお姉さんと幼馴染になりたかったなー! 世話とか焼かれたかったなー! 双子め、マジで万死に値する。
俺が羨ましさに歯ぎしりしたくなるのを抑えている横で、古倉は小さく暢気に欠伸をしている……そういえば、こいつも年上のお姉さんの幼馴染が居たな。ちきしょうが! 世の中不公平だ!
俺が自分の不運を嘆いていたその時、突如として事件は起きた。
「そういや壮太はどうしてるんだ? 最近見ないけど……」
龍がそう言った途端、和泉先輩が笑顔のまま固まった。場に静寂が訪れる。
(……ん?)
(これは……)
(もしかして)
(地雷踏んだか?)
男共は互いに目配せをしあって状況を確認する。言葉は全く発していないが、何となく全員の言わんとすることは分かる。緊急時にのみ起こり得るテレパシー能力だ。
「……………………ええ?」
和泉先輩がにっこりと笑った。それだけで俺たちは状況が最悪であると知る。
「あ、これダメだ」
古倉が小声でボソッと呟いた。諦めるのが早いぞ。
「ごめん、何か言った? もう一回言ってくれない?」
「いや、その……だから、ほら壮太が、」
「は?」
諦めよう。ダメだこれ。
最早手遅れなことを悟った俺と古倉は後ろでコソコソと話し合う。
「完全に地雷踏みぬいたな。逃げるか」
「二人は?」
「…………多少の犠牲は仕方ない」
俺が戦線離脱の意思を見せれば古倉は迷うことなく頷く。こうなっては俺達ではどうしようもないのだ。後のことは双子に任せよう。目の前に冷や汗を流しながら立っている双子を壁にして俺と古倉はそろそろと後退る。幸い、和泉先輩は怒りでこちらを気にしていないし、龍と涼も俺たちの裏切りに気づいていない。いやー、あいつらの後ろに居て助かった。
普段と何ら変わらない笑みを浮かべている和泉先輩が恐ろしい。だって目が笑っていない。
「え? 何? 誰? その人。私知らないわ」
「あーいやーあの」
「全然知らないんだけど、へえ、壮太さんっていうの? ふーん何だか野球馬鹿って感じの響きがする名前よね!!」
「それは、人によりけりじゃな、」
「そういえばそんな名前のデリカシー皆無の単細胞が居たような? あー居たかしら? 思い出せなーい」
「壮太何したんだ……って、あれ二人は!?」
「あっ、クソ、あいつら逃げやがった!!」
逃げたことがバレた瞬間、俺と古倉は全速力でダッシュする。すまんな! お前らの犠牲は忘れない!
後ろから罵倒が追いかけてきたが、俺たちは振り返ることなく逃げたのだった。
尊い犠牲の甲斐あって何とか危機を脱した俺と古倉はやはりぶらぶらと廊下を歩いていた。
「いやー危なかったな」
「一体何やったんだろな竹若先輩」
「あの人いい人なんだけどなあ……」
「……噂をすれば、だ」
古倉の言葉通り、前方からやってくる見知った人物。その人はこちらの存在に気づくと機嫌よさそうに手をあげた。
「おーウィース! ワタリ弟とカズ! 久しぶりだな!」
「お久しぶりっす、竹若先輩。でも、その弟ってやめてもらっていいですか。兄がいるみたいじゃないですか」
「ん? ああ、お前ら仲が悪かったな。でも、それだとどっちも呼び方がワタリになるからなあー」
にかっと快活に笑うこの人こそ、先ほどの地雷だった竹若壮太先輩だ。野球部所属。竹若先輩、和泉先輩、涼と龍は幼馴染で、俺が先輩たちと知り合ったのも双子伝いだ(俺がクソメガネの弟だと発覚したのは知り合った後)。
竹若先輩は見た目通りの明るい人で面倒見も良く、中学の頃から色々気にかけてもらっている……そう、良い人ではあるんだ。
「仲が悪いといえば……先輩、和泉先輩に何かしました?」
「え?」
「さっき、物凄い怒ってたんですけど」
先輩は古倉の言葉に目を丸くしたが、すぐにああ、と合点がいったようだった。
「そうなんだよ……アイツ最近俺が声かけると無視か睨むかのどっちか何だよなあ」
あの滅多に怒らない和泉先輩をあそこまで怒らせることができるのはこの人くらいだ。逆に言えば、和泉先輩は竹若先輩以外には怒らないのだが。
「……心当たりとかは?」
「心当たりぃ? ないけどなあ……」
「最近言った言葉とか」
「うーん……ああ、『最近太ったみたいだから体調管理しっかりしろよ』って俺のおすすめプロテインあげたくらいだな」
「それだーー!!」
絶対それだ! それに違いない!
俺は先輩に詰め寄って質問をぶつけた。
「それいつ言ったんですか」
「この前、学食で見かけた時。アイツ、親子丼食べようとしてたなあ」
「何でその時に先輩がプロテイン持ってたかはこの際置いといて……何でプロテインあげたんですか」
「え? 俺の母親がプロテインダイエットとかしてたから……」
「先輩があげたのそれですか?」
「違うっての。俺のおすすめだって」
「せめて、せめて、そういう方向のやつをあげれば良かったのに……」
もう何にツッコめばいいのか。何が正解なのかも分からない。ツッコミ担当の龍はどこに行ったんだ! あ、俺らが置いてきたんだった。
「『お前、あんまパクパク食べてると豚みたいになっちまうぞ。これ食べてチーター目指せ!』って言って渡したんだけど」
「ああ……どうにもならないレベルだ」
「よく生きてますね」
本当に何で殺されてないんだろう、この人。俺がそんなことあっちゃんに言ったらその場で八つ裂き間違いなし。
俺たちのドン引き具合に先輩は慌てた。
「え? 俺はただアイツを心配して……」
「はい。はいはい。先輩はそうなんだと思います。きっと悪気はなくって本心から心配してたんでしょう。その気持ちは分かります。分かるけど言葉と方法が良くなかった」
「そ、そうだったのか……俺は、ど、どうしたらいいんだ?」
困った顔で俺達に助言を求める先輩。これを解決するのはかなりの難問だと思うが……。
しかし、俺は名案を思い付く。
「……あ、先輩。アレですよ」
「アレ?」
俺の言葉を復唱する先輩に頷いて見せる。俺は自らの拳を握りしめると、高らかに力強く叫んだ。
「女性の機嫌を直すには甘い物、つまりは甘味、つまりはスイーツですよ!」
「す、スイーツ?」
先輩は俺の言葉に困惑した様子を見せ、古倉は無言でこちらを見た。が、俺は構わず言葉を続ける。
「そうです、スイーツです。先輩、女性は大多数の方がスイーツ好きです。もちろん、嫌いな人も居ますが少なくとも和泉先輩は好きだと思います」
「お、おう、そうだな。アイツは特に好き嫌いとか無いはずだから……」
「いいですか先輩。甘味は人を幸せにしてくれます。世界を平和にします。まさにこの荒廃した現代社会に現れた一筋の光と言ってもいい!」
「お前、ついに脳みそが水飴になったのか?」
古倉が表情を変えることなく俺を貶してくるがそんな言葉で俺の口は止まらない。
「いいですか、スイーツ一つで万事解決します。それほどまでに甘味の潜在能力、人心掌握能力は高いんです。先輩がさらっとパフェでもパンケーキでも奢れば和泉先輩の機嫌は直るどころか先輩への好感度と共にうなぎ上り間違いなし! パンが無ければお菓子を食べればいいじゃない! お菓子があればみんな笑顔で争いなんて怒らない! スイーツ万歳!!」
「お前時々頭のネジ外れるよな。ちゃんと精神のメンテナンスしろよ」
御忠告どうもありがとう。だが、古倉。俺は普遍的事実を述べているだけであって精神の不調を心配される謂れはない。
俺の勢いに圧倒されたのか、先輩は真剣な顔つきで考え込んでいた。
「甘い物か……なるほど。といっても、それをどう……」
「ゴルアアアアアアアアアアアア!!」
突然響き渡った、空間を裂く獣の咆哮。それが俺の鼓膜を揺らすと同時に強烈な痛みと衝撃が身を潰す。俺の体は地に叩きつけられ、上には何かが乗っていた。『それ』は肩を怒らせて俺に怒鳴った。
「お前! あっくんお前! 私が今日持ってきたチョコ食べただろ! 食べただろ! なあおい!」
「あ、あっちゃん、あの、そのですね」
獣。理性を失い、ただ復讐に身をやつす哀れな獣。瞳に怒りだけを宿らせた復讐鬼は俺の胸倉をつかむ。いや、まあ、俺の友人なんだけどさ!
「はーい、皆さん。裁きの時間でーす。こいつは私がめちゃくちゃ楽しみにしていためちゃくちゃ美味いチョコを食べましたー。今から私がこいつの薄い腹を掻っ捌いて胃袋からチョコが出てきたら死刑。出てこなかったら無罪にしまーす」
「どっちにしろ死んでるじゃねえか!! 退け!!」
「はあ~~?? 退け?? 人の物食った分際でてめえ良い度胸してんじゃねえか、ああん?」
「いや、何で、俺が食ったなんて分かるんだよ! 証拠あんのか!?」
「じゃあ食べてないの?」
「いやそれは食べたけど」
容赦なく腹パンされた。ヤバい、色々出そうになった。尚も拳を振り上げるあっちゃんを俺は慌てて止めようとする。
「待て、待って、ごめん、話せばわか、」
「問答無用!」
「あっ、ちょっ、待って、いた、ああああああああああ!!」
「……甘いものって」
「争いを産むな……」
俺の断末魔を聞きながら古倉と竹若先輩は合掌した。
なんか微妙な長さになったんで前後に分けます