エキセントリックスカジャンガール
今日はいつもより強い風が吹いていた。堤防に来たのは失敗だったかもしれない、と私は少し後悔していた。今回の下校ルートはあみだくじで決めたルートだけど、堤防を歩いていると心なしか風が強くなった気がする。髪の毛が顔にかかるのがかなり邪魔。何度払ってもすぐにまたかかるのですっかり髪の毛はボサボサになってしまっていた。
「あー! もう! うっとうしい!」
「……」
あっくんはもう喋ろうとすらしない。風であっちこっちに飛ばされる髪の毛をそのままに、パーカーのポケットに手を突っ込んでひたすら歩いている。完全に目が死んでしまっている。
前からランドセルを担いだ小学生が数人、楽しそうに走ってきた。笑いながら私達の横を通り過ぎて行く。その後ろ姿を何となく目で追った。
「いや~若いっていいねえ~。何であんなに走れるんだろうね?」
「……あ?」
「うん?」
あっくんが不思議そうな、びっくりしたような声を出した。私、何か変なこと言ったかな。恐る恐るあっくんを見上げればその視線は私じゃなくて河川敷の方へ向けられていた。
「何見てるのー……ってあれ?」
「あれさぁ……」
「……うん、絶対にふぅちゃんだ」
私とあっくんは顔を見合わせた。私達が見たのは河川敷で風に吹かれながらボーっと上を見て立っているスカジャンを着た同級生――ふぅちゃんだった。
すらりと白くて長い脚がはためいている制服のスカートからのぞいている。セミロングの黒髪は私と同じように風に吹かれてボサボサだけれどそれがかえって絵になっていた。
「え、何で南雲はあんなところに居るの?」
理解不能、といった顔であっくんが私に尋ねたけれど私も首をかしげるしかない。ここ最近ふぅちゃんは学校に来ていなかった。今日も来てなかったけれど、でも今ふぅちゃんは制服を着ている。 登校していないのに何で制服を着ているんだろう。
おーい、ふぅちゃーん、と堤防から呼びかければ少し驚いたようにふぅちゃんはこちらを振り返った。うん、相変わらずの超絶美人。肌は白いし、目は二重で大きい。同じ女子だと主張するのが躊躇われる顔面偏差値の高さ。なんて、ふぅちゃんに言ったところで彼女は首をかしげるんだろうけど。
私は斜面を駆け下りてふぅちゃんの元へと走った。そのままの勢いで抱き付くとふぅちゃんは私の頭をガシガシと撫でてくれた。髪の毛が更に酷い状態になっている気がするけれどふぅちゃんなので気にしない。
「久しぶり! 最近学校に来てなかったよね? 何してたの?」
私がふぅちゃんに尋ねれば、彼女はその瞳を数回瞬かせて赤い唇を小さく開いた。
「宇宙人と交信」
特に表情を変えることもなく言い切るふぅちゃん。彼女は見た目こそ超美少女だけどその言動は周りの人間の度肝を抜く、強烈な変わり者なのだ。
わたしがふぅちゃんと会ったのは中学生のとき。その時のふぅちゃんはもう既に、入学式の後、その可愛さから三年で人気の先輩に遊びに行こうと誘われて「空気の粒子に乱れを感じるので帰ります」と断った伝説を持っていた。それからも様々な男子に言い寄られたけれど全て返り討ち。本人は返り討ちにした自覚も、自分がモテている自覚もない。あまりに変人なせいで女子の嫉妬の対象になることもなかった。日が経つにつれて彼女に言い寄る男子は減っていき、最終的には学校の七不思議になるまでになっていた。半端ない。
あっくんが斜面を下ってこちらへやってきて、ふぅちゃんに向かって軽く手を挙げた。
「よっす、南雲。宇宙人と交信してた?」
「今終わった。急用じゃなかったみたい」
「あ、そうですか」
意味わからん、という目であっくんはふぅちゃんを見ているけど本人が気にしている様子はない。
「今度一緒にする?」
「遠慮しとく。俺コミュ症だからさ」
ふぅちゃんの誘いを間髪入れずに断るとは、あっくんめ。そっか、と呟いたふぅちゃんはまた空を見上げる。私には灰色の雲しか見えないけれど彼女は何を見ているんだろう。
「ふぅちゃん最近学校来てなかったよね」
「そうかなあ」
「そうだよ。ロンちゃんと同じクラスでしょ? あの人、表面上は素っ気ないけど心配してるよ?」
「あれ、ふぅって龍くんと同じクラスだったっけ?」
「南雲、それは龍が泣くから止めてあげて」
優しく言い聞かせるようなあっくんの言葉にうんうんと頷く。龍くん、もといロンちゃんはあれで結構繊細なんだから!
「冗談だよ覚えてる」
「真顔で言われても信憑性が……」
「ほんとだよ。友達のことは忘れない」
「ふぅちゃんが言うならそうなんだろうね」
「うん。ふぅの友達はみんな特別なパスで繋がってるからね。一度回線が繋がったらどこでも届くよ」
「お前にはほんと何が見えてんの? 何が届くの? ねえ」
「細けえことはいいんだよ、あっくん。ハートで感じろ」
こういうのはニュアンスだよ、ニュアンス。外国人と話すのと一緒。
ふぅちゃんの瞳が空からゆっくり私に向く。きらきらした真っ黒な目がとてもきれい。透き通ったガラスのような、生まれたばかりの赤ちゃんみたいな何の曇りもない水晶。ふぅちゃんには世界がどんな風に見えてるんだろう? 一度でいいから見てみたい。
「龍くん心配してた?」
「うん。宇宙人に連れ去られたんじゃないかって。私もちょっと思ってた」
「そっか。そっかあ。じゃあ、みんなに信号送ればよかったね」
「送られても受け取る機能が備わってないからなあ……」
「開発してあげようか? ぐちゅぐちゅっと」
「いやいい、いい、いい。遠慮しとく」
あっくんの全力の拒否にふぅちゃんはふっと口元を緩める。珍しい表情、と思っているとふぅちゃんは突然その場に仰向けになって寝転んだ。何故か私を抱きしめながら。
「ぎゃっ、えっ!? 何? 何で? ふぅちゃんどしたの?」
「んー。風が気持ちいいから」
そ、そうかー。今日の風はそよ風じゃなくて暴風なんだけどなー。気持ちいいなら仕方ないなー。というか、私、ふぅちゃんの体の上に乗っかってる状態なんだけど大丈夫なんだろうか。普通に重いだろうし、寝転んだときの衝撃とかあったと思うんだけど。
「この光景面白いわ。撮っとこ」
あっくんが携帯を取り出して、こちらにカメラを向ける。
「寿司みたい。女子高生寿司」
「ちょっと! 写真は事務所を通してよ!」
「はいチーズ」
「あっこいつ」
お構いなしにパシャッと撮られた。この美少女二人を許可なく勝手に撮るとは。盗撮だ盗撮。
「ねえ、ふうちゃん著作権侵害されてるよ! ……ふぅちゃん?」
「……寝てる」
嘘でしょ。寝転んでからまだ数分も経ってないよ!? でも寝息が確かに聞こえる。マイペースすぎない!?
とりあえずこの体勢を何とかしようとしたけれど、ふぅちゃんの腕の力が強すぎて抜け出せない。何で!? 寝てるんだよね!?
「ほんとに寝てるの!? 腕の力凄いんだけど!」
「どんまい」
「くっそムカつく」
他人事だと思ってあっくんは携帯を弄っている。粉砕してやりたい。
「あーもー助けて! 助けろ! ハゲ!」
「そういうこと言っちゃうんだー。帰るわ、じゃあな」
「あっ、嘘、嘘だって。待って! 見捨てないで! このままだと風邪ひくから!」
「でも南雲起きるか? この子一度寝たら終わりだったと思うんだが」
「気合で起こせ!!」
私が叫ぶとあっくんはやれやれ、みたいな感じでふぅちゃんの肩を揺すった。当然起きない。おーい、と頭を軽くはたいても全く起きない。
「無理だな。諦めよ」
「嘘でしょ!? 何とかしてお願いだから! ふぅちゃんの腕の力どんどん強くなってってるんだって!! む、胸が苦しい! 死ぬ!」
「ははは。あっちゃんには苦しくなる胸も無いだろ」
「あの世に送ってやる。絶対に送ってやるーー!! てか、ふぅちゃんマジで起きてってばああああ!!」
私の叫びは虚しくも風に掻き消された。結局私がふぅちゃんの腕から脱出できたのは三十分後で、私とあっくんは見事に風邪を引いた。ちなみにふぅちゃんは引かなかった。何故。