サマー・イズ・カミング・ウィズ・ラブ
一つの雑誌が目に留まった。私は何となくそれを開いてパラパラとページを捲る。
「お待たせ」
「あ、ふぅちゃん。良いの買えた?」
「良いかどうかはこれから分かるよ」
こちらに近づいてきたふぅちゃんが手に持ったビニール袋を掲げる。そして、視線を私が読んでいる雑誌へ向けて不思議そうに首を傾げた。
「……あっちゃん結婚するの?」
「見てただけだよ~」
そう、私が見ていたのは結婚雑誌。私には全然縁の無いものだ。「偶々目に入っただけ」と言えばふぅちゃんも納得したみたいだった。
用事も済んだのでこじんまりとした本屋さんから二人一緒に外に出てみれば、空はほんのりとオレンジ色だった。沈みかけの夕日が眩しい。風はほとんど吹いてなくて暑さだけが肌に纏わりついてくる。
私は両腕でバランスを取りながら歩道の縁石の上を歩く。左手はふぅちゃんが握ってくれてるので良い感じに体が安定してる。一歩、二歩、ちょっと大きめの三歩。そこで息を吸い込んで空に向かって吠えた。
「あ~~恋がした~~い!」
「へえ」
私の隣を涼し気な顔で歩くふぅちゃんの声はひんやりしていて、私の耳に心地よく馴染む。
「だって私たち華の女子高生だよ? 彼氏の一人や二人欲しくない? あわよくば結婚したくない?」
「特に興味ないかな」
私の言葉はバッサリと切り捨てられた。ふぅちゃんらしい、予想通りの答えではあるけれども、なんかちょっと今は恋バナしたい気分なの!
「素敵な旦那さんと子供に囲まれて大団円で死にたい……新婚旅行はやっぱハワイかな~」
「……あっちゃんの話を聞いてると純粋に人を愛したいんじゃなくてその行為による結果を楽しみにしてる気がするわ」
「痛いところを突かれた!」
ばーんとふぅちゃんがこちらに拳銃を撃つ振りをしたので、うっと胸を抑えて苦しむ振りをする。ふぅちゃんは人の話を聞いていないようで案外聞いている。
「いや、私だってちゃんと恋したいなーって思うんだよ? 友達が彼氏の話してるの羨ましいと思うし、人を好きになるって素敵なことだと思うもの。でもな~なんだろう……ちょっと怖くもあるよね」
「怖い?」
首を傾げたふぅちゃんに私は頷いて見せる。
「だって、誰かに恋をするってことは誰かを傷つけることと一緒だよ」
「……その心は?」
「この人に出会ってから私の世界が変わった~、とか漫画とかでよくあるでしょ。それ自体は全然いいと思うんだけど、それが恋とかに変わるとう~んってなるよね」
一瞬、体がぐらついたけれど何とか持ち直す。この上歩くのって結構難しいんだよね。誰しもやったことはあると思うけど。
「……昔、本か雑誌で見たんだ。恋とは即ち欲望であるって。愛されたいっていう欲求、愛したいって欲求。それは段々と増えてっていつの間にか心を縛るんだって……いや、あんま覚えてないんだけどさ」
小学生の時だったからなあ。もしかしたらテレビで見たのかもしれない。どうにもあの頃の記憶はあやふやだ。
「でも、個人の欲望っていうのは社会では通用しなくって、絶対に他の人との欲とぶつかるものよね。そうなると絶対に片方が折れる。両方の望みが通るなんてほとんどないし、あったとしたら妥協とかでしょ? 恋愛において妥協なんて有り得ない。そんなことで終わらせることは絶対にできないもん。諦めたふりをしてもいつか我慢の限界がくる。それに、好きな人には自分を好きでいてもらいたいっていうのは自然なことだし……」
あ、と思った時には遅く。私の足は縁石からずり落ちた。ああ、記録更新ならず。残念無念。
「んん~? ふぅちゃん、私、今何の話してたっけ?」
「あっちゃんが恋愛を怖いと思う理由」
「あ、そうそう。まあ言っちゃうとね、私は私の『恋』っていう欲望で何かが変わったり、誰かを傷つけたりするのが嫌なの。私は『今』がすっごい楽しくて幸せだから。死ぬまでこんな気持ちでいれたらなーって思ってるの。恋愛はすっごく楽しいんだろうとは思うけど、今の私を変えてまでしたくない。私は私の居心地がいい世界を、私っていう生き物を、そんな感情で壊されたくなんかないんだよ」
ぶんぶん、とふぅちゃんと繋いでいる腕を大きく振りながら私は明るい声で言う。そう、私は幸せだ。家族がいて、友だちがいて。ついでにもうすぐ夏休みもあるし。これが、最良の形。『私が望んでいた通りの』生活。誰にも壊されない、壊れたりしない。
「それは、あっちゃん、なんというか……」
珍しくふぅちゃんが言いよどむ。腕を振るのを止めて、ふぅちゃんの顔を覗き込む。
「ん? 意見であれば何なりと」
「……いや、やめとく。ふぅは最近空気を読むことを覚えたの」
「空気を読めるふぅちゃんとか、それもうふぅちゃんじゃなくない? ニュータイプ?」
「あっちゃんの友達として言うべきかと迷ってるんだけど……」
「だけど?」
「今回は保留」
そう言って何故かふぅちゃんは私の額にデコピンした。うおっ、と仰け反った瞬間、私の耳を澄んだ音が通り過ぎてゆく。
「風鈴?」
「多分」
もう一度、耳をすませてみればやっぱりどこからか聞こえてきた。けれど、すぐに子供の笑い声に掻き消されていく。
いつの間にか、風が吹き始めていた。
「ふぅちゃん、夏だねえ」
「夏が来るね」
「恋の季節だよねー」
私たちは声を揃えて言った。
こんな寒い季節に夏の話とかどう書けばいいのかわかんない