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ヒナゲシ  作者: やまぐち光緒
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二人は親友

 男女間における友情は成立するのか、と聞かれれば自信を持ってイエスと言い切ることはできない。


 これは人類の永遠のテーマではあるが、実際のところ心理学的に難しいと言われている。動物の本能的な話をすれば、まぁ仕方ないことなんだろうか。誰だって異性に対して多少の意識はしてしまう。最初は相手を何とも思っていなくとも仲を深めるにつれて気持ちが変わることだって珍しくない。身近な異性と恋愛関係になるのは何らおかしなことではないだろう。


 では、どうすれば男女の友情は成立するのか。俺の個人的な意見では、まず「距離感」を大切にすることだと思う。ほどよい距離感を保ったまま相手に接する。線引きをしっかりしてそれ以上に踏み込んだり、踏み込ませたりはしない。それでいて相手に信頼の証を示せるかどうかだ。自分はあなたの敵ではないですよ、味方なんですよ、と相手に思わせることができれば、それなりに上手くはやれるんじゃないだろうか。

 

 何だか矛盾しているような、支離滅裂なことを言った気がする。正直なところ、俺自身もよくわかってはいないのだ。ただ、今までで俺が一番重要だと思ったことは「高望みしない」ということだ。見返りを求めないこと。それが友情を、ひいては人間関係を良好に続ける秘訣だと思う。


 ところで、俺には一人の友人がいる。その友人は身長が低くて本人もそれを気にしている。元気だけが取り柄のような奴で、いつだって子犬のようにキャンキャンとうるさい。あと時間にルーズで遅刻してくることも多々ある。


 けれど、どんなに遅くなろうと、彼女が待ち合わせにやってこなかったことは無かった。

 

 例え雨が降ろうが、雪が降ろうが、高熱を出そうが、自転車に轢かれようが、やってこなかったことは一度も無かったのである。




「おっはよー!あっくん!」


 後ろから強引にイヤホンを取られたことでぼんやりとしていた意識は覚醒する。座っているベンチの背もたれ越しに振り返ってみれば、俺のイヤホンのコードを手に持ってプラプラとぶら下げながら笑う女の子が居た。十三分の遅刻だ。


「……おはよう、あっちゃん」

「びっくりした? 何聴いてるの?」


 持ち主の許可も取らず勝手にイヤホンを装着して、流れている音楽を聴き出した彼女のマイペースさはいつものことである。俺はそんな彼女に少しだけ不満を言う。


「来るの遅いんだが。せっかくお前の家に近いこの公園を待ち合せ場所にしてあげてんのに」

「ふんふん。あのバンドか」

「まず俺の話を聞け」


 俺の言葉にへらっと誤魔化すように笑って彼女はイヤホンを俺に返した。そして、俺の前にやってくるとその大きく丸い目で人の顔を無遠慮に見てくる。


「あっくん眠そうだねー」

「昨日は遅く寝た」

「わかった! テレビ見てたんでしょ! このテレビっ子め!」


 そう言ってビシッと俺のことを指さす彼女に対し違うと否定するが、彼女の顔はお見通しだ! とでも言いたげなドヤ顔を崩さない。人の言うことなど全く聞きやしない。


「いーや、見てたね! 私にはわかる! 九割九分九厘わかる!」

「十割ではないんだ」


 そこまで言うんだったら絶対の自信を持てよ。そう思いつつ俺は立ち上がって、横に置いていたリュックを背負う。彼女はいつの間にか公園の入り口付近に移動していて、はやくー、と俺を呼んだ。俺はそれに適当な返事を返して、先に公園を出ていった彼女の後を追った。


 俺と彼女の朝の待ち合わせはかれこれ中学の頃から続いている。いつも俺は彼女より先に来ていて、一度だってそれが逆転した試しはない。


 そんな遅刻常習犯の彼女の足取りは軽い。暢気に歌っている鼻歌は最近流行りのCMソングだ。汚れたコンクリートの道を彼女の真新しいローファーが踏んでいく。もう何年も見慣れた歩き方だった。




 俺達が住んでいる町は言ってしまえば田舎だ。電車は一時間に一本、バスは時間通りに来ない。

 少しの住宅街と田んぼとで構成されている町。それが俺たちの住む与高町よたかちょうだ。

 あとはお寺だとか神社だとか、子供が噂する幽霊トンネルだとか。坂が無駄に多いだけで特筆すべきものは何一つとしてない。

 

 かといって、隣の家までキロ単位です、というほどのレベルでもなく、要するに中途半端な田舎なのだ。

 隣町の、俺たちが通う高校近辺は割と栄えている(周辺の町では一番発展していると思う)が、健全な若者なら殆どが不満を持つような場所だ。これといった特徴的な建物や大型ショッピングセンターもなく、昔ながらの少し寂れた商店街があるだけ。それはそれで良さがあるし、俺達の住む町よりは断然マシではあるが。他所から来た人はある種のノスタルジーでも感じられるんじゃないだろうか。 


 ともかく、朝の電車を一本乗り遅れることは遅刻を意味するので、こうして田んぼを眺めながら歩いているわけだ。




 大通りに出ると一気に人の交通量が多くなる。あっちこっち行き交う車や集団登校している小学生の賑やかな声で騒がしい。

 俺と彼女はその朝の喧騒に混じって信号待ちをしている。その間に彼女は「あっくんは~寝不足~不眠~だから死ぬ~ラララ~」と楽しそうに自作の即興ソングを歌い始めた。誰が寝不足で死ぬだ。


 俺は完全には直っていない彼女の寝癖を引っ張りながら言った。


「課題してたんだよ。なかなか終わらなかった」


 彼女の歌が止まった。体はピクリとも動かない。これは、いつものあれだ。俺は呆れながら彼女に声をかける。


「テレビ見てたな」

「……だって、だって、だってー!」


 キンキンと高い声が辺りに響いた。朝から近所迷惑だろうと顔を顰めるが、そんなことはお構いなしに彼女は宿題をやってこなかったことへの弁明をする。


「だってプロレスやってたんだよ!? 見るでしょ!」

「やることはやれよ」


 ぐぬぬ、と唸る彼女だったが信号が青に変わると歩き出した。しかし、その歩みはさっきと比べてかなり遅い。

 彼女が宿題をやらないのもいつものことだ。面倒だから、忘れていた、やったと思った、など理由は様々である。やらなくても勉強が出来るならともかく、紛うことなく彼女は馬鹿だった。俺も頭が良いわけではないが彼女よりかはマシであるし、宿題はやる。ただし、それ以上の勉強はしないが。


「ねーねーあっくん写させて?」


 両手を合わせて俺の機嫌を窺うように頼んでくる。彼女は身長が低いので自然と上目遣いになる。これが美少女だったら最高のシチュエーションかもしれないが、相手がこれでは残念ながら俺の心はピクリとも跳ねない。


「いや、クラス違うから。お前の宿題なんて知らないから」

「あ、そーか。チッ使えな」

「今何て言った」


 こうやって軽口を叩いてはいるが、宿題の件は本人にとって案外深刻らしい。何でも宿題を出した数学の先生がキレるとかなり怖いんだとか。道を歩きながらウンウンと唸る彼女の姿はどう見ても異常である。すれ違う小学生の視線が痛いが、そんなことにも気が回っていないようだ。俺も他人だったら見ないフリをしていると思う。


「えーどーしよー。また先生に三角定規の角でゲリつぼ押されるー!」

「今回はコンパスだろ」

「え、えぐられる」


 前科持ちだったのかよ。真っ青になった彼女だが完全に自業自得だ。というか、前回そんな目に遭っておきながらやってこない度胸というか、反省の無さにびっくりだ。


「あ、そろばんによる頭部殴打で手を打ってもらえば?」

「物理的被害に遭うのは確定なわけ?」

「縦スイングか横スイングかで話は変わるな」

「あ! 脳天かち割られるかこめかみ吹っ飛ばされるかってこと!? どっちも嫌だけど!」


 こんなことを話している暇があればさっさと学校へ行って宿題をやれ、という話だがその考えはないらしい。最早怒られることを確定事項として受け入れている。

 そうだ! と彼女が何か思いついたように顔を輝かせた。


「こうやって頭ガードして肘閉めれば大丈夫じゃない!? 縦でも横でも対応できる! これと似た感じのやつ、昨日プロレスでやってた!」

「多分お前が昨日見たのプロレスじゃなくてボクシングだわ」


 どう見てもその構えはボクシングだ。何をどう間違えた。




 駅に着いて駅員のお姉さんに定期を見せる。勿論、有人改札だ。無人駅じゃないだけいいだろう。


 ホームに入るとすぐに電車がやってきた。降りる人は居ないようで、俺たちはもう既に人でいっぱいの車両に無理矢理乗り込む。狭苦しいが一駅の辛抱だ。もう一本早いとまだ空いているのだが、どこかの遅刻魔のせいでそれは叶わない。

 

 電車が動き出す。一度、大きく揺れて人がみんな傾いた。バランスを崩した彼女を咄嗟に支える。


「ありがとう」


 小声で礼を述べる彼女に、どういたしまして、と返す。


「あっちゃんは吊革につかまれないもんな。小っちゃいから」


 彼女は一気に不機嫌になって俺の足を踏みつけた。




 電車が到着して俺たちは人の波に押し出されるようにして下車した。改札を抜けて駅の裏口へ出る。ここから十分もあれば学校に着く。

 しかし、歩きだしたはいいものの学校へ一歩一歩近づくたびに彼女の顔は険しく、悲壮感漂うものになっていった。そんな顔するくらいなら初めから宿題やればいいのに。あーもう嫌だ! と隣で喚く彼女に溜息を吐きたくなる。いや実際吐いたが、このまま行かせるのもアレなので一つ提案をしてやることにした。


「じゃあさ」


 俺の声に、キョトンとした顔で彼女がこちらを見上げる。昔から変わらない間抜けな顔だが、見ると何故か安心にも似た気分になる。


「今日学校終わったらアイス奢ってやるから。頑張って提出しろ」

「……マジで?」

「マジで」


 一瞬固まっていた彼女だが、すぐに俺に飛びついてきた。俺の制服に顔を押し付けてふへへ、と気持ち悪い笑い声を出す。


「やーん、あっくん! 好き! 大好き! 愛してる!」

「はいはい」


 現金な女だ。グリグリと顔を押し付けてくる彼女をべりっと引きはがした。それでも彼女は嬉しそうに頬を緩ませている。アイスでこれだけ幸せになれるのだから、彼女はとても楽で簡単な人間に違いない。


「へへへー。あっくん、約束だよ! 忘れないでね!」

「わかってるよ、あっちゃん。しつこい」


 さっきまでの暗い雰囲気はどこへやら。そこに居たのはすっかりいつも通りになってニコニコと笑う俺の親友――あっちゃんだった。




 ご覧の通り、俺の親友はチビで遅刻魔で馬鹿で甘党だ。

 だが、そんなところがほんの少し、時たま、極稀にかわいかったりする。


 これはそんな彼女と過ごす高校生活の話。



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