第4話 Prepare to Second Battle
「命拾いしたようですな」
制帽を脱ぎ額の汗をぬぐう曹長の、そんな言葉を聞きながら「なるほど、そうに違いない」と俺は思った。
敵が臆病なゴブリンだからこそ、できた無茶だった。
大声と銃剣と火薬、そして最新式の六連発拳銃が、この勝利をもたらしたと言えるだろう。
ゴブリン共の潰走を確認した直後、俺の足腰より力は抜け、地べたにヘナヘナと座りこんでしまい、立つ事が出来なくなっていた。
直ぐ脇には、手より力無く零れ落ちた、伝家のサーベルが転がっている。
その切っ先は、ゴブリンの緑色の血に染まっていた。
ゴブリンの血は酷く臭い。後でちゃんと拭っておかねばならないだろう。
……今は、それをする元気も無いが。
「あいにく休んでる暇はありゃせんですぜ」
言いつつ曹長は私に手を差し出した。
「敵が再結集して、戻って来ないとも限らない。住民を避難させるのが先決ですな」
流石に曹長は平然とし、疲れている様子も見えない。
もう老兵と言っても良い年齢だが、矍鑠とした姿は、やはり古参兵ならではだ。
普段から助けられてはいるが、こういう時は一層、頼もしかった。
「……そうだな。良し」
曹長の手を借り、何とか立ち上がる。
一旦立ちあがってしまうと、心身ともにいつもの状態に戻れた様な気がする。
実際にそうなのか、気のせいなのかは解らないが、ともかく『自分は大丈夫だ』と思いこむ事にする。
今は、それで良い。とりあえず、動けるようにさえなればいいのだ。
右拳を左掌へと打ちつけて気合を入れる。
サーベルを拭い、ホイッスルを吹き、大声で指令を下す。
「中隊、傾注ッ!これより我らは地域住民の避難誘導を行う!総員ーッ!乗馬ーッ!」
「総員、乗馬ーッ!」
曹長の復唱と同時に、全員が自身の持ち馬へと走り出す。
俺も、それに続く。休んでいる暇は無い。『為すべき義務を為す』のが軍人の仕事だ。
それは『勇者』が必要とされていた時代と変わらない。……その筈だ。
◇勇/魔◆
「押さないでー!落ち着いて進んでくださいー!」
「そこのお父さん!タンスは置いていってください!荷物は最小限で!」
「牛車や馬車をお持ちのかたは乗り合わせでお願いしまーす!」
騎馬警官達を散らせ、付近の住民を集め、誘導する。
幸い、それをやっている間、敵の襲撃は無かった。
敵にとっても予期せぬ反撃で、混乱し態勢を立てなおしていたのかもしれない。
なぜこのタイミングで、よりにもよって魔王正規軍が攻めて来たのか。
何一つ解ってはいない。だが、それでも、すべきことをしなくてはいけない。
集めた地域住民を、一旦、駐在所へと集め、その上で『アントナム』へと避難をするのだ。
『アントナム』は昔ながらの『市壁』に囲まれており、第20歩兵連隊の2千名が駐屯している。飢饉対策用の食糧貯蔵庫もあるし、万が一敵の大軍に囲まれても、立て篭もって中央からの援軍を待つ事も出来る。
逃げ込む先はここ以外無い。
問題は、ノースウォール駐在所からアントナムまでは徒歩で1日から2日、それも陸軍歩兵の進行速度で一日二日かかる距離がある。その距離を、女子供や老人を含めた大人数を抱えて進まなければならないのだ。使える手勢は百人たらずの騎馬警官のみ。
――困難な任務になることは間違いない
(兎に角……まずは駐在所へ行く事だ)
そう考えつつ、俺は馬を駆け巡らせ避難の指揮に当たった。
「重たい荷物は置いて行ってくださーーい!」
「急いでくださーーい!急いでーー!」
「荷物は最低限でお願いしまーす!荷物は最低限でーー!」
避難誘導にあたる騎馬警官達の声が、人々の悲鳴や嘆きの中で一際大きく聞こえる。
幸い、この付近に住むのは皆農民で、普段から野良仕事をしている為か足腰が強く健康な者が多い。避難は、土地から離れるのをやたらと渋る何人かの説得を除けば比較的順調に進んだ。
やはり「魔族が来た」という事実が大きい。皆一刻も早く逃げたがっているのだ。
センラック北部辺境にとって、魔族とはまだまだ恐るべき『脅威』なのだ。
たとえ、火薬の力で、多くの魔族が駆逐された現在においても、なお。
それは種族の違いから来る、根源的、本能的恐怖なのだろう。だからこそ、土地から離れるのを嫌がる農民達が、びっくりするほど従順に指示にしたがってくれた。
「――よし」
ともかく、今は急ぐことだった。
この場を一旦部下の一人に任せ、俺は曹長と共に駐屯所へと先に馳せ戻った。
◇勇/魔◆
――駐屯所は蜂の巣をつついたような騒ぎだった。
あちこちから既に逃げて来たらしい農民達で駐屯所の周辺はごった返している。人々のわめき声に子供や赤子の鳴き声泣き声が唱和して、耳ばかりか頭まで痛くなってくる騒がしさだ。
その最中を飛び回って、大声で指示を出している青年の姿が見える。
「マクレラン少尉!」
「あっ!隊長!それにパトリック曹長も!ご無事でしたか!」
我が隊の副官を務めるこの青年が、アルフェス・マクレラン少尉だ。
黄色い髪に碧眼、白い肌の美貌の持ち主で、かなりの童顔であり、ともすれば少年の様にも見える。
しかし場末とはいえ中隊の副官――実質的にはパトリック曹長が副官のようなものだが――を任されるだけあり、外見からの印象を忘れさせる独特の老成した風格があった。
貧しい生まれから苦学して士官学校に入学したという話だが、そんな経歴が彼の年齢にや容貌に似合わぬ人格の成長を促したのだろう。
だが、人間、苦労すると年齢以上に老けこむと言うのが通説であるが、その割には容貌が若い、というよりも幼いのはどういう訳か。
それには、彼の『父親』が関係しているのだが……まぁそんなことは今はどうでも良い。
「マクレラン少尉、現状報告!」
「ハッ!」
気持ちのよい返事と敬礼の後、マクレラン少尉が述べた報告の内容は簡潔にまとめれば以下の様になる。
俺達の分隊が出撃してより暫時あって、『魔族軍、襲来せり』の通報を携え、違う区画の村から転ぶ様に農民が一人駆けこんで来たという。
マクレラン少尉は俺という指揮官不在の状況のため、臨時で駐屯所の指揮を執り、魔族軍への迎撃準備と地域住民の避難誘導に奔走していたそうだ。
幸い、魔族軍はいずれも少数部隊に分散しての侵攻であったらしく、各所で小競り合いがあったものの、その全てで敵の撃退に成功したとか。
隊の損害は、運悪く落馬して足を捻ったマヌケが1名のみ。
それを聞いて、内心、俺はホッと胸をなでおろす。
正直、こんな場末の任務で部下や同僚が戦死する可能性などまるで考えた事がなかった。
言うまでもなく、それに対する覚悟などできてはない。それで今までは済んできた。
――もうそんな呑気なことは当然、言ってはいられない。
「現時点では、各所に派遣した分隊を再集結し、駐屯所周辺にバリケードを築かせています」
「バリケード?」
「はい。住民を完全に避難させるには時間が掛ります。場合によっては、ここで敵を迎撃する必要も……」
「なるほど」
眼を遣れば、部下達が地域の志願者らしき者達と共に、ガラクタや家具、穀物の袋などを積み上げて即席の防壁を築いているが見える。志願者はかなりの数がいるらしい。
「それと、地元民の志願兵で、臨時の義勇軍を編成させました。指揮官には、退役軍人の者に」
「その指揮官には会えるか?」
「自分です、中尉殿!」
声に俺が振り向けば、見事に禿げあがった老人が立っていた。
旧型の、ダブルボタン濃紺色軍服に身を包んでいる。
体つきはガッシリとしていて、踵を合わせて真っ直ぐ立つ様は、いかにも退役軍人といった風情だ。
「君かね?」
「はい。自分はチャールズ・スチュアート。かつては第13歩兵連隊に所属しておりました。最終階級は軍曹であります。志願兵の中では退役時の階級は自分が最上級であり、よって隊の指揮官を申し出た次第です」
そう言うと、キビキビした動作で敬礼をする。
外見年齢が相当老けこんでいる割には、背筋はまっすぐだし、動きはシャンとしている。
頼りになりそうだ。
「頼もしいな。協力に感謝する」
「ハッ!自分も、かの『勇者』の後裔にあらせらる中尉どのと共に戦えて、光栄であります!」
「……」
飛び出してきた『勇者』という言葉と、その視線に篭った期待の色に、私は気分が陰鬱になった。
――先祖がどうあれ、今の俺は場末の騎馬警官の中尉に過ぎない。
余計な期待などされても重荷以外の何物にもならないのだが、しかしこの現状では、地域住民の不安を少しでも解消するためにも、使えるものは何でも使わなくてはなるまい。
だから一際恰好つけた仕草で、退役軍曹へと、他の志願兵にも聞こえる様な大声で応えた。
「無論、自分は対魔族戦のエキスパートだ。大船に乗った気持ちでいたまえ!」
「ハハハッ!期待させて頂きます!中尉殿!」
「みんなーーっ!知ってるかもだが中尉殿は勇者エルドリクの末裔だ!もう大丈夫だ!勇者殿が魔族共をブチ殺してくれるぞーーッ!」
――うぉぉぉぉぉぉっ!
志願兵達の間から、歓声が挙がり、意気が上がった様子が見えた。
「勇者バンザーーイッ!共和国バンザーーイッ!」
「勇者バンザーーイッ!共和国バンザーーイッ!」
万歳の雄叫びが聞こえ、帽子を振って俺にエールを送る姿も見えた。
俺はそう言った声やエールを背に、駐屯所の建物へと一旦入って行った。
あたかも、やるべき仕事がある様な姿を振るまったが、実はそれは違う。要するに……『いたたまれなくなった』からだった。
重荷で、胸が潰れそうだった。
ついてきた傍らのマクレラン少尉に俺は言った。
「君は現場に残って指揮を続けろ」
「中尉、ですが――」
「いいから……ともかく、現場での指揮を続けろ。曹長は少尉の補佐を頼む。私は電信室に行って、様子を見て来る」
私の様子がおかしいことに、少尉は気遣わしげな様子だったが、私は手を振って追い払う。
指示だけ出して、振り返らずに俺は一人歩いた。
背中に、曹長の声が掛った。
「前向きに考えたらどうです。今回の事は、生まれに恥じぬ、本物の『勇者』になるチャンスとも言えますよ」
彼なりに、俺を励まそうと思った言葉なのは、理解できた。
だが、俺はそれに何も返さず、廊下を歩く。
――クソッタレめ
そう、思った。
◇勇/魔◆
ノースウォール駐在所は『電信所』を備えている。
よって一台の電信機と一人の電信士官、その助手を務める数名の電信兵が配置されている訳だ。
駐屯所からは出来たばかりの電信柱と電信線が長く長く、畑と原野を突っ切り真っ直ぐアントナムへと延びていた。
『電信』。
これはほんの十数年前に開発されたばかりの最先端技術であり、通信技術に革命をもたらした大発明だった。
これによって人類は、より遠くへと、より迅速に、そしてより正確に情報を送受信する事が可能になったのだ。
それまで人類にあった通信方法と言えば、飛脚、早馬、狼煙、手旗信号、といった諸々だ。
どれも人力馬力頼りで極めて不確実不効率、伝達できる距離も情報量も限られていた。
対して電信は線さえ一旦繋いでしまえば速くて確実だった。
どんなに遠くても関係はない。以前のように早馬を乗り継ぐ必要もない。
そんな便利な電信室に俺が入った時、内では明らかに緊迫した様子だった。
何か問題が起こったらしい……。俺は直ぐにそれを理解した。
「あ!中尉殿!ただいま報告にあがろうかと思っていた所でした」
言ったのは、の中隊にいる3人の少尉の内の最後の一人、アール・アレグザンダー特技少尉だ。
ものすごいヒゲに顔の下半分を覆われた、身長体格共に極めて優良なこの男は一見すると山男の類でしかない。しかしその野性味あふれる外見に反し、大学出のエリートで電信技術の専門家であった。
電信部隊は士官も兵も、他の部隊とは毛色が異なる連中である。
基本的には大学か、それに比肩する高等教育機関の出身者であり、彼らは兵士である以上に技術者なのだ。そのせいか他の兵士達とくらべて立ち居振る舞いも上品であり、この少尉も外見に似合わず温厚で礼儀正しい男なのである。
「アントナムと連絡はとれたか?」
「それがまだです。色々と様子がおかしい。ひょっとすると、電線が何処かで切れているかもしれません」
アレグザンダー少尉の口から出てきたのは、なんとも不吉な言葉だった。
「……何だと……間違いないのか?」
「はい。皆と色々と検討しましたが、それ以外はどうも……」
アレグザンダー少尉の後ろでは、彼の配下の電信兵たちも同意する様に頷いている。
「原因としては何が考えられる?」
「風といった自然原因も考えましたが、ここ数日は天候も穏やかそのものの日が続いていましたし、となると……」
「……人為的に、破壊された、か」
少尉は頷いた。
「そうなります。電信線が切られたのか、あるいは中継所が襲われたのか」
「下手人は魔族どもかな?」
「現状ではそう考えるのが自然ですが、しかし……」
電信の専門家は、ここで首をかしげてみせる。
「連中に電信の原理が理解できるとは到底思えないんですがね。連中の科学技術は、あらゆる分野で我々人類に極めて遅れています。それこそ……百年単位で遅れていると言っていいでしょう。あんな連中に電信線を断つなどと言う発想が出来るでしょうか?何に使うかも解らんでしょうに」
彼の言う事も最もである。
しかし仮にも『勇者』の末裔たる俺には、魔族の文明をむやみに侮る事は『生理的』に出来なかった。
一族の爺様婆様連中から、耳にタコが出来る程『栄光の歴史』と『魔族の恐ろしさ』を語り聞かされて俺は育ったのだ。そんな育ち方をしていれば魔族という単語を聞くだけで、意識せずともの警戒心が湧き出てくるようになってしまう。連中を単なる時代遅れの蛮族共とは、みなせない。
……ともかく、原因が魔族であれ風であれ、今は通信の回復こそが先決だ。
「単純に進軍の邪魔だから壊したのかもしれない。いずれにせよ、現状において最優先すべきは、アントナムへと連絡を付ける事だ。現状で人員を割くのは好ましくないが、切れた電線を一刻も速く見つけ出して――」
そこまで言った時であった。
――カァンカァンカァンカァンカァン!
「!」
「!」
時計塔の鐘の音が響いた。
それも、定時の機械仕掛けのでは無くて、誰かが直接鐘を叩いている音だ。
俺は電信室の窓を開けると、そこより外へと飛び出した。
この状況で鐘が鳴るその理由は、非常事態以外ありえなかった。




