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第11話 March or Die





「――なに?」



 副王グラダッソは眉を顰めた。

 眼の前で跪く、敵を取り逃がしたキジルバシの隊長に対し。そして彼の口から出た弁解に対してだ。

 敵を取り逃がしたこと以上に、その弁解とやらの内容がグラダッソには気に食わなかった。


「余の聞き間違いか?今、貴様『勇者』と言ったか?」

「お、恐れ多くも、繰り返し申し奉るならば――確かに自分はそう申し上げました……」


 キジルバシ隊長は地面を頭を擦り付け、震える声でそう答えた。


 魔王正規軍の軍規は厳しい。敗北や逃亡には死を以て贖わされることが殆どである。

 しかるに、このキジルバシ隊長は完全に色を失い、士気もズタズタに崩れた状態で陣地へと逃げ帰って来た。

 そこを御大将たる副王グラダッソに目撃されてしまっているのだ。もはや如何なる言い訳も通用しない。

 隊長には事実を報告し、ただただ慈悲を乞うしかないのである。


「あの敵の騎馬隊の大将らしき男は、間違いなく勇者で御座いました。自分はそやつめが確かに魔導の技を使うのを、しかとこの眼で――」

「もう良い」


 グラダッソは手でキジルバシ隊長の言葉を制すると、そのまま掌で手刀を作り……一閃ッ!

 ――ズシャリと、鈍い音がひとつ。

 流石は高位の魔族である。

 素手の一撃で、硬い鱗を持ったリザードマンの戦士の首を見事に断っていた。


「貴様の言う事が事実であれ嘘であれ、最早遅いわ」


 副王は眼下に広がる自軍の様子に、苦虫を噛み潰した様な顔になっている。

 アントナムへの攻撃は中断されており、各隊の隊長や配下の将軍たちが動揺し浮足立った兵達を叱咤激励するために走り回っている様が見えたのだ。

 今しがたグラダッソ自らが処断した隊長の率いたキジルバシ隊の面々が、陣地に逃げ込むと同時に勇者を見た、勇者に仲間を殺されたと吹聴して回ったのである。

 これによって、攻撃部隊にまで後方から動揺が広がり、勢いを殺がれてしまった。

 結局、半月堡は落とせぬまま、部隊は人間どもに押し返されてしまったのである。


 現代の戦争において、勇者の存在がいかほどの意味を持つというのか。

 銃隊の戦列射撃にも、大地揺るがす砲撃にも、まるで及ばない。

 如何に神妙不可思議な力を持とうとも、それは所詮、匹夫の勇の域を出ていない。


 にも関わらず魔族は勇者を恐れる。

 童が幽霊を恐れる様に、特に下級の魔族は名を聞くだけで震え上がる。

 勇者が『昨日までの世界』において魔族へと与えた損害の数々は、今日においても伝説としての力を持っているのである。


「チッ――機を逸したか。一刻も早く、あの街を落とさねばならぬというに……」


 例えそれを担うのが最精鋭の部隊であったとしても、その攻勢には必ず『限界点』が存在する。

 攻撃の勢いは一旦ピークに達したが最後、それ以降は急速に減衰する。

 故に攻め手の指揮官はこの限界点を見極め、それが来る前に勝敗を決しなければならない。

 逆に守り手の指揮官は敵の攻撃の限界点を見極め、それが越えるのを待って反撃に転じなければならない。


 攻勢の限界点を見切る能力こそ、戦闘指揮官の優劣の決定的要因の一つである。

 しかし今回の場合、攻勢の限界点を超えてしまった事は誰が見ても明らかだった。

 さらなる攻勢のためには、一旦部隊を立て直す必要があった。


(急がねば……)


 副王にはこの街の攻略を急がねばならぬ理由が二つあった。

 一つは今回のセンラック侵攻作戦における戦略上の理由。

 そしてもう一つは、彼の『政敵』への対抗上の理由である。


「急がねばならぬ。連中に先を越されたとすれば……」


 かつては当代魔王に改革反対を唱えた副王だ。彼は今なお保守派の首魁であった。

 今回の攻撃にも、ロケット以外は至って伝統的な陣立てで望んだのだ。

 実績を以って、魔帝国伝統の優れたる所を世に見せつけねばならない。

 別方面から侵攻する『奴ら』――改革派軍――には、絶対に負ける訳にはいかないのだ。


「だとすればまず……不安要素は芽の内に摘むべきだ」


 副王は考える。

 動揺した我が軍を立て直すまではどの道、攻撃に転ずる事は出来ない。ならばその空き時間を、少しでも有効に使おうと。

 彼は傍らに控える侍従へと命じた。


「『スィパーヒー』を呼び出せ。狩りの時間だ、怪しげな『勇者』とやらを見つけ次第殺すのだと伝えろ」




◇勇/魔◆




 アルフェス・マクレラン少尉はエルフと人間の合いの子である。

 彼は、そんな自分の生まれに対し忸怩たるものを感じながら生きて来た。


『――お前は顔が良いだけの女なんかに騙されちゃだめだよ。顔が良いだけのエルフ男なんぞに騙されたアタシみたいにね』


 彼の母の口癖であった。

 父に捨てられて以来、彼女は洗濯女を始め、様々な職を転々とした。

 全ては、一人息子たるアルフェスを育てるためだった。

 望まぬ望まれぬ『混ざりモノ』の子供でも、彼女にとっては腹を痛めて産んだ我が子だった。

 母の辛苦を、その恩を、彼は忘れた事は無い。


 母は仕事を選ばず賢明に働いたが生活は苦しく、アルフェス自身も日雇いの仕事をして家計を支える他無かった。

 やもめと混ざり者の母子に、世間は酷く冷たかった。どうしようもない貧乏であったのだ。


 母を楽させる為にも、彼を『父無し子』だの『混ざりモノ』だのと馬鹿にした連中を見返す為にも、アルフェスは日雇いの合い間を縫い、あらゆる手段で勉学に励んだ。

 そしてやっとのことで陸軍士官学校に入学することができたのである。


 幸い、陸軍士官学校には近年設置されたばかりの奨学金制度があった。

 これがあるのは、センラック国内の高等教育機関では陸海軍の士官学校だけであった。


 大学のような高等教育機関に通えるのは、中産階級以上の金持ちの生まれだけである。

 そして役人や金持ちは、大学を出た連中ばかりで占められている。

 貧乏人が出世したいと思うならば、その道は軍隊以外になかった。

 いつの時代、どこの国でもそうであるように、軍隊は貧乏人達の『最後の希望』なのだ。


 アルフェスは陸軍士官学校内でも苦学し、主席次席とまではいかないながらも、それなりの成績でこれを卒業、

少尉任官後に『第21乗馬警邏隊』に配属され――ここで初の『実戦』を経験したのである。




◇勇/魔◆




 乗りてのいない隊長の馬が戻ってきた時、『僕』も曹長も、中隊の他の兵士たちもみんなエルドリク中尉は死んだものだと思い、顔を蒼褪めさせた。

 燃える果樹園を飛び出し騎乗、中尉が向かった場所へと急行すると、血まみれの彼が地面に倒れているのが直ぐに見つかった。

 幸い、重傷ながら死んではいなかった。

 しかし意識は無い。ならば、この場の指揮を誰かが引き継がねばならない。


「……」


 つまりは僕が、である。

 思わず、生唾を飲み込んだ。それも二回。


 ――はっきり言って、こんなことは想定外以外の何物でもない。

 僕が軍人を志したのは、祖国への忠誠故ではなく立身出世の為だ。

 むろん人並みには愛国心はあるつもりだが、しかし人並み以上じゃあ決してない。五体を賭して七生報国せん、などといった熱い情熱はまるで持ち合わせていないのだ。


 こんな突然の戦争など望んでいなかった。

 こんな勝つか負けるか云々以前に、自分達の現状さえ五里霧中の戦争などは、こっちから願い下げだった。

 軍人である以上、いつかは戦場へ征くことは覚悟していたとは言えども、それはこんな形でなんて話が違う。


 立て続けの実戦だけでももう充分だ言うのに、まさか指揮官の仕事までもせねばならないとは!


 正直言って、今にも逃げ出したい。

 指揮官など器ではないと、僕は自分でも思う。


 ――しかしだ。


(他の隊員達にとって、僕の内心などどうでも良いんだ。重要なのは……現状、この場での指揮権は僕にあるという事実!)


 自分は軍人であり、少尉であり、隊の副長だ。

 だとすれば、望む望むまいに関わらず義務は果たされなければならない。

 燃え滾る愛国心は無くとも、職業としての軍人稼業へのプロ意識ならば自分にも充分にある。

 それを支えに、今は踏ん張らねばならないのだ。


「――隊長殿には意識が無い。曹長、中尉殿を馬に載せて縛りつけてくれ、直ぐにだ。それが済み次第、ここを離れるぞ」

「ハッ!」


 いつのまにか傍らで控えていたパトリック曹長に僕は命令を下す。

 こういう場合の対応の素早さは、流石は古参兵といったところだ。

 僕は曹長達が隊長の体を運ぶのを横目に見ながら、ここを離れるとして何処へ行くべきかを考える。


(やはり、避難民らを隠してきた民家に逃げるべきか。あそこなら義勇兵の戦力をアテに出来るし、立てこもることも出来る。隊長も戦闘不能の今、これ以上の戦闘続行は避けるべきだ)


 僕は中尉が落としたままになっていたサーベルを拾うと、隊長を馬に括りつけ終わった隊員達の方へと振り返り、命令した。

 僕の手にはエルドリク中尉のサーベルが掲げられている。

 指揮権と同じくコレも、指揮杖代わりに一時拝借させてもらうとしよう。


「総員、転進。臨時基地へと戻るぞ!」




◇勇/魔◆




 臨時基地とした民家へと戻った僕達は、急いで『野戦築城』へと取り掛かった。

 馬車牛車を並べたりと、既に多少のバリケード作りは済ませてあったが、これでは不十分だった。


 隊長や他の負傷兵達の看護を心得のある避難民たちに任せると、僕は隊の全員を使って作業へと取り掛かった。

 民家の窓ガラスを全て割り、鎧戸を壊し、壁に穴をあけて銃眼を作る。

 足場を作って、塀の上から敵に対し射撃が出来る様にする。


 主だった出入り口には家財道具や穀物の袋を積み上げて封鎖し、その後ろにも足場を設けて射撃できるようにした。

 馬車牛車を並べた横にも、同じようにバリケードを作って僅かな防御の隙も潰していく。


 裏口は……敢えて塞がない。

 この民家の裏口は庭園や果樹園と繋がっており、樹木の陰になって裏口は見えないようになっていた。

 このカムフラージュを、木の枝などを積み上げる事で強化する。


 いざという時の逃げ場を用意してあるのとないのとでは、兵士達の戦いに臨む際の気構えが違ってくる。

 『背水の陣』などというものが出来るのは、極々一握りの、天才的な名将だけの話だ。

 逃げ道は、用意しておくにこした事は無い。


 館の陣地化を進める一方、手の空いた連中には武器弾薬の残りの量を確認させ、その簡単なリストを用意させた。

 既に、ここに到着した時点でエルドリク中尉がそれを済ませていたが、一度戦闘を挟んだ以上、改めて確認しておく必要があったのだ。

 学士上がりのアレクサンダー少尉が手伝ってくれたお陰で、リストはすぐに僕のもとへと届いた。

 ――その結果に、僕の顔は渋くなってしまったが。


「……厳しいな、コレは」

「そうだな。正直、ここに立て篭もって戦うには……」

「心もとない」

「ウム」


 リストを持ってきたアレグザンダー少尉と、現状の厳しさを確認しあう。

 隊長が寡兵で敢えて攻めに転じたのも解ろうというものだ。

 そもそも騎馬警官の仕事は治安維持と巡邏、後はせいぜい賊の討伐だ。その為、弾薬の備蓄はさほどの量を必要とされていなかった。

 しかしこれでは、長期戦を行うのはまるで不可能だと解る。


 中央からの援軍もまだまだ期待できない以上、僕達に残された道はアントナムの歩兵連隊と合流する以外には無かったのだ。


「――やはりここは、部隊を再編成して、再出撃を……」


 そんな事を考え、呟いた所だった。


「マクレラン少尉ーーッ!」


 曹長が自分を呼ぶ声がする。

 その声色で、『ろくでもないこと』が起こっただろうことは直ぐに解った。

 僕が跳んで行くと、パトリック曹長は自分に望遠鏡を手渡して、ある方向を指さした。

 まだ遠いが確かに見える土埃に、僕は嫌な予感を覚えつつ望遠鏡を覗きこむ。


「マジかよ……いい加減にしてくれ……」


 見えたモノに、思わず声に出して毒づいていた。

 ――見えたのは、こちらに接近する敵の槍騎兵の群れだった。

 僕の眼に、望遠鏡越しに見える敵の姿は近づいて来るにつれてどんどん大きくなっていく。

 一見するだけで、敵は装備が良いのが解る。

 種としての思想信条が為に、敢えて軽装で戦場に赴く上級魔族を除けば、装備が良い程に部隊の精強さも増して行くのは人間も魔族も同じだ。


「……あれは、『スィパーヒー』か」


 大型の駱鳥に跨るのは、全身を鋼の鎧で覆った青黒い肌の巨人……オーク種だ。

 オークは魔族のヒエラルキーの中でも『中の上』とでも評すべき位置にいる種族で、その外見は何処となく類人猿染みた風貌に、青黒い肌、やや先の尖った耳、平均2メートルの巨人である。

 良くオークは風貌の醜い種族と言われるが、それはゴブリンと混同されたが故の誤解で、顔立ちは猿染みてはいるものの、必ずしも醜いとは言えず、むしろ剽悍さを感じさせる者が多い。

 オークはリザードマンと同じく魔族軍では精鋭部隊を占めている事が多く、中でもスィパーヒーは人間の軍隊で言う所のエリート槍騎兵で、今なお戦場の花形兵種であるのだ。


 スィパーヒーの一隊は僕らの立てこもる館から数百メートル離れた場所で止まり、横隊の形を採った。

 ライフルカービンの有効射程内だが、しかしスコープ無しでこの距離で命中させるのは実際厳しいだろう。


 スコープ付きのライフルは、近年になって登場した新兵装である。

 エリートで構成された実験部隊である『実験ライフル連隊』を除けば、支給されている隊は殆ど無い。

 当然、こんな辺境部隊にはスコープ付きの銃などある筈も無かった。


「嫌な所で止まってくれた。この距離じゃ狙っても当たらない」

「自分なら一発で敵の指揮官を仕留められるかも知れませんが、どうしますか?」


 望遠鏡より眼を離し、僕は曹長の顔を見た。

 パトリック曹長は伊達で勲章をぶら下げている訳ではない。彼は歴戦の勇者であり、特に射撃の技量は隊でも随一の名手だった。

 僕は少し考え、しかし首を横に振った。


「いいや、やめておこう。藪をつついて蛇を出す……もう少し敵の様子を見るまでは、迂闊に仕掛け無い方が――」

「たぶん、連中はあそこから動きませんぜ」


 曹長の指摘は、その字面に反して語気が断定的だった。


「何故だ?」

「少尉殿は、あそこに槍騎兵が張り付いている状況で外に出れますかね?」


 曹長は僕の問いに対し、逆に聞いてきた。

 質問に質問を返されるのは気持ちいい事ではないが、相手が曹長だけに僕は律儀に答えた。


「乗馬歩兵で槍騎兵に挑むなんてゾッとしないね。逆に連中からコッチに突っ込んで来てくれるなら、良い射的の――」


 そこまで言って僕は、曹長が何故先のように断じたかを理解した。


「なるほど。あそこに連中が張り付いいる限りは、『動けん』わけか」

「ええ、お互いにね」


 乗馬歩兵は槍騎兵の突撃に耐えられない。

 だが槍騎兵で野戦築城の済んだ陣地に突っ込むのも愚の骨頂だ。

 つまり僕らはこの民家より動く事が出来ず、そしてスィパーヒー達もまた、こちらには攻めてこられないのだ。

 しかし、同じ動けないでも、僕らと連中では事情がまるで違ってくる。


「マズいな……」

「ええ、マズいですな」


 思わず、焦りに冷や汗が吹き出てくる。

 あそこにスィパーヒー達が陣取っている以上、こちらは迂闊に動けない。しかし連中は増援を呼ぶ事が出来る。それも歩兵の増援を。

 こちらをここに釘付けにしている間に、歩兵の増援で包囲を完成させれば……寡兵の上に援軍も期待できない状態での籠城戦など、自殺行為以外の何物でもない。加えて、武器弾薬も潤沢とは言い難いのだ。


(クソッたれが!)


 胸中で毒づくと、僕は必死に考えを巡らせる。

 気づけば僕は親指の爪を手袋越しに噛んでいた。

 幼いころにに母に厳しく躾けられた筈なのに……焦りがこんな所に出てしまうとは我ながら情けない!


 それでも僕は手袋の先を噛んだまま、空いた方の手で望遠鏡を構えスィパーヒーを窺う。

 やはり連中には動く気配が見えない。やはりあそこに陣取ることで、こちらを封殺するつもりなのだ。


 ――ふと僕は、裏口の事を思い出した。


「曹長」


 言うと同時に、僕は右手を口から離していた。

 どうでも良いが、手袋の先がヨダレと噛み跡で悲惨な事になっている。


「特に足の速い兵を召集。数は……二十名程。それと、射撃の上手い兵を別に集めて民家の屋根の上に配置。こっちは、数は問わない。上げられるだけ上げるんだ」

「了解しました」


 曹長は走って、指示された兵を呼び出し始める。

 僕は拳銃をホルスターから引き抜くと、確かに弾丸と弾薬が装填されているのを確かめながら呟いた。


「やられるまえにやれ、だ。良いさ、コッチから仕掛けてやる」




◇勇/魔◆





 僕は脚の速い兵士の一隊を率い、民家の隠された裏口から外へと出た。

 果樹や生垣の後ろに潜みながら、僕達は音を立てないように行動する。

 目的は一つ。

 僕達が動けぬように陣取ったスィパーヒー達の背後に回る事だ。


 今度の作戦は極めてシンプルなもの。

 まず館の屋根に上げた射撃の上手い兵士達に、スィパーヒーへと射撃させ連中を挑発する。

 これで敵が館の方へと動き出してくれるのならば良し、そうでなくとも敵の注意はどうしても館の方へ向く。

 その上で連中の背後へと回った僕達が不意打ちの一斉射撃を浴びせ、民家の方の部隊と挟みうちにするのだ。


 僕達は寡兵であり、ライフルの数も少ない。

 故に前後両方からの一斉射撃を浴びせたとしても、敵へと与える損害は大したものにはならないだろう。

 しかし戦場において真の重要な事とは、敵を殺す事では無く敵の隊形を崩し士気を失わせ、潰走へと追い込む事にこそある。

 殺すだけならば、逃げる敵を追撃する際に充分に出来る。立ち向かってくる敵を殺すのに比べれば、逃げる敵の背中を撃つ方が遥かに容易い。

 ――士気を挫く。

 少数が多数に勝つには、これしか手段は無かった。

 この土地が、平坦さの少ない、でこぼこの緩い丘陵地帯であったのは幸いだった。身を隠す為の場所ならば、それこそごまんとある。


 僕達は口を閉ざし、背を屈め、静かに進む。

 館よりの攻撃を任せた曹長達がスィパーヒー達への射撃を始めるまでには、何とか敵の陣取る地点の後方へと移動を済ませねばならない。


 静かに、されど迅速に、僕達は進むのだ。

 果たしてその先にあるのは何か。

 死中に活路を見出すか。さもなくば地獄に墜ちるか。


 いずれにせよ、ただ前に進むのみだ。





◇勇/魔◆





 ――夢を見てるらしい。

 俺はその事実に直ぐに気がついた。

 目前に広がる光景は、現世においてはあり得ざる情景であったからだ。


 鋼の騎影が地を駆ける。全身を隈なく鎧に身を包み、跨る馬すら鎧で覆われている。

 騎群の数は決して多くは無い。

 せいぜい数百を数えるに過ぎない騎馬武者達が、土埃を上げて荒野を疾駆している。


 鋼鉄の騎兵の一団に、混ざるラッパ吹きが高らかにラッパを吹き鳴らす。

 軍旗が掲げられ、そこ翻る紋章は俺にはとても見覚えのある代物だった。


 ――赤地に縫い取られた黒い鷹。その胸元にはバナー(紋章旗)が設けられ、白地に赤で『X』と『P』の組み文字が映えている


(――『ラバルム』)


 俺は胸中でその名を呼ぶ。

 見間違えなどする筈も無い。『救世主』を意味する古代語の頭二文字を取り出して紋章をしたものだ。『勇者』の一族が代々それを掲げる事を認められ、求められ、一族の誇りの証として自認してた『印』。

 それが軍旗に掲げられているということは、この軍勢は――。


(俺の先祖の誰かが率いた軍勢か!)


 俺の考えは恐らく正しいだろう。

 鋼の騎馬武者達が纏う鎧も、跨る馬も、そのいずれもが一級品であるのが明らかなモノ。そしてあの軍旗……偽物などでは無い、正真正銘の本物の勇者軍の筈だ。

 騎群は軍旗を掲げる騎手を先頭に、空から見れば逆三角形状の楔型の陣形をとった。


 この陣形も、俺は良く知っている。

 『槍の穂先』と呼ばれる、とてつもなく古く、しかし実績のある伝統の陣形だ。

 俺は何度も何度も、一族の長老たちの昔語りの中にこの陣形が出て来るのを聞いた。


 伝説の霧に包まれて、最早史実か否かも定かでない『初代勇者』の時代……。当時の初代勇者が、初めて魔王軍の破った際に使った陣形だと伝えられていた。


(そして……あの先頭の騎士は)


 その『槍の穂先』において、その切っ先の先の先を任された騎士。

 軍旗を掲げながら猛進するその騎士の武器甲冑は、他の騎士達は明らかに一線を画している。

 他の騎士達はいずれも、犬面兜(ハウンスカル)を被り、鎖帷子と板金鎧を半々で組み合わせた鎧を装着している。

 それに対し先頭の騎士は、鳥の羽根状の前立ての付いた皿型兜(サレット)を被り、関節や脇下などの可動部を除く全てを板金で覆った鎧、いわゆるフルプレートメイルを纏っているのだ。

 恐らくは、この時代における最も新しいタイプの鎧であり、その意匠の細やかさから考えるに最も高価な鎧兜だろう。その盾は白く塗られ、血よりも赤い緋で、やはりラバルムが染め抜かれている。

 先頭故に最も危険であり、その上でこの陣を先導する為に最も重い役目である、先駆けの役。

 それを担い、しかもそれに相応しい洗練された装束。

 間違いない。あの先頭の騎士こそが……。


(『勇者』かッ!)


 それも、自分のような『その血を引いている』といった程度の名ばかりのモノでは無い。

 『人類の盾』の役割を担い、血と栄光の中に生きた正真正銘の勇者だった。


 夢中の『勇者』は自身の一馬身ほど後方を走っていた、従者らしき騎馬武者に何事か叫ぶと、近づいてきた彼へと軍旗を手渡し、腰間の長剣を引き抜いて天へと切っ先を立て、さらに大きな声で何かを叫んだ。


 それは呪文のようであった。

 長い時を経る過程で失伝したのか、俺も聞いた覚えの無い呪文だった。


 『勇者』が呪文を唱え始めるのに合わせて、『槍の穂先』の一角を為すエルフの騎士達も同じ呪文を唱和する。彼らの声が昂るにつれて、『槍の穂先』は徐々に光の帯に包まれ始めた。


 光はまたたくまに騎士達の成す楔を覆い、『槍の穂先』は巨大な光の鏃となった。

 光となった彼らは、一直線に突き進む。その先にあるのは――魔王軍!


 紫、青、赤、緑と色とりどりの『双頭の竜』の旗は、間違いなく魔王軍のものだ。

 現在目にする魔王軍よりも、遥かに多く、遥かに士気に溢れた地獄の軍勢が、腐臭すら感じる息を吐き、雄叫びを上げる。

 しかし一片とも恐れを見せず、光の穂先は突き進み、敵陣へと深く突き刺さった。

 最高速度の重機関車にでも突っ込まれたように、魔王軍の兵士達が文字通り吹き飛ばされる。


 その余りにも現実離れした光景に、俺は思わず目を剥く。


 光は敵陣に突っ込んで暫くすると薄れ、消えた。

 そして消えた光の中より飛び出して騎士達は、剣や斧を手に、魔王軍へと斬り込んでいった。


 その血みどろの戦いを、俺は何処からか眺めている。


 ふと『勇者』がコチラの方を向いた。

 ――そして目が合った。


 その瞬間、俺は、兜で隠されている為に見えない筈の彼の口元が動き、何かを俺へと向けて呟いたのを確かに理解した。


 彼は――……。





◇勇/魔◆




 それは彼の中に流れる血のなした事なのか。

 アーサー・エルドリクは、青白い顔をしながらベッドの上に横たわり、不可思議なる夢を見る。

 彼にはまだ、目覚める様子は見えない。


 ――『現代の英雄』は、まだ覚醒していない。



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