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第10話 with Sword on Fire




 黒く大きく細長い塊が、煙と火の尾を帯びて飛んでくる。

 ソイツは俺の部下達のただ中へと飛び込んで、爆ぜた。

 硫黄と黒炭、そして硝石の混合物に火を点ける時、化学反応により窒素と二酸化炭素は生じる。

 個体が気体に変わる時、その体積は千倍以上に膨張する。

 ――これが爆発の原理だ。

 極めてシンプルだが、その単純さからは想像もつかぬ驚くべき威力を生む。

 敵の『花火兵器』の中に詰められた火薬に火が点けば、化学変化により体積は劇的に急膨張する。

 体積の膨張は火薬を納めていた鉄の弾体を内側から爆ぜさせ、その暴力的なエネルギーを周囲に撒き散らす。

 鉄の弾体は内よりバラバラにとなり、暴風に吹き散らされる木端の如く、尖った散弾となって四方へと飛び、俺の部下達をなぎ倒した。

 『勇者』の家に生まれついた者は、常人を超えた天賦の五感が備わっている。

 俺の鋭い動体視力は、見えた、見えてしまった光景を余すことなく脳裏に刻みつける。


 ここは戦場で、これは戦争だ。だから目の前で起きてしまったことも、当然ありうる出来事だった。

 『戦死者』が出た。

 我が隊から、戦死者が出たのだ。


 大きな鉄片を頭に受けて、地に伏しピクリとも動かない者が三名。破片を腹に受けて蹲っているのが一名、脚にもらったのが一名……他は軽傷が数名であった。

 頭に鉄片を受けた三名は『もう駄目』だろう。それは一目見ただけで俺にも解った。


 隊より出た初の『犠牲者』に騎馬警官達は動揺し、どよめている。

 だが狼狽える味方の間を縫って、一人の男が駆け出て来た。

 パトリック曹長だった。曹長は素早く頭より血を流す三名に駆け寄ると、その首の脈を計り、俺の方を見た。

 そしてその首を横に振った。


 やはりというか――死んでいた。戦死したのだ。


 一瞬、配下の騎馬警官達と同じように俺まで狼狽え騒ぎ出しそうになる。

 心は動揺につき破られそうだし、冷や汗で背骨は氷のように冷たくなっている。

 なけなしの気合と勇気で恐れに焦りを無理矢理抑え込み、傍らで青い顔をしていたマクレラン少尉らに怒鳴った。


「何をしているッ!早く負傷者を運ぶんだッ!敵は待ってはくれんぞッ!」

「ハイッ!オイ!みんな急ぐんだッ!」


 少尉達が、急いで負傷者たちを担ぎに回る。

 その間にも、パトリック曹長は素早く死んだ3人の装備を回収に回っていた。

 一方俺はと言うと、戦況のほうへ目を遣っていた。

 味方の歩兵連隊は敵を押し返した後、潮が引くように半月堡へと戻っている。

 敵の駱鳥騎兵隊は、依然、土煙をあげながらコッチへと駆けて来ている。

 モタモタしている時間は無い。早く移動しなければ追いつかれてしまう。

 いや――問題はそれだけじゃ無い。


 敵陣の一角より、またも白煙が上がった。

 敵の『花火兵器』の第二弾だッ!


「隊長ッ!」


 曹長もそれに気付いて俺に叫ぶ。

 俺はその弾道を眼で追うが――思わず鼻で笑ってしまった。


「大丈夫だ、曹長」


 『花火兵器』は途中で弾道を大きく曲げ、俺達からずっと遠くの地面に落下した。

 見れば、市街地に撃ちこまれている『花火兵器も』も弾道は不安定で、中には敵陣、つまり連中からすりゃ『味方』のど真ん中に着弾しているモノまである。


「敵の砲兵はどうしようもない下手くそらしい。見ろ」


 みたび敵陣より白煙が上がったが、今度は俺達の頭の上を遥か通り越して丘のずっと向こうで爆発したようだ。

 大砲よりもずっと速いペースでアントナムや俺たち目掛けぶっ放している所を見るに、精度は最初から捨てて手数で攻める類の兵器であるらしい。

 つまり背中を見せても狙い撃ちされる可能性は限りなく低いということだ。


「今の内に逃げるぞッ!総員乗馬ッ!」

「総員乗馬ッ!」


 待機組が引っ張ってきた馬に俺たちは次々と飛び乗る。

 腹に一発貰っていた重傷者は、鞍に荷物の様に無理矢理乗せられていた。

 彼も『駄目』かもしれない。


 ――気が付くと俺は、自分でもびっくりする程に冷静になっていた。


 ロバート・アリンガム。元壁紙職人。

 トマス・コリンズ。農家の三男坊。

 アンドリュー・メルヴィル。金物屋の元放蕩息子。


 死んだ三人の名前だ。


 リック・ピータスン。元見習い大工。


 死にそうな一人の名前だ。


 死んだ三人とも、今にも死にそうな一人とも、隊長に任ぜられてから俺は毎日顔を合わせている。

 どんな性格か、生まれは何処か、誰と仲が良いか……みんな知っている。


 だが彼らの死や、死にむかいつつある姿を前に、俺の心は冬の水面のようになっていた。

 さっきまでの恐れも焦りも、ひとまずは奥に引っ込んで大人しくなる。

 どうやら俺も、曲がりなりにも『勇者』の血筋であったということだ。

 修羅場鉄火場のなかにあって、自身の部下が死んでも、何とか一線で平静を保っていられる。

 俺自身の資質……という感じじゃない。

 血だ。俺のなかに流れる一族の血が為せることだと、俺は思った。


 混乱と動揺は死を招くのが戦場だ。しかし指揮官さえ優秀ならば混乱も動揺も抑え込める。


 隊の皆がが動揺しつつもちゃんと動けているのは、俺と、あと曹長が平然としているからだろう。

 士官は部隊の柱。柱さえが堅固に立ってさえいれば、例え戦友が無残に死のうとも、隊は早々に崩れはしない。


 俺は努めて冷静に動き、曹長も経験から冷静に動き、隊の連中はそれにならって動いた。

 生存者は全員無事に乗馬した。

 俺はホイッスルを鳴らし、サーベルと抜いて『転進』を先導する。

 撤退では無い『転進』だ。まだ、戦闘は終わっていない。


 俺は手綱を握り愛馬へと拍車を掛けようとして、振り返った。

 先に逝った三人の亡骸を一目見る。そして声に出さず告げた。


 ――必ず、仇は討ってやる。


 そう誓って、俺は叫んだ。


「我に続けッ!」


 号令して、サーベルの切っ先を進む方に向ける。

 刃の先に陽光を四散させながら、我ら第21乗馬警邏隊は一斉に駆け出した。


 その速度は『襲歩(ギャロップ)』。要するに全力疾走だ。


 実は、本職の騎兵であってもギャロップで馬を駆けさせるのは稀だ。

 言うまでもないが馬は生き物なのだ。つまり走れば疲れるのだ。

 突撃の時など、重要な局面以外ではその体力を温存させなければらない。肝心な所で馬にバてられては跨る騎兵の命にも関わる。

  ――だが今は、愛馬の体力温存を気にしている場合では無い。

 素早くここから移動しなければ、敵の駱鳥騎兵の餌食になってしまう。


 駱鳥騎兵は実の所、馬の騎兵に比べるとその突撃力は劣る。

 これは単純に、『駱鳥』の脚の速さが馬のソレに劣っているのが理由だが、しかし『駱鳥』は兎も角、それに乗っているリザードマンは強力無比、怪力無双だ。

 もし追いつかれて騎兵戦に持ち込まれれば、俺達の命運は尽きたも同然。俺達、騎馬警官は乗馬歩兵。騎兵戦は管轄外だ。


「続けー!我に続けぇぇぇッ!」


 サーベルを振りまわし、何度も振り返りながら部下を鼓舞する。

 ラッパ卒が、勇ましく『再集合ラッパ』を掻き鳴らしている。

 『退却ラッパ』では無く、『再集合ラッパ』だ。

 俺達の後退は、逃げるのでは無く、退いた先で再集合して戦う為の『転進』だからだ。

 詭弁に聞こえるかもしれないが、軍人はみだりに退却などと口にしてはいけない。

 一度逃げると口にすれば、なけなしの士気もあっという間に消え去ってしまう。


 丘陵を越えて、駆け降りる。

 そこからさらに駆けて、駆けた先の手近な果樹園へと俺達は隠れ込んだ。


「中隊、下馬して整列ーーッ!」

「中隊下馬後に整列ッ!隊長を中心に下馬してせいれぇぇぇぇぇつッ!」

「戦列を組めッ!戦列を組むんだッ!」


 適当な果樹に手綱を結びつけると、俺達は素早く二列横隊を組んだ。

 俺達乗馬歩兵は装備が軽いのもあって駱鳥騎兵よりずっと脚が速い。

 だからまだ、敵が追いついて来る様子は見えない。迎撃態勢を整える時間は充分にある。


「装填が済んでいない者は今の内に済ませるんだ」

「素早く再装填だ!敵が直ぐに来るぞぉぉぉッ!」


 部下たちは一斉に、口で噛み切ったり銃剣で切ったりして紙薬包を開き、槊杖で銃身に弾薬を押し込む。

 俺も自分のカービン銃を取り出し、兵たち同様に装填を済ませる。


 その間の索敵は、マクレラン少尉に任せていたが――不意に望遠鏡から眼を外すと、俺へと叫んだ。


「隊長ッ!敵です、追って来ました!」

「良しッ!みんな、照尺合わせ!100ヤード!」

「照尺100ヤード!」


 少尉の指さす方、まだ遠いが、確かに敵の姿だ。

 こちらを見失ったのか、あちこちを見まわし、何事か叫んでいる。


「良いか。充分に敵を射程に入れてから撃つんだ。100ヤードの距離だ。敵が近づいてきた時は、照尺を変えるのを忘れるな」


 小声で、俺は部下達に対し呟く。

 だが、それは俺自身に対して言い聞かせているようでもあった。

 勇者の血をひく者でも、人並みに程度には緊張はする。

 動揺こそしていないが、胸は高鳴り汗は噴き出してくる。


「……」


 深呼吸を一つ。それで落ち着けた。

 双眼鏡を取り出し、覗きこむ。

 見えたのは敵の駱鳥騎兵で、その中心はリザードマンだが、しかし毛色の違うのがいくらか混じっているのが解る。

 背丈の小さい、犬の様な毛むくじゃら野郎が何匹か――。


「あれは……コボルトシャーマンか!?」


 俺は思わず叫んでいた。

 同時に、双眼鏡の向こう側のコボルト魔術師、“コボルトシャーマン”と眼が合った。


 ――気付かれた!


 思った瞬間には、俺は既にカービン銃を構えていた。

 照準器を合わせる事も無く、自身の眼のみで標的を狙う。

 勇者の一族に生まれ、天賦された視力を持つからこそ出来る事だった。


 コボルトは犬に似た毛むくじゃらの魔族だが、魔術師としての素養に富んだ者が多い。故に魔族軍の中にコボルトの姿を見れば、まず魔術師と見て間違いない。

 魔術師は索敵を始め、実に多様な任務をこなす事が出来る。

 人間側の科学技術の発達で、相対的に劣って見えるが、実際、魔術師は恐ろしい敵だ。術者の実力にも依るが、高位の術者相手であれば、その間合いに入る事は死を意味する。


 ――魔術師混じりの騎兵に発見され、魔術と騎兵突撃の合わせ技を貰えば、自分も部下も命が無い。

 そう気づいた時には、体が無意識の内に動いていた。


 しかし熟慮を経ない思い付きの行動がそのまま結果に繋がるのは、極一部の天才達の間でしかない。

 俺は『勇者の家』に生まれたが、天才でも英雄でも無かった。

 血のなせる冷静さ、という化けの皮も遂に剥がれ落ち、未熟な地金がその姿を晒す。


 俺がしでかした事は、まるで碌な結果を産まなかった。


 ――ズドォォォォォンッ!と不意の銃声が果樹の茂みを貫き、我が隊員たちの度肝を抜いた。

 俺は部下達に何一つ告げることもなく、狙い、引き金を弾いていた。

 腕利きの射手が『椎の実弾』仕様のライフル銃を使うならば、600ヤード先の標的を一発で撃ち殺す事が出来るという。

 幸か不幸か、俺の撃った銃弾はコドルトシャーマンの狭い眉間に的中した。

 脳漿と血をまき散らしながら爆ぜるヤツの頭が、俺にはハッキリと見えた。

 ――『()った』と思った。

 会心の笑みが口の端に上りそうになってしかし、次に聞こえて来た音に俺は蒼褪め、戦慄した。


「撃てぇェェッ!」

「殺せぇェェッ!」


 銃声が幾つも重なりあい、硝煙が辺りを満たす。

 指揮官たる俺の予告なしの射撃に釣られて、曹長のような一部の古参兵を除いた全ての部下達が、一斉に射撃を開始したのだ。しかも人に釣られての考えなしの射撃であったから、狙いが不正確なばかりか照尺も合っていない。

 当然、敵には有効な損害を殆ど与えられない。


「バカッ!誰が撃てと言ったかッ!?」


 冷静沈着なパトリック曹長が思わず怒鳴っているのが聞こえる。

 本来であれば、指揮官である俺が真っ先に言うべき言葉を、曹長が叫んでいる。

 だが、真っ先に引き金を弾いたのは、他なる俺自身なのだ。

 普段は落ち着いたマクレラン少尉ですら、思わずの射撃を行ってしまっている始末だ。


 黒色火薬の銃は音と煙を良く吐き出す。

 音と、特に煙とその臭いにより、容易に射手の位置を知ることができる。

 だからこそ、狙撃・不意打ち・待ち伏せをする時には細心の注意が求められるのだ。

 にも関わらず俺は――。


「糞ッたれがッ!」


 自分自身に対しそう叫んだが、後の祭りだ。

 敵に、こちらの位置を知られてしまったのだ。

 駱鳥騎兵隊長と思しきリザードマンが鬨の声を上げ、こっちへと全力疾走してくるのが見えるッ!


 ――何と言う失態か。


 現代の軍隊においてスタンドプレーは厳禁であり、特に指揮官のそれは最悪と言っていい……。

 ――しかし、敵は俺が失敗を後悔する時間すら与えてくれはしないッ!怒濤の敵の突撃は、見る間に迫って来るッ!


「総員、拳銃抜けッ!」


 俺はカービン銃を投げ捨て、愛用の拳銃を左右二丁で引き抜いた。

 混乱した状況の中、しかし訓練に覚えた動き通りにもたもたと次弾装填を図っていた部下達が、俺の声にハッとして正気を取り戻す。慌ててカービン銃を捨て、拳銃を引き抜き、構える。


「狙えッ!」

「良いか、乗ってる鳥を狙うんだ!上の蜥蜴を狙おうと思うなッ!」


 曹長は冷静に命令を下している。

 俺が曹長の方を横目に見ると、眼が合った。

 『やらかしたなテメェ』と、口には出さずとも眼でそう言っているのが解った。

 だが声に出して文句を言うことはなく、口から出るのは相変わらず聞き惚れる声の号令だけだ。

 今は棚上げにしてくれるらしい。古参兵らしく、戦場においてまず為すべき事を俺などより遥かに良く解っている。危急において、士官達が揉めている場合では無いからだ。

 ――後で何を言われても、黙って聞く他なさそうだ。



「落ち着け、まだ撃つな。拳銃の射程は短い。ぎりぎりまで引き寄せてから弾幕で敵を圧倒するんだ」


 接近戦ならば、連発出来る拳銃以上に心強いモノは無い。

 中隊規模で連射すれば、拳銃といえでも充分に威力を発揮できる筈だ。


 土煙りを上げ、雑草を蹴り散らしながら、迫る敵の駱鳥騎兵を注意深く観察し、機を窺う。

 拳銃の射程は短いのだ。適切な間合いを見極めなければ――そんな事を考えている時だった。


 敵が普通の駱鳥騎兵と様子が違うことに気がついた。


 向かってくる駱鳥騎兵のリザードマンは、頭に兜の代わりに独特の意匠の赤色帽子を被っている。


(『キジルバシ』か!よりにもよって!)


 俺は思わず胸の内で毒づいた。

 『キジルバシ』とは魔族語――正確にはその一方言において――で『赤い頭』を意味する。

 被っている独特の赤い帽子に由来する名を関したコイツラは、駱鳥騎兵の中での選りすぐりの連中だった。

 主な武器は短めの騎槍と湾刀、そして小型の複合弓。

 『複合弓コンポジット・ボウ』とは、複数の素材を組み合わせる事で威力と射程を増した弓の事だが、『キジルバシ』はその使い方に精通した恐るべき弓騎兵なのだ。


 敵が、一斉に弓を取り出すのが見える。

 しかし、いかにキジルバシとは言えこちらは果樹園の中である。正確に狙い撃てるとは思えない。


(矢の雨でこちらを燻り出す気か?――ッ!?)


 ここで気付いた事がもうひとつ。

 敵のキジルバシの中に、毛むくじゃらの犬めいた顔がチラリ――まだ敵に魔術師が混じっていた!


「――撃てッ!」


 まだ間合いに遠いが、撃ち方始めの号令を叫んだ。

 敵の術師の意図が読めたからだ。ここで敵を止めなければマズい!

 部下達は戸惑いながらも、しかし射撃を開始した。


「糞ッたれがッ!」


 しかし間合いが遠い。

 敵に有効な損害を与えられていないッ!


 俺は二丁の拳銃を交互に連射した。

 だが俺のそんな足掻きを踏みつぶす様に、最も来て欲しくない展開がやって来た。


 敵のコボルトシャーマンが呪文を叫ぶと、キジルバシの構えた弓矢の鏃に火が灯り、ゴウと燃えだしたのだ!

 魔術で鏃に火を点けたのだ!――火攻めだ!火攻めにする気なのだッ!


「総員乗馬ッ!ここ放棄して転進するッ!」

「総員乗馬ッ!総員乗馬ッ!」

「急ぐんだッ!ここを放棄するぞッ!」


 皆にも燃える鏃はハッキリと見えたのだろう。

 俺の号令に従い、慌てて馬の方へと駆け戻るが、もう遅い。

 敵騎兵隊長の号令を引き金に、火矢は一斉に放たれた。

 燃える矢は放物線を描きつつ、俺達の方へと襲い掛って来たのだ。


「うわぁぁぁぁ!?」

「火だ、火だァァァ!?」

「急げーーッ!」

「逃げろーッ!」


 下草に、果樹に、容赦無く火は灯る。

 恐らく鏃に発火物を仕込む等の細工があったのだろう。枯木でもあるまいに、火は勢いよく燃え広がる。


 俺は煙の向こうにいる、キジルバシの動きを注視した。

 矢を射終わった後、敵は鳥首を返し後退、戦列を整え直している。

 俺達が火に炙り出されて来た所に突撃を仕掛けて来るつもりだろう。騎兵なら兎も角、乗馬歩兵では太刀打ちできまい。このままでは全滅必至だ。


(出来るか――いや……)

「やるしかあるまい」


 他に手は無かった。

 俺は指揮官としてあるまじきことを再び、しかも今度は自分の意志でやることを腹に決めた。


「隊長!?」

「ちょっと、何を――」


 マクレラン少尉や、曹長の戸惑いを背に俺は愛馬に跨ると、サーベルを抜刀ッ!


「少尉!曹長!撤退の指揮は頼んだッ!」


 手綱を引き、拍車を掛ける。

 最大全速で一気に燃える果樹園を飛び出すッ!

 敵のキジルバシ達の驚く顔が見えた。

 それはそうだろう。無様に逃げ出した獲物を狩るつもりが、その獲物がサーベル片手に、それも単騎駆けで突っ込んで来ると誰が思うか。

 だがこちらが単騎のみで後続がないと見るや、表情の解りにくい爬虫類ヅラにも、ハッキリと嘲笑が見て取れた。

 破れかぶれで突っ込んで来たと思ったのだろう。まぁ間違っちゃいない。

 実際、これから自分のやろうとしている事は完全な行き当たりばったり出たとこ勝負で、成功する保証など全く無い。


 しかしどの道、何もなせねば死のうは一定。

 死ぬならば、足掻くだけ足掻いて、兵士らしく戦死だッ!


「――腹ァくくるぞ」


 自分に対し激を飛ばし、サーベルの切っ先を真っ直ぐに構える。

 敵が数騎、俺を包囲殲滅せんと馬を進めて来る。

 ――間合いは充分。


「――HEKAS、HEKAS、ESTE、BEBELOI……」


 一族の内に秘される口伝の呪文を唱え始める。

 それと同時に、全身の血管を『何か』が通りぬけ、体全体が戦慄くのを感じる。吐き気と頭痛が同時に襲い、胃液が逆流しそうになる。気合で、気合のみで無理やり抑えこむ。


 呪文が唱え始まると同時に、伝家のサーベルの刀身が、微かに輝きを帯び始めた。


 勇者の一族は精霊の加護を受けて生まれてくる。つまり、魔術異能を成す力を持って生まれてくるのだ。

 だがこの世に、何の代償もなく手に入る奇跡など無い。異能の対価は体に返ってくる。

 故に古の時代においては、勇者の一族に生きる者は全て、その身に宿った異能を使いこなすため、物ごころつく前から異能の行使に耐えうる肉体を作るための修練を積んでいたという。

 それは地獄の修練だったと聞く。肉は裂け、筋は縮れ、血は滲み、反吐に沈む修練だったと聞く。

 勇者が必要とされなくなって既に二〇〇年余り。そんな地獄の修練、やるやつなど誰もいなくなった。

 ――つまり俺も修練を受けてはいない。

 如何にその血に異能を遺そうとも、それを常人の身のままで行使できる筈も無い。


 『代償』は大きい。

 しかしやるしかない。


「――SHDI、ALCHI――」


 呪文と共に、不快感は増し、視界が揺れる。

 恐らく眼は充血し、顔は死人の如く蒼褪めているだろう。

 しかしそんな俺の姿とは対照的に、伝家のサーベルはその輝きを増す。

 刀身を軸に、空気中のエーテルが集められているのだ。


 松明のようなサーベルの輝きに、情け無用の精鋭キジルバシの顔にも恐怖が現れる。

 慌てて鳥首を返そうとするが――もう遅い。


「A*M*E*N――!」


 呪文が末尾を叫ぶと、俺は件サーベルを中空で振り抜いた。

 その軌跡に合わせて、刀身に集まったエーテルが光の刃と化して発射され、射線上のキジルバシを数人、大根でも斬る様に輪切りにした!

 それと同時に、俺は口から血を吐き、耳と鼻からも血が噴き出し、眦からは血の涙が溢れる。

 意識が飛びそうになるのを何とか堪え、予期せぬ事態に慌てるキジルバシ共へと、最後の気力を振り絞り、俺は大音声を放った。


「―― 勇者エルドリク推参ッ!死にたいヤツからかかってこいッ!」


 人間語は解らずとも、その意味する所と込められた気迫は理解できたらしい。

 遺伝子に刻まれた、過去の時代の勇者の猛威を思い出しでもしたのか、蜘蛛の子を散らす様に敵は潰走していく。

 遠ざかる背を眺め、にやりと笑うと、俺は再び血を吐いて、ぐらりと体をよろめかせる。


 意識が遠のき、体はさらに斜めに傾き、みたび血を吐きながら意識は暗転、俺の体は愛馬より地へと落ちた。

 敵数騎ごときに対しこの代償――やはり勇者は時代遅れだ。

 そう思いながら、俺は意識を手放した。


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