第1話 the Modern Hero
『……然るに勇者エルドリク、やおら聖剣をば引きぬくと、その刃、陽の如く輝きて、有り様、数千の松明を一度に燃やしたがごとし。聖霊の力ぞ宿りし輝ける剣、横薙ぎに振るえば、魔王為す術とて無く、その首、胴より離れたり。将失いし魔軍、瞬く間に崩れ、四方に散る。以ってセンラックが軍勢、古き林檎の木の丘にて勝利す。アルフスタン王が御代、十年目のことなり……』
――センラック年代記
――昔、昔
人間の持つ技術も知識も、今よりずっとずっと拙く乏しかった時代。
世界は『魔族』どもの天下だった。
怪物共は昼夜問わず跳梁跋扈し、人々は俯き肩を窄めビクビクと怯えながら、かろうじて飢えを凌ぐ毎日だった。
魔族どもは生まれながらにして恐るべき膂力と魔力を持ち、対して人間たちはあまりにも無力だった。
富める者達は高い城壁の中で縮こまり、貧しき者達は森や林の陰に隠れ息を潜め暮らしていた。
魔族と人間とでは種としての地力が違いすぎて、対峙すればまるで勝負にならなかった。
闘いなどとは到底呼べない、魔族からの一方的な虐殺だった。
――極々一部の例外を除けば、だが。
人間にも、本当に僅かだが、魔力と精霊の加護を持って産まれて来る者達がいたのだ。
彼らは魔族をも凌ぐ、優れた闘う力を持っていた。
彼ら少数精鋭の戦士達は、無力な多くの人間達の盾として縦横無尽の活躍を見せた。
彼らは少数で大勢の人間を護らなければならなかった。
だから機動力が求められ、馬に乗って戦った。
――それが『騎士』と『勇者』の始まりであり、人類暗黒時代の英雄達の呼び名だった。
『騎士』達は馬に跨り、精霊の加護を受けた鎧と武器に身を固め、西へ東へ人間世界を防衛すべく駆けまわった。『勇者』はそうした『騎士』達のリーダーであり、最も優れた騎士の中の騎士へと与えられた敬称だったのだ。
『勇者』と『騎士』は、人類暗黒時代における『希望』であり『光』だった。
彼らの活躍は数々の英雄叙事詩、武勲詩に謳われたが、それらは決して誇張や脚色では無い。
――『俺』の先祖も、そんな『勇者』であったそうな。
家宝として後生大事にされている、カビ臭い武具甲冑の類は、御先祖が実際に戦場で纏った諸々で、俺が腰に吊っているサーベルは、実際に魔族どもの血を吸ったとか。
今は見る影もない、我が一族の昔日の栄光の残滓だ。
――惨めで不安定な人類暗黒時代は、どうして終わったか。
それは『火薬』と言う名の文明の光が、人類を覆う闇へと刺さる様に差し込んだからだ。
『火薬』の威力は素晴らしい。
火薬は誰が用いようと、それが男だろうと女だろうと、若者だろうと老人だろうと、一切関係なく、その化学反応によって一定の、極めて絶大なる威力を発揮する。
かつては騎士や勇者に護られる対象でしかなかった多くの人間達が、火薬を用いた火器で武装し、その火力で魔族を圧倒し始めた。
産まれたばかりのころの銃火器は御世辞にも性能が良いとは言えなかったが、それを補って余りある威力、殺傷力、威圧力があったし、性能の悪さは数を揃える事で補う事が出来た。
魔族は人間の使い始めたこの新たな武器を侮り、嘲笑し、侮蔑した。
彼らはなまじ種としての能力が高かったが故に、技術革新という事にあまりに消極的であり、人類の文明というものを始めから馬鹿にし、見下していたのだ。
――この初動の遅さは、あまりに致命的だった。
長い長い魔族による抑圧の時代の下で、人類の中に溜まった憎悪と憤怒……。
魔女の釜の内の様にドロドロと煮詰まったそれらは、『火薬』によって一気に火が着いた。
火薬を手にした人類の勢いは、もはや世界を焼きつくさんまでだった。
銃火器を始めとする人類の技術と産業は恐ろしい勢いで発展し、その効率的な運用方法も次々と編み出され、それらは直ぐに実戦へと投入された。
魔族どもが、人類の躍進に気がついた時は全てが遅かった。
今や魔族は大陸の南部、中央部からは完全に駆逐され、連中の発祥の地である北方の荒涼たる大地へと押し込められた。
もはや暗黒時代は終わり、黄金時代の幕が上がった。
人類はますます飛躍し、逆に魔族は確実なる滅びの道を歩んでいた。
もはや人類にとって魔族は脅威では無く、見下しあざ笑うべき遅れた蛮族と化したのだ。
――そして、魔族の滅びと時を同じくして、黄昏時を迎えた人々が、他にもいた。
――それは『勇者』と『騎士』……。
――つまるは、『俺』の家系……。
◇勇/魔◆
――『センラック連邦共和国/北部辺境』
男は敵を前にして落ち着き払っていた。
汗もかいていないし、息も乱れてはいない。
些か開いた敵との距離を、這うようにして静かに縮めながら、男は得物を握る力を僅かに強めた。
――敵にはまだ気づかれていない。
気づかれたら、終わりだった。
なぜなら敵は素早い。気づかれたら最後、男には決して、攻撃のチャンスはめぐってこないだろう。
しかしそれは、最初の一撃を外しても同じこと。
だから男には気づかれず間合いを詰め、一撃で敵を仕留める必要があった。
「……」
余計な音を立てないよう、男は自身の動きに細心の注意を払った。
敵の感覚が鋭いことは先刻承知。得物の、銃の撃鉄は既に起こされている。
後はただ、詰めて、狙って、引き金を弾けば良い。
「……」
射程距離まで、男はにじり寄ることに成功した。
敵は背を向けたまま、呆けたように突っ立ったままだ。
仮面のようだった男の顔が僅かに動いた。
口の端が僅かに上がって、髭の下で笑みの弧を作った。
相手を仕留める前に笑うとは二流三流のすることだ、と人は言う。
そんな事を思い浮かべながら、男は胸中で反論した。
問題はない。何故なら、俺に限って、外すことはありえないからだ。
男は得物を構えた。
その時鳴ったかすかな金属音に、敵は男の方を振り返る。
目と目が合った時、敵の眉間に風穴があいた。
視界を覆う白煙の向こうで、敵が、見事な体躯の『大猪』が崩れ落ちる姿が男には見えた。
「やったあ!」
「すげぇ!」
やや離れた所で男の姿を見守っていた、農夫とその息子が歓声を上げた。
彼らの畑の芋を食い荒らした、不埒な敵はここに斃れたのだ。
男は振り返ると、ライフルを掲げ父子へと笑顔を見せた。
口髭は立派だが、まだ青年と言っても良い若者の顔がそこにはあった。
「イカスぜ隊長さん!」
「さすがは『勇者』の子孫だ!格好良い!」
父子が囃し立てるのに、男は少し苦笑いになった。
地面に転がしてい羽飾り付きのたケピ帽――丈の低めの円筒形制帽――をかぶり直し、首を回してゴキゴキと鳴らす。
身にまとった上下黒の制服、白い飾り紐のついた肋骨服の肩には、中尉を意味する階級章が縫い込まれている。
「相変わらず良い腕で」
似たような黒い制服の男が馬を曳いてきた。
やや黒が薄くて灰色がかり、飾り紐の数が少ない。
制帽のケピ帽には、白い日除け垂れ付き帽子カバーがかぶせてあった。
曳かれてきた馬の手綱を受け取りながら、男、隊長と呼ばれた男は農夫父子へと大きな声で言った。
「今晩の飯は猪の肉だぞ!フィリップ!息子にたんまり食わせてやれよ!」
「良いんですか!?隊長さん!」
自分の畑を荒らした不埒者でも、実際に撃ったのは男なのだ。
農夫親子の父のほう、フィリップは貰っちゃ悪くはないか、という顔で聞き返していた。
「かまわんよ!そいつに食われた芋の代わりだ!」
男は馬に跨りながら、笑顔でそういった。
さて、隊長だの、勇者だのと呼ばれているこの男。
その名を『アーサー・エルドリク』という。
『センラック陸軍騎馬軍警』が中尉。
そして、かつては英雄であった『勇者』の一族の末裔であり、今やその役目を終え、歴史の陰へと消えつつある家系の果てであった。