全ての物事の始まりは小さい
「町田君、あの、これ……」
休み時間。俺がトイレにいって用を足し、教室へと戻る時に廊下で町田を見かけた。
一人の女性徒が町田に何かを手渡している。多分、ラブレターだ。
その様な光景を少なくとも十回は見た事がある。
町田は無愛想だ。そして二枚目だ。アイドル系の端整な顔立ちで背も高い。
町田の脳内戦士具合を知る女生徒達は殆ど居ない。
先日のように、教室の中で暴走した痛々しい姿を見た者が数名居るだけだ。
しかもあの過剰な自己演出でさえも、町田なら許せるという大甘の女生徒は少なくない。
結果、町田は何らかの形で女生徒達に告白される事があり、それを無碍に断っている。
それでもあまり憎まれないのは、貰ったラブレターをきちんと読むからだ。
むしろラブレターを書いた方が、町田に対しては気持ちを伝える事が出来る。
町田にとってラブレターも一つの文学であり創作作品なのだろう。
だから読まずにゴミ箱に捨てる、という様な事はしない。
「……」
机に戻り、真剣な顔でラブレターを読む町田。
ああ、またか、とその姿を見守るクラスメート達。
「どうなんだ? 今度の作品は?」
男子生徒が冷やかしでそう尋ねてくる。
彼らも最初は町田の事をモテる嫌な奴だと勘違いしていたが、町田がラブレターを公開して淡々と説明をするのを見て、ただの変な奴だという親近感を持つようになった。
「この子は三回目だ。一回目に比べるとしても詩的になっている。こちらとしても意見した甲斐がある」
「三回目? あ、これってもしかしてD組の水田か」
「そうだ。谷原も読んでみるか?」
「いや、いいよ。他人宛のラブレターなんて、俺は読みたくないし」
「今回はいきなりディアー町田君。から始まっている。Dearとは親愛なる、という意味合いで友人対する挨拶だ。谷原が俺にDear町田と言うのは分かるが、D組の水田とはそれほど仲は良くない」
(始まった……町田の解析が……)
この解説を目の当たりにしてしまった女生徒は、町田にラブレターなど出したくなくなる。
町田にラブレターを出す事は採点を乞う様な物であり、出した者の羞恥心を粉々に打ち砕いてしまうからだった。
「内容は月並みだがとてもいい。自分の気持ちをとても素直に現していると思う。これを読んだら誰でもこの子に好感を持つと思うよ」
「町田にしてはいい評価じゃないか。それでつき合うの?」
「つき合う? いや、それは別の話だから」
「お前、顔は良いんだし頭も良いんだし、一人ぐらい彼女を作ってもいいんじゃないの? 弓塚だって彼女居るんだしさ」
勿論、彼らが言っているのはすり替えられた記憶の話だ。
頬白が引っ越してこなければ、俺に彼女なんて居なかったし、誰かと交際する予定も、その相手が見つかる可能性も少なかっただろう。
「複数の相手と交際なんて、考えただけで面倒臭い」
「そういう事を言ってみたいもんだぜ。冗談でも言う機会なんてない」
男子生徒達が苦笑しながら、自分達のドライな日常を悲しんでいた。
俺にも彼女が出来ないかなぁ。そんな思いを胸にクラスの女子達の方に視線を向け、そして女子達は絶対に視線を合わさない。
男子も女子も、お互いに理想を抱いている。
こんな異性と交際したい。こんなお付き合いの仕方がいい。
人それぞれその希望は違うが、男子も女子も可愛い、格好いい異性を望んでいる部分は共通していた。
「弓塚はいいよなぁ。隣の家に住んでる幼なじみが美少女とか、設定からして美味しすぎるよな」
(つい数日前までは、隣の家に住んでるのは老人だったし……)
「お前達、ちょっとはいい感じになったの?」
「男子やめなさいよ。頬白と弓塚君はそういうんじゃないだから。純異性交際なんだから」
「隠してるだけなんじゃないの?」
「そんな風に見えるの?」
女子の一人がそう言った後、皆が俺と頬白の方を見つめた。
「無いなぁ……」
「これはこれでいいんじゃない……」
変な方向性の失望感を叩きつけられ、僕も頬白も苦笑いするしかなかった。
交際と言ってもいったい何をどうすればいいのかなんて分からない。
現状としては、誰よりも一番近い友達であって、それ以上ではない。
そもそもこの交際自体が、後付けの設定なのだから仕方が無い。
「頬白は……やっぱり、都合が良かったから、俺と交際する事にしたんだよね」
「都合……だけじゃないけど……」
「いや、いいんだ。今、この状態でも俺は十分幸せだから」
「……」
何が言いたいのか、お互いに分かっていた。
これはどこまでが芝居でどこまでが本気なのか、自分達でもよく分かっていない。
ただ、今、言える事は、俺は頬白の事を良く思っているし、頬白も俺の事を嫌いでは無い。
それで十分だろう。まだ何も始まってはいないのだから。
「全ての物事の始まりは小さい」
ラブレターを読み終えた町田が、満足した様な声でそう言った。
それはおそらく、そのラブレターに対して言った言葉なのだろうが、まるでそれが俺達に向けられた言葉のような気がして、俺と頬白は互いに顔を見合わせていた。