帰ってきた幸せ
真結の身体からナイフが抜け落ち、そして血の染みが消えていく。
小さな……ほんの小さな光の粒が一つ、真結の身体から宙へと昇った。
その小さな光の粒は、ふわふわと俺の方に近づいてきて、そして俺の胸の中に消えていく……。
運命の魔女が起こす奇跡の魔法。
それは魔法耐性のある俺には効かない筈だった。
それなのに、真結の魔法の力は俺の胸の中に届き、そして俺の望みを叶え、俺に奇跡をもたらしていた。
大噴水の水が突然高く吹き出し、そして、メインストリートの照明が全て点灯し、それらの光が魔力の光となって真結の身体に集まっていく。
襟亜さんが刀を抜くと、俺の身体には傷一つついていなかった。
「ごめんね、こうするしかなかったの。あなたの魔法耐性を断ち切るには」
「これは……一体……」
縫香さんは真結の身体を羽交い締めにするのをやめて、優しく抱きかかえていた。
真結の顔色がみるみる赤く、良くなっていくのが見えた。
「真結は君の望みを叶えたんだよ。君に幸せになって貰いたくてね」
「ダーリンを幸せにする、という奇跡の為に、自分自身を蘇生したのよ。運命の魔女は、自分自身には奇跡を起こせないから」
リザリィもすぐ側に立ち、真結の顔に生気が戻ったのを見て、優しく笑っていた。
「せめてもの罪滅ぼしだ。救済の力を彼女の魔力として与えたが、その為には死んで貰わなくてはならなかった」
ウサミミの天使までもが姿を現していた。
硯ちゃんが真結の胸を刺したのは、救済を与える為だった。
あの時の一粒の魔法が、この大噴水と、そこから続くレイラインに溶け込んでいた魔力を呼び起こし、死せる運命の魔女に奇跡を起こさせた。
だが、それは本当に一時のチャンスだった。
俺が奇跡を願うという事に気づかなければ、真結は救済され、天界へと連れて行かれてしまっていた。
そのほんの数秒の時間を、縫香さんが稼いでくれたのだった。
「……ひろくん……ありがとう!」
意識を取り戻した真結は、俺に駆け寄ってきて、しっかりと抱きしめてくれた。
俺もその身体をしっかりと受け止め、強く抱きしめた。
彼女の身体は細く、でもとても熱く、命の温かさに満ちていた。
「ありがとう、私の事を願ってくれて……聞こえたよ、ひろくんのお願い」
「良かった……聞こえたんだ……そうか、良かった……」
良かった。
それだけしか言葉に出来なかった。涙がどんどん溢れ出してきて止められなかった。
真結が生き返って良かった。他に何も望む物はなかった。
それだけで良かった。良かった……。
「助かったんだね、良かった」
「うん、ひろくんのおかげで命拾いした」
登校時に町田にあった真結は、笑顔でそう言った。
「俺は何も出来なかったよ。あれで精一杯だった」
「町田のおかげだよ。あそこまで一緒に行ってくれて助かった」
「そう言ってくれると。ありがたい」
あの後、実際にどうなったのか。真結が本当に一度は死んでしまった事などは、町田には話さなかった。
こうして真結が生きているのだから、それでいいだろう。
生き返った真結は、運命の魔女としての力を失い、救済を受けて幸せを呼ぶ天使になってしまっていた。
それを一番悔しがっていたのはリザリィだった。
「フェイトスピナーとは名ばかりで、アイスの当たりくじが当たる程度しか幸運を呼べなくなってしまったではないかー」
頬白家のリビングに集まった女達は、かしましく騒いでいた。
「ただのラッキーガールになっちゃったわね。その方がいいと思うわよ」
「まぁ、後は弓塚君とつつがなく暮らしてくれれば、それでいいさ」
「いやいや、お前達には一仕事してもらわなければ困るんだ」
「どうしてウサ耳天使まで来ているのよ。ずうずうしい奴ー」
「クルーシブルは崩壊して、水は全て流れ落ちてしまったぞ。どうしてくれる」
「どうしてくれると言われても、元々あんな禍々しいやり方で魔力を溜めている方がダメじゃないか」
「当面シャンダウ様への魔力は、かのしまの施設でやりくりするしかないが、あれだけ大規模なレイラインを作ったのだぞ、予算オーバーだ」
「下手に降臨なんかするから、そうなるのだ」
「悪魔に言われとうない。そもそもどうしてお前は人間界におる?」
「運命の魔女を手に入れて、無尽蔵に魔力を手に入れて、色々人の心をたぶらかしていくつもりだったのよ」
「ふん。悪魔らしい程度の低い欲望だな」
「あのー、ウサギ天使さん? ぽりぽりお菓子を食べていくなら、お金おいてって下さいね。この家、裕福じゃないんですよ?」
「ああ、今度お供え物を持ってきてやろうか。信者は一杯いるしな」
「微妙に上から目線なのがムカツクわよねー」
「こいつは天使だからな。少なくとも私達魔女と悪魔より社会的な地位がある」
「はぁ、仕方無い。しばらくは鹿島神社で信者達に祝福をして、魔力を稼ぐことにしよう」
「そうそう、真面目に働くのが一番。私も今回のクルーシブルが崩壊した件で、また龍脈の調査をしないといけない」
「随分のんびりしておるな。天界では最悪の魔女の行方が分かったと騒ぎになっておるぞ」
「最悪の魔女?」
「テラヴィス=アイスクロウ」
「テラヴィスって、伝説じゃないの? 実在しているのか?」
「見た目は14歳、実年齢は300歳。竜の心臓を食べた大罪人」
「そんな奴が人間界に?」
「正確には地獄界を追われて人間界に逃げた。故にラビエルが降臨した」
「そりゃあ大変そうだね……」
今日も一日が平穏に過ぎた。
以前も感じたが、今は更に強く感じる。
こうして真結と共に仲良く歩けるって事が、どんなに大切な事かを。
「それじゃ俺は、かしこと会ってくるよ。また明日」
町田は駅前で来島さんと待ち合わせをし、俺達は俺達で二人だけの時間を過ごす。
「どこか行きたい所ある?」
「ひろくんとなら、どこでもいいよ」
「俺も、真結と一緒なら、どこでもいいけど」
端から聞いたらむず痒くなるような言葉も、今なら平気だった。
「とりあえず、喫茶店にでも行こうか」
「うん、いいよ」
「じゃあリザリィはアイスティがいいな」
「あらっ……」
そう言えばそうだった。
来島さんが駅前で町田と待ち合わせをしているという事は、同じ学園のリザリィも来ているという事だった。
残念ながら、二人だけの甘い時間を過ごす事は、今日は出来なさそうだった。
「あの、リザリィは、どうしてまだ居るの?」
「ひっどぉい! ダーリンは私を遊んで飽きたら捨てる気なの?」
「いや、でももう、真結は運命の魔女じゃないよ?」
「当たりくじなら当たるよ! 時々はずれるけど!」
「女が一度こうだと決めたら、そう簡単には道を変えられないのよ。もう真結ちゃんが運命の魔女じゃなくても、ダーリンと真結ちゃんが私と結婚するまで諦めないわ」
「人間界では、重婚はダメなんだよ」
「魔界ではいくらでも大丈夫よ、うふふー」
「ごめんねリザリィちゃん。私、今、ほんのり天使なの」
「堕天使になってしまえばいいのよ、その方がステキじゃない?」
「とにかく重婚はダメなの。俺は真結とだけ結婚するの」
「なぁんでよー、妾ならいいの? 愛人ならありなの?」
「もうそれ結婚じゃあないから……って言うか、リザリィって単純に俺と真結と一緒に暮らしたいだけなの?」
「そーよ? それ以外にもう何も残ってないじゃないの」
「そ、そう……それなら、いい……のかな?」
勿論、良くはないのだが、今はそれでも幸せだと思う。
一番大切な人、一番大切な人達、一番大切な時間。
今はそれが全て揃っていて、俺は本当に幸せだった。
縫香さんはいつもの様にチャイナドレスを着て、龍脈を探して歩いていた。
襟亜さんは今日も安い品物を求めてスーパーを巡り、鉄の意志で家計を守っていた。
硯ちゃんは株投資の毎日に戻り、毎日グラフとにらみあっていた。
コイルさんは、人間界からは放逐されてしまったが、魔界では生きているらしい。
もう二度とあう事はないとリザリィが言っていたから、少し寂しいけど、向こうで元気ですごして欲しい。
町田はいつも通り、書店で本をあさり、来島さんはアニメと映画のDVDを買いあさっていた。
俺の隣には真結とリザリィがいる。
真結はいつでも優しく笑っていて、リザリィはいつも俺達を困らせる。
これが今の俺の幸せな日常だった。
願わくば、この幸せが末永く続きますように。
(完)




