見初めの時
フェンスを越えた先には、道無き道が続き、そしてすぐに、地面は岩肌に変わった。
いつ、自分達が洞窟に入ったのかも分からなかった。
振り返ると、草を踏み倒してきた道があり、その先は草木に阻まれてよく見えなくなっていたが、帰れないという事は無い。
ただし、洞窟の壁らしき物も無い。
懐中電灯で天井と壁をぐるりと照らすと、ここが小さなホールになっていて、おそらくは、あのフェンスのあたりから入り口になっていたのだろうという事が想像出来た。
洞窟の下へと続く穴は、わりと広めになっていて、大きな岩伝いにゆっくりと降りれば、足を滑らせる事もなさそうだった。
町田は慎重に足場を選び、女の子でも通れる道を選んで、洞窟の中へと降りていく。
大きな岩の間にある段差を辿り、岩肌に座る事でゆっくりと滑り落ちていく事で、誰も怪我をする事無く、下まで降りる事が出来た。
「こりゃひどい……まいった……」
一番下まで辿り着いた時、町田は懐中電灯で照らしながら、そう言った。
「な、何だ……ここ……」
目の前には、水たまりがあった。地底湖だった。
しかし、その水たまりはゆっくりと渦を巻いていて、無数のうねりを水面に生じさせていた。
「わき水がここに流れてきて、そして床の穴からこぼれ落ちているのね」
「しかも、わざとだよ」
町田がそう言いながら光で照らすと、いくつもの網とロープが張り巡らされていた。
その網とロープのせいで、この水たまりには、異様な渦が出来ているのだった。
「ここ、すごい魔力を感じる……」
真結ちゃんがそう言って、水の中をのぞき込んでいた。
「魔力が水に溶けて流れてる……魔力はぐるぐると渦を巻いていて、どこにも流れていってない。ここに貯まってる……」
「クルーシブル……魔力の坩堝……人間がこれを作り、そして隠した」
水難事故は実際にあっただろう。しかし、何者かがこの地底湖に魔力が流れ込んでいる事を見いだした。
もしかしたらどこかの魔法使いかもしれないし、或いは神主が危険を感じたのかもしれない。
ここは封鎖されたが、その封じ方はあまりにもぞんざい過ぎた。
きちんと祈祷をして、お祓いをし、魔力を解放してやるか、或いは治水工事をして、この水を流させてやるべきだった。
でなければ意図的な事だろう。この魔力の坩堝を手に入れたい者が居た。
「帰ろう。俺達の調査は終わりだ。この地底湖をどうするかは俺達の領分じゃない」
町田は自分の謎の解明が出来た所でヒーロースイッチがオフになり、冷静な判断で俺達に戻る様に言った。
俺達はここに来るまでの倍の用心をして、上へと戻り、フェンスを越えた後、傾きを元に戻して、キャンプ場を離れた。
俺達の小冒険は、何事も無くその目的を達成出来たかに見えた。
しかしそれはあくまで一時的な事でしかなく、今宵の物語の本番はこれから始まるのであり、俺達の行動はその序盤に過ぎなかった。
俺達が旅館に戻ってきたのを見て、縫香さんは優しく笑顔で迎えてくれた。
「無事でなにより。それでクルーシブルは見つかったのか?」
「はい、キャンプ場跡地の奥に地下洞窟があり、その入り口にはフェンスがありました」
「そうか。町田君の記憶は正しかったか」
「そこから先は、俺の範疇ではないんですが、地底湖にはロープとネットが張り巡らされていて、水が循環させられていました」
「水に溶けた魔力がずっとその水たまりで渦巻いているの。ものすごく強い魔力。今まであんな強い力を感じた事なんて無かった」
真結ちゃんがそう言うのを、縫香さんは厳しい顔で見ていた。
「間違いない。シャンダウは最悪の龍穴を手に入れたか、或いは作った」
「龍穴とは本来、魔界側へと抜ける物。それを魔力を封じたロープとネットで阻害し、溜め込んでいるらしい」
「シャンダウとしては金のなる木を手に入れた様なものよね。羽振りも良くなるし、勢力も強くなるわけね」
「今宵は10年越しの祈祷だ。シャンダウは人々の祈りによって貯まった魔力が献上されるのを、待ちわびているだろうね。その為に大規模な祈祷が必要だって事だ」
「でもねぇ、祈祷の邪魔なんてしたらそれこそ大騒ぎだし、魔界のお偉方に報告する事ぐらいしかできないわね」
「そうだね。それこそ、私達の領分を越えてる。出来れば祈祷が始まる前が良かったんだろうけど、どうしようもないね」
そう言いながら、皆は時計の方を見上げた。
あと30分ほどで、一回目の祈祷が始まるが、もう俺達には何も出来ない。
この旅館でただの温泉客として湯浴みをして、朝になったら帰る。それだけの事だった。
かくして兎祭は始まり、盆踊りが行われ、その太鼓の音は旅館まで響いてきた。
虫の声も鳥の鳴き声もしないのに。人々の声と、軽妙な太鼓のリズムは聞こえてきていた。
これがでたらめなドラムの音と人々の悲鳴だったら、彗星から怖い神様が降りてくるかもしれないね。などと縫香さんは冗談めかして言っていた。
それは、神様に対する祈りというのは、どこか共通している所があるという事だった。
一度目の祈祷が始まったらしく、とても分かりやすいようにスピーカーで神主の説明と祈祷が聞こえてきていた。
八百万の神々に対するご祈祷は、初詣のそれと同じようにしか聞こえず、そして続く祈祷の祝詞は、俺にはお経と大差ないように聞こえた。
コイルさん、町田、俺の三人で男達は布団に入り、寝る事にした。
隣は来島さんとリザリィと真結。そして縫香さんと襟亜さんと硯ちゃん。
この部屋割りは、頬白一家、女友達、男友達という割り振りだったが、これもまた、神の悪戯だっだのだろうか。
深夜、三時。二回目の祈祷。
人々は寝静まり、空気は澄み渡る。
天井には満月が昇り、魔力を最大に受け入れる準備をしていた。
人々は、宿泊施設のアリーナで、神主のご祈祷に続き、天へと願いを馳せる。
この世に豊かな恵みを。家族に無病息災を。
天にいる神よ、お祓い下さい、清め下さい。
そのお力を私達の上に輝かせ、お守り下さい。
今こそ我らの上に舞い降り、そのお姿をお見せ下さい。
「シドニィィィ!! 真結ちゃんがーっ!!!」
「しまったあぁぁ!!!」
強い力を持つ魔女と、闇の令嬢が夜中に叫んだ。
コイルさんが何事かと飛び起き、そして俺と町田も部屋を飛び出して、隣の部屋に入る。
部屋の中でリザリィと縫香さんが窓から身を乗り出していた。
その視線の先に、夜空を飛ぶ真結の姿が見えた。




