ヒーロースイッチ
この町田努という青年は、幼い頃から数え切れない本を読んで育ってきた。
それは主に家が貧乏なので漫画の新刊も買えず、古本屋に通っていた事から始まり、小学校に入学した後は、図書室の殆ど全ての本を読むという快挙を成した。
どこの学校にも図書室を読破する活字好きは存在するが、町田もまたその一人だった。
そして、幼なじみの俺だけは知っていた。
町田はミステリーが大好きで、解けない謎、隠された謎、不可解な謎という言葉に異様な執着を示し、それを解決しようとする。
大抵の物事は解決出来てしまうからこそ、町田はいつも冷静に物事を説明してしまうだけだった。
キャンプ場の不可解な謎。これが今の町田の脳内ヒーロースイッチの原因だった。
「あのキャンプ場には、地底湖がある筈なんだ。過去に水難事故の記事でそれを俺は読んだ事がある。子供心にそうなのかと覚えていたが、以後二度と地底湖の話は語られなかった」
「中学生の時、自分でその事故について調べてみた事があった。しかし、事故の記録は地底湖ではなく、川で起こった事になっていた」
「そしてその事故のあった時の新聞を全て調べてみたのに、俺が呼んだ筈の記事は見つからない」
「気のせいだ、見間違いだと言われればそれまでの事、この世では証拠がなければどうにもならない」
「町田……気になってたんだね」
俺は町田を小さい頃から見ていたから、そういう探偵まがいの事をしていた事も知っていたが、他の皆はそこまでするのか? と驚いた事だろう。
「キャンプ場の地下に地底湖があるのかどうか、俺はそれを知りたい」
町田のこの表現を見て、縫香さんは呆気にとられていた。襟亜さんは見なかったか、或いはよくある事の用に平然としていた。真結ちゃんは前にもこんな事があったと記憶を辿っていた。硯ちゃんはこの人は大丈夫だろうか、と心配そうな顔になっていた。
コイルさんはニヤニヤと笑いだし、リザリィは町田が豹変した事に気づいてないのか気にしてないのか、そうなのか程度にしか感じていない様だった。
しかしただ一人、町田の幸せの為にこの世に産まれてきた来島さんだけは、うっとりとした顔で町田を見ていた。
「……努って、そういう熱い所があるんだ……」
(そこに惹かれる人って居たんだ……)
「冷静な男ほど、内側には熱い志を持っていて欲しいものよね」
「そうですね! 私もそう思います!」
襟亜さんの言葉に来島さんはとても感銘を受けていたが、周りの平均気温は少しばかり下がっていた。
「じゃあ、少しばかり手伝って貰いますかね」
コイルさんがそう言うも縫香さんはいい顔をしなかった。
「しかしな、これは魔法使い達の問題であって、人間を巻き込むのは気が進まない」
「ま、人間の中にだって、魔女や悪魔よりも危険な奴は居ますがね」
「そこまで危険な事はしません。キャンプ場があったと言われる所に行き、そこに地底湖があるかどうかを見てくるだけです。見つけたら近づきはしません」
「深夜までには戻ってきます」
既にやる気になっている町田と、ついていく気になっている来島さんに、真結ちゃんがついていくと言い出した。
「それなら私も一緒に行きたい」
彼女がそう言い出した理由は簡単だった。
もし町田と来島さんの身に危険が迫る事があった時、魔法を使うつもりなのだろう。
当然、魔法を使わせたくない頬白姉妹達は苦い顔をした。
「お兄ちゃん、お守りは持ってる?」
いつぞや、硯ちゃんがくれたお守りは財布にくくりつけたままだった。見かけとしてはごく普通のお守り同じだった。それを見せると、硯ちゃんは頷いた。
「何かあったら、それを使って」
(……あれっ? 俺はまだ行く、とは言ってないんだけど……でも真結ちゃんが行くなら俺も行くわけで……まぁいいか……)
「ひろくんは待ってて!」
「一緒にいくよ!?」
「ダメだよ、ひろくんが危険な目にあったら、私……」
そう言うと、真結ちゃんは俺の手を握り、心から心配そうな顔をしてくれた。
正面から見る彼女の顔はとても可愛い。こんなに可愛い子が俺の事を心配してくれるなんて、それだけで幸せだった。
「大丈夫だよ、硯ちゃんからお守り貰ってるし」
「何かあったら、私の事は捨てて、一人で逃げてね」
「そんな事できるわけがないじゃないか……むぐぐ」
「いっつまで、そんなやっすい昼ドラ芝居やってるのよー! やるなら私とやりなさいよー」
たまりかねたリザリィが俺の口にローストビーフを突っ込んできた。
「もぐもぐ、リザリィもいくかい?」
「ムリムリ、そんな所、シャンダウが警戒してる筈だし……真結は行かせても良いのか?」
「気は進まない。何かあったらすぐ引き返して欲しい。人間の領分なら、何事もない筈だが」
今宵の予定としては、深夜過ぎに行われる兎祭の様子を見る事だったが、その前に町田達と俺達四人がキャンプ場跡地に行く事になった。
その目的は地底湖があるかどうか、見つけたら何もせずにすぐ戻る。それだけの簡単な小冒険だった。
料理を食べた後、縫香さん達は温泉でゆっくりし、その間に俺達は最寄りの場所に向かう事にした。
地図上では20分ほどかかるし、夜道という事もあって、二時間程度で戻るぐらいで予定を組んだ。
部屋に戻った俺達は私服に着替え、そして部屋に備え付けの懐中電灯を拝借して旅館を後にした。
受付を出る時に、盆踊りの様子を見に行くと言うと、従業員の人達は、夜道は危ないので、懐中電灯をお貸ししますと、大きめの物を貸してくれた。
部屋から持ってきたのは、そのまま非常用としてもっていく事にした。
俺達がただの人間で、そして言葉通りお祭りを見に行くというだけなら、全く何の問題もない、ごく普通の行動だった。
旅館を出て国道を通り、動物王国の所まで戻る。
ここまで来ると動物達の泣き声が聞こえてきていた。
そこから高い塀に沿って迂回し、建設予定地のあの場所を通る。
夜歩くのは、昼に比べると随分と遠く感じた。
「遠近感がマヒしているから、遠く感じるんだ」
とヒーロースイッチの入った町田が言った。
そして彼はヒーローらしく、俺達を正確に目的地へと導いていた。




