クルーシブル(魔力のるつぼ)
「あれっ? お座敷って……これは……」
襟亜さんと別れて、羽兎の間と呼ばれるお座敷に来てみると、大広間ではなく、10人程度用の小さな和室だった。
しかも扉を開けた時、中で縫香さん達が話をしている筈なのに、その声が聞こえなかった。
部屋の中に入ると、縫香さんと硯ちゃんとコイルさんが話をしているのが聞こえてきた。
「硯ちゃんの話だと、既にこの旅館も結界の中らしいですね」
「この山一帯がそうなのだろうな」
「生き物の気配がしないってのは妙な話でね」
「もし動物達が逃げたから、居ないのだとしたら、おそらく、アレはここにある」
思ったより遙かに真面目な話をしていたので、その話の邪魔をしない様、静かに部屋に入った。
「ああ、来たね」
「真面目な話なんですか?」
「ああ、硯の魔法が効かないんでね。表向きは馬鹿騒ぎの客って事にしておこう」
「私の力じゃ、この部屋ぐらいが精一杯。外だと魔方陣を書いただけで弾かれちゃった」
「私もコイルも手伝って、どうにかって所か」
「クルーシブルがあるのは、間違いなさそうですな」
「クルーシブル?」
「坩堝って意味だが、今、私達が指しているのは魔力の坩堝の事だ」
「縫香さんも私も、長い間、龍脈の調査をしていて、御鑑付近がおかしいという所までは突き詰めたんですがね、その先が行き詰まっちまって」
「そんな事を言ってましたね」
「早い話、この、かのしま峠があやしかったって訳です」
「古来から神様を祀ってきたこの山は、幾重にも結界が張られていて、魔女も悪魔も遠ざけてきた」
「私達も御鑑までは近づいてはいたが、好んでこの鹿島市には近づきたくなかったんだ」
「でも、リザリィのおかげで、ようやくきっかけが出来た」
「そうよー、私がデートプランを考えなければ、みんな来なかったでしょー」
「率先して悪魔が敷地内に入れば、先にそちらに注意が行く」
「おかげでこちらは、危険を冒すことなく、この辺りを調べる事が出来ました」
「つまり、俺達は囮だったんですね」
「ちゃんと見守ってただろ? 使い魔も居ただろ?」
「うう、やはりあれは縫香の使い魔だったか……」
リザリィが腕を組んで難しい顔をした後、ふと、彼女はある事に気づいた。
「……最初から、見ていたのか?」
「見ていたよ」
「最初から?」
「最初から」
リザリィと縫香さんのやり取りが何を意味するのか、俺達にはよく分かっていた。
ループコースターで気絶して運ばれた事も、地獄の海賊でやっちゃった事もバレバレだった。
「悪魔だ! こいつは魔女のフリをした悪魔だ!」
リザリィがそう言うのも仕方がなかった。
しかし、縫香さんはニヤリともせず、神妙な面持ちのまま、おかげで助かった。と礼を言った。
「そうか、分かっているのなら、許してあげる」
と、いつものようにプライドだけは高い悪魔だった。
「悪魔は人間をたぶらかすのに必死。魔女達は温泉に慰安旅行。という風に見られたなら良かった。世の中はいたって平和だし、今の所は気取られた様子は無い」
「さて、これからなんですがね、鹿島神社では十年に一度の大規模な祈祷を行うようで」
「内容としては、一晩の間、断食をしながら月にむかって祈りを捧げる。祈祷は深夜零時に一度、三時に一度、そして夜明けの六時に一度で終了」
「その後は無病息災のお祓いをして、神主様のお説教を聞いて解散」
コイルさんがそこまで説明し、一度説明を止める。
「お料理の方、お持ちしました」
「はーい、お願いしまーす!」
従業員が来た事を察知し、音の結界を解いて、何事もなかった振りをする。
「いやぁ、今年もいい年になりそうですな」
「兎祭も楽しそうだし、色々見て回りたいね」
などと家族旅行風の会話をして誤魔化していた。
そこまで慎重にならなければいけないのかと思うと、かえって緊張する。
「今年は100人ぐらいの規模でご祈祷と盆踊りをするそうですよ。お客様も見てこられたらどうです?」
「そんなイベントがあるんですか? 鹿島神社に行けば見られます?」
「市民健康宿泊センターのアリーナを借りてやるそうですよ。神社に100人も入りませんからね」
という従業員の言葉を聞いて、皆が顔を見合わせた。
「外から来られた方は、ご存じないですか。動物王国の北側にあるキャンプ場ですよ」
「キャンプ場なんてあったんだ……」
「はい、元々はキャンプ場だったんですがね、市に買い取られて宿泊施設にしたそうです。中高生の修学旅行がよく来られてますよ」
「ありがとうございます、盆踊りは見てみたいんで、行ってみますね」
縫香さんが丁寧な言葉使いでそう言った時、襟亜さんが部屋に入ってきた。
「丁度帰ってきたね、料理が来た所だよ」
「あら良かった、間に合ったのね」
「それでは失礼します」
扉が閉まり、そしてすぐさま防音の魔法がかけられる。
「さてと、一仕事する前に腹ごしらえだ」
リザリィがそう言うと、皆が箸を持ち、料理に手を付け始めた。
襟亜さんは硯ちゃん、真結ちゃんと俺の取り皿に、少しずつ料理を取り分けてくれた。
こういう所は本当に母性的で優しい人だった。
「キャンプ場に宿泊施設……そんな情報、出回ってなかったですね」
「表向きの修行体験に関しては、向こうも隠す必要なんて無いし、それがどこで行われるかって事も、参加者の安全が保証されるなら大した問題じゃない」
「これは邪教の集まりなんかじゃなく、日本古来の神様に豊穣と平穏を祈るお祭りですからね」
コイルさんと縫香さんは、今度は日本酒を飲みながら話し始めていた。
その酌をしながら、襟亜さんが言葉を続ける。
「でも、私達魔法使いに知られては困る事があるのよね」
「勿論、悪魔に知られても困る事……奴らは魔力の坩堝をどこかに隠し持っている。シャンダウ・ローが力を付けているのはそのせいだ」
リザリィがお猪口を差し出すと、どうぞ、と言って襟亜さんが酌をしていた。
「隠したがっているとすれば、元キャンプ所が怪しそうですね」
「市に買い取られたって事は、市も仲間だって事?」
「おそらくは、キャンプ場が経営破綻したか何かで、管財人に託されそれを市が買い取ったって感じでしょうな」
「そのキャンプ場は、元々曰く付きの物件でした。山で自殺者が出たり、キャンプ中に水難事故が起こったり……でも、少し気になる所はあったんですよ」
いつもの口調ではない町田がそう言ったので、皆が驚いてその顔を見た。
「どうしたの? 努?」
来島さんが尋ねても、少し斜に構えた町田の態度は変わらなかった。
「町田の脳内ヒーロースイッチがオンになった……」
「脳内ヒーロースイッチ?」




