奇跡、再び
「遊園地ねぇ……うーん……今回は遠慮しておくよ」
頬白の誘いに対し、町田が難しい顔をして断った。
当然、喜んでくれるだろうと思っていた頬白は、自分の予想が外れた事に困惑して俺の顔を見る。
「何か、都合の悪い事があるのか?」
「ちょっとね……」
本来、こういう風に断った時、俺達はそれ以上、踏み込む事はなかった。
お互いにできる限りは相手の都合に譲歩する事にしているし、断るという事はそれなりの理由があるからだった。
今回の様に、あえて理由を聞くのは珍しいし、尋ねても答えないという事も珍しかった。
「もしかして、来島さんとの約束が?」
「ああ、そういうのじゃないから、本当にごめん。二人で愉しんできて」
リザリィも共に行くから二人ではないのだが、今、それはどうでもいい事だった。
「まぁ、仕方無いな。ちょっと真結ちゃんと一緒に遊んでくるよ」
「ああ」
こういう時は、気にしない、こちらはこちらで勝手にすると言い切った方が相手にとって楽だった。
そうする事によって、お互いにお互いの負担を分け合う事になる。
「……」
だが、それを頬白は理解出来ないみたいだった。
「いいんだよ、これで」
そう耳打ちすると、頬白は本当に? と聞き返してきた。
「うん、長い付き合いなんだ。こういう事は今までにもあったんだ。だから今は俺のやる通りで問題無いよ」
「そうなんだ……わかった、ひろちゃんの言う通りにする」
さて、こうなると喜ぶのはリザリィだろう。
これで当初の予定通り、リザリィは俺と頬白の三人でデートする事になり、思う存分誘惑を仕掛けてくるに違いない。
しかし、それもまた、予想が外れる事になった。
放課後、町田が先に帰宅した後、頬白が来島さんにメールを送った。
そして駅前で待ち合わせをする事になった。
頬白が町田の欠席を伝えると、リザリィは喜ばずに不機嫌な顔をした。
「おいかしこ、町田は来ないって言ってるぞ」
「努のお母さんの病気が、あまりいい状態じゃないの。場合によっては片足を切らなきゃいけない」
「以前に血栓がどう、とか聞いた事があるけど……そんなに悪いの?」
「血栓は血管の中で血が固まって、血液の流れを止めてしまう病気。だから血管がどこで詰まるか次第で、大変なことにもなる」
「例えば、頭とか?」
「そう。それが右足の毛細血管にできたみたいで、放っておくと足が腐っていく」
「リザリィは人間の病気の事はよく分かんない。それって治らないの?」
「私も努の話しか聞いてないから、正確な情報ではないのだけど、薬を飲んで安静にしていれば時間はかかっても治るんだけど、歩き回っているうちは薬を飲んでも壊死は止められない」
「町田の家は共稼ぎなんだ。あまり裕福ではないから……だから町田のお母さんはスーパーで毎日働いてるんだよ」
「どうします? 町田君の母親の入院先は調べてきましたが」
気配も前触れもなく、ダークスーツにサングラスという、端から見ると明らかにチンピラな二枚目の男性が、リザリィの横に姿を現した。
「ちなみに、手術は三回に分けて行われる予定で、今日はその1回目です。幹部を切り開いて腐乱状態を確認し、除去できる部分を切除します。その結果次第では2回目、3回目は足の切断を行う。とカルテには書いてありました」
「コイルさんは、盗み読みしてきたんですか?」
来島さんがコイルの事をさんづけしたのを聞いて、ふと、自分もさんづけで良いかと思った。
初見が怖すぎただけで、その後は怖い目にはあっていないし、見ている限り悪い人……悪い悪魔ではなかった。俺に対して被害をもたらしていないだけ、かもしれないが。
「その方が早いんでね。白衣を拝借して医師のフリをして見てきました」
「リザリィは、町田がデートに来ない方が都合が良いんじゃないの?」
「そりゃーそうだけどー、かしこがしょんぼりしているのは嫌なの。正直に言うと、町田と母親がどうなろうと知った事では無いのよね。大切なのはかしこ」
(損得勘定の結果か……悪魔らしい)
あくまで利己的、あくまで打算、自分の利に繋がる事はするが、それ以外はどうでもいいビジネススタイル。しかし利があるとなれば全力で助ける。そういう子らしい。
「かしこがぁ、ニコニコしてぇ、ちょっぴりリザリィのいう事とか聞いてくれてぇ、それでダーリンと真結ちゃんがリザリィの誘惑に負けたら、それでいいの」
たとえそうだとしても、それまでの間、リザリィは俺達を助けてくれるだろう。
「お見舞いに行っても良いかな?」
頬白の言葉に、皆が頷き、コイルさんから聞いた病院へと向かった。
先日、頬白家へ向かった時と違い、今日のこの一団は物静かだった。
行ってどうする? 町田を元気づけてどうする? 俺達にできる事はそれしかないし、手術の結果次第では、もっと辛い事にもなりかねなかった。
町田は、他人に迷惑をかけたくないタイプだ。だから自分でなんでもやろうとするし、実際できてしまう。
しかしそれが他人との間に壁を作っている所もあった。
「……来ちゃったのか……」
病院の廊下のソファに座っていた町田は、ぞろぞろと俺達が来たのを見て、ため息をついた。
「ごめん、私が言っちゃった」
「いいよ……ただ、こういうのは慣れてないだけなんだ」
「お母さんの容態は?」
「今、手術してる……まだどれだけ時間がかかるか分からない……いつ結果が出るかも分からない……」
「それは大変ねぇ……悪魔と違って、人は『待つ』って事にとても多くの気力を使うのよね。その間は魔力を産み出す事も無く、疲れていくだけよ」
「そうだね、そんな感じ」
「でも他人と共に待つというのは、少しだけ楽になるものよ? 特に近しい女が側にいると、気落ちしすぎる事も無いでしょ、ね?」
と言ってリザリィは来島さんの手を取り、町田の隣に座らせた。
心なしかそれで、少しだけ町田の陰鬱な表情が和らいだ気がした。
「ありがとう……先生から、色々話を聞いて……冷静でいようとは思っているんだが、状況を聞けば聞くほど、不安になっちゃって……」
今行われている手術は、町田のお母さんの足を悪い部分を切り拓き、既に腐ってしまった部分を切り取っているのだそうだ。
その腐敗している状況次第で、どれだけ肉を切り取るかも変わって来る。
特に怖いのが、大切な血管にくっついてしまっていたり、或いは腐りかけている時は、その血管ごと、足を切らねばならない。
そうしなければ、腐敗した血が全身へと巡り続け、いずれは身体のあちこちで血栓を造り出してしまう。分かりやすく言えば時限爆弾を抱える事になってしまうのだった。
「母さんは……俺を育てる為に……ずっと無理をしていて……父さんも仕事を頑張ってはいるけど、正直者だから、割りの悪い仕事を引き受けてしまうんだ……」
「だから、俺は、できるだけ頑張って勉強して、早く両親を助けたいと思ってた……それまで母さんにも元気でいて欲しかった」
もし、良い親に巡り会えたなら、誰もがそう願う事だろう。
町田が本を読み、成績も優秀で、可愛げがないほど常に冷静に振る舞っていたのは、やはり家が苦しいからだった。
「できれば、この手術が成功して、うまく悪い部分だけを取れたらいいんだけど……」
町田が両手を組み、まるで願うようにそう言った時だった。
俺も、リザリィも、来島さんも、頬白の方を見た。
頬白の身体が……いつぞやの様に、淡い光に包まれていた。




