料理の基本はまぐろの解体から
「そ、それで……天使って……どんな仕事を……」
「えっとね、人々を幸せに導いて魔力を産み出してもらって、それを神様に捧げるの」
「あれっ……それって、悪魔と同じ?」
「そうだね、悪魔は集めた魔力で天使達と戦い、天使は集めた魔力で悪魔達と戦う」
「つまり、頬白のお父さんは悪魔と戦うのが仕事なんだね」
「うん、悪魔だけじゃなくて、魔女とも戦うけど」
「…………えっ?」
「頬白家の両親は、元々は魔法使いだったんだが、命を賭して悪魔達と戦った時に、ホワイトフレイムという神様に認められて天使になった」
「それ以来、私達四姉妹は両親から狙われる事になったの」
「えええ、何なんですか、それ……そんな理不尽な事ってあるんですか?」
「狙われるって言っても、こちらは当然戦う意志なんて無いから、殺し合いにはならないわよ」
「その代わりにチラシがくるの」
硯ちゃんが棚の上にあった新聞の広告みたいなチラシをとり、テーブルの上に置く。
『愛しき娘達へ。天使になりたい時はいつでも連絡して下さい、お父さん達はいつまでも待っていますよ』
ピンク色の紙には、そんなメッセージと共に、お勧めの近所の教会の住所が書かれていた。
「はぁ、なるほど。悪魔にしても天使にしても、敵対こそしてますが、殺し合いにはなっていないんですね……」
「君が人間でいる限りは、善なる神々は危害を加えないし悪魔からも守ってくれる。悪魔もまた善なる神々と無駄な諍いを起こしたくないから、表だって悪い事はしないんだ」
やれやれ、と言った顔で縫香さんがそう言った。
「私の仕事はレイラインとも呼ばれる人間界の龍脈を調査し、龍穴を見つける事。襟亜の仕事は、人間界に危害を与えようする存在を排除する事」
「人間という、現在最も完成された種族を守る為に、私達が日夜頑張っているという事よ」
縫香さんの言う通り、人間でいる限りは知らなくても良い事情だった。
ごく普通の生活として、神様や仏様を人それぞれ、それなりに敬いつつ、世界の各地で戦争が起こった起こらないといったニュースに耳を傾けていれば良かった。
天使も悪魔も全ては架空の存在で、物語や映画の中にだけ登場する存在だった。
でもそれは、神様達が、あえてそのようにして人間達を保護していたのだろう。
自らの存在を非現実な物にしつつも、神という存在を人間達が忘れる事の無い様に。
この人間界は、いわゆる自然保護地区なのかもしれない。
「なんだか……話がどんどんややこしくなってきて……」
「わかる、わかるぞ弓塚くん。こちらも説明する事が多すぎて面倒なんだ」
「そうですね……一度に話されても理解できるとは思えません。今でさえ、もう忘れている事もあると思います」
「記憶操作の魔法がうまくかかれば良かったんだけど、私の力じゃとても無理だったの。ごめんね、お兄ちゃん」
「硯ちゃんが謝る事なんて無いよ。それに……俺は、皆さんと会えて、ちょっと人生が楽しくなった」
「魔法がかかっていれば、弓塚くんの人生は、町田君と真結という幼なじみと共に育ち、そしてゆくゆくは真結と結婚し、家族を作り、終生幸せにすごしましたって感じになったんだがな」
縫香さんはそう言うと、あははは、と乾いた笑いをしていた。
(そう言われてしまうと、何も知らない方が幸せだったかもしれない……)
「あ、そうだ。私、お弁当の材料を買いに行かないと!」
頬白が料理の本を見て弁当の事を思いだし、そう言った。
「何作ろう? 何が良い? 何食べたい?」
俺に向かってそう言う頬白の姿を、他の皆が良い人の顔になって見ていた。
「あらあら、真結は弓塚くんにお弁当を作ってあげるのね? 頑張らないと」
「うん! 襟亜お姉ちゃん、お料理、教えて下さい!」
「そうね、まずはまぐろの解体からやってみましょうか」
「築地レベルの段階から、お弁当を作り始めるつもりなんですか!」
「お姉ちゃん、まぐろは高いからやめて。お金無いよ……」
「はい。ごめんなさい」
会計担当の硯ちゃんには、とても従順な襟亜さんだった。
「弓塚くんは何が好きなの? 肉料理?」
(頬白は前も肉料理って言ってたな……得意なんだろうな)
「うん、肉料理は好きだよ」
「わかりました、肉料理で頑張りたいと思います!」
にっこり微笑んでそう言うと、頬白は早速その場に立ち上がる。
「お買い物に行ってきまーす」
「あっ、真結ちゃん? お買い物なら一緒に行きましょうよ、私も夕飯のお買い物があるから」
襟亜さんと頬白が出かける準備を始めた事で、部屋の中がいきなり慌ただしくなった。
これでお開きなのだろうと思い、僕も席を立つと、それを見て縫香さんが言った。
「お前達さ、名前で呼び合った方が良いんじゃないか?」
「名前?」
「弓塚くん、下の名前は?」
「弘則ですけど……」
「じゃあ、ひろくん、かな?」
「お母さんには、そう呼ばれてますけど……」
「弓塚くんは真結の事をちゃん付けで呼べばいい」
「は、はぁ……」
「いいわねぇ、さっそく呼んでみたら?」
襟亜さんが、くすくすと笑いながらそう言った。
この人はこうなのだ。俺が恥ずかしがる様が滑稽で楽しいのだ。
「ま、真結ちゃん……」
「あは、よろしくね、ひろくん」
照れながら言う頬白の顔を見て、なんだかとても幸せな気持ちになった。
「なんだか全身がかゆい……」
「不思議よね、身内がイチャイチャしてるのを見ると……」
「わかってても、ムカツク」
その一瞬、襟亜さんの顔が真顔になった様な気がした。
確実に目は笑っていなかった。




