お父ちゃんは、天使なの!
目の前に立つ、全裸の女性から、俺は目を反らす事ができなかった。
そのニヤつく口元、嘲る様な視線、その目にかかる金髪と、細い首筋、少し狭めの肩幅と可愛らしい肩、そこから伸びるしなやかな腕。
俺の目が舐めるように縫香さんの身体を見ている時、硯ちゃんがぼそっとつぶやいた。
「縫香お姉ちゃん……」
硯ちゃんに怒られる、と心の中で思いつつも、視線を反らす事ができない。
もしかしたら今の俺を見て、頬白も呆れているかもしれない。
なのに、顔も目も、自分の意志では動かせない。
「どうして胸はニセものなの?」
ちょうど豊かな胸の膨らみに目が行った時、その白い胸がぽろん、と両方とも転げ落ちた。
途端に縫香さんは両腕で胸を隠し、慌ててドレスを手に取ると、女性らしく恥じらってソファの上にかがみ込んだ。
「何をする!? 私はCカップしかないんだ。男に裸体を見せる時ぐらいEカップにしたかったんだ!」
「あら、縫香お姉さんが人並みな女性の見栄を持ってたなんて驚きだわ」
襟亜さんがクスクスと笑ってそう言った。
「縫香さん、Cカップだったんですか?」
「オマエコロス」
「ひぃっっ!?」
襟亜さんの冗談に悪のりして胸の事を話した時、縫香さんの視線に殺意が混じった様な気がした。
「くそくそ、だから盛り乳してたのに! くそくそ、こんな所で恥をかく事になるとは」
(盛り乳とか言っちゃうんだ……)
縫香さんがそんな風に子供みたいに悔しがるとは意外だった。
常にクール、常に無気力で怠惰な人だと思っていたが、激情を見せる時もあるのだと知った。
「胸の大きさは真結ちゃんが一番だものね」
襟亜さんに言われて、ふと、頬白の胸をチラ見すると、確かに大きめの様に見えた。
硯ちゃんはまだこれからだし、襟亜さんは、あまり胸の線が見えない様な服を着ていた。
「弓塚くん……今、私の胸を見たりしたかしら?」
「ひっ……」
俺の視線に過剰に反応した襟亜さんが、そう言って、俺の首元に白く光る銀色の剣の切っ先を突きつけた。
勿論首筋に当てられたのは峰側で肌が切れる事は無かったが、その冷たさは咽の奥まで染み込んできていた。
「知ってた? この剣、あなたの魔法耐性を限りなくゼロに出来るのよ?」
「お、俺を殺すためですか?」
「物騒ねぇ、いつ敵になるかわからない相手の為に強化しておいたのよ」
「日本語はもっと正確に使いましょうよ……敵ではなく獲物ですよね?」
「獲物なんてやだぁ! 男の子って、いつも襲いかかる事しか考えてないのね? このす・け・べ」
剣を引っ込めた襟亜さんが、か弱い女性が恥じらう『フリ』をしていた。
あの動きのどんな姿勢からでも、俺の心臓を一突き出来る筈だ。
「どうだ、少しは欲情したか?」
再びチャイナドレスを着た縫香さんがそう尋ねた。
「いえ、欲情なんてしませんでした。ただ、綺麗だなって思って、目が離せなくなっただけです」
首もとにまだ残る冷たい感触を手でもみ消しながら、大きく息をつく。
硯ちゃんがやれやれと言った表情で困った姉達を見ていた。
「それはただの魅了魔法だよ」
「あ、そうなの?」
「正確には魔法耐性に左右されない、パワーワードという強い呪文」
「魔法をかけないと、視線を反らしてしまうだろう? でもまぁ女の裸を見てデレデレしないのなら、ライザリは大丈夫だろう」
「ライザリは、色仕掛けをしてくる悪魔なんですか」
「多分、同じ事をしてくるだろう。私の僕になれば、この身体を好きにして良いぞ、と」
「なるほど……ありがとうございます。気をつけます」
「その他にも色々と面倒な事をしてくると思うけど……本当に面倒な子なんだけど……とにかく頑張れ」
「は、はぁ……あの、いくつか質問してもいいですか?」
「なんだい?」
「ライザリは頬白と結婚して、どうするつもりなんですか?」
「魔力発生装置にする。真結はこの通り、魔力を使って人を幸せにする。幸せになった人は魔力を産み出す。その魔力をライザリが手に入れる」
「ああ、なるほど……そういう事ですか」
「だけどそれだと、お姉ちゃんは自分の中の魔力を使い果たして、最後には死んでしまう」
「おそらくはそうならないように、真結に魔力を与え続けるだろうけどね。龍穴を使って」
「……それじゃ、人としては扱って貰えないんですね」
「人としてかどうかはともかく、最低限、大切にはして貰えるとは思う……真結がそれで納得出来るかは別だが」
「でもまぁ、弓塚くんに危害は与えられないし、私達と正面切って戦いを挑むほど愚かではないだろうし、酷い事にはならないよ。ただただ、面倒なだけさ」
俺はそのライザリという悪魔を知らないが、ここの皆は知っているらしく、顔を見合わせてため息をついていた。
「あと、あの、これは……俺個人の興味なんですが……襟亜さんと縫香さんはどんな仕事をされてるんですか? それと、ご両親は?」
この質問をしても良いだろうと判断したのは、頬白が自分の父親の事を「お父ちゃん」と下町風味で呼んでいたからだった。
姉妹だけで住んでいる事から、もしかしたら両親は居ないのかもしれないと気を遣っていたのだが……。
いや、俺の質問を聞いた四人が、再び顔を見合わせたのを見て、よくない質問だったのだろうかと肩をすくませた。
「どうする?」
「うーん、どこから話せば良いのか……」
「全部話すとなると、大変だもんね……」
縫香さん、襟亜さん、硯ちゃんが困った顔をし、それを見ていた頬白も難しい顔をしていた。
「やっぱり、こういうのは……私から話すね」
「……そうしてくれるとありがたい」
意を決した頬白の言葉に、縫香さんがそう言った。
頬白はソファの上で姿勢を正し、そして俺の顔を正面から見る。
よほど大切な事なのだろう、俺も姿勢を正して頬白の目を正面から見た。
「弓塚くん……私のお父ちゃんは……」
そこで頬白は一度言葉を切り、そしてつばを飲み込んでから言った。
「お父ちゃんは、天使なの!」
「はああ!? てっ、天使ぃぃぃ!?」
よりによって天使と言われては、どう答えて良いものか、さっぱりわからなかった。
魔女がいて、魔法使いが居て、悪魔が居ればそりゃ天使も居るだろう。
しかしお父さんは天使ですというのは、俺が平凡な人生を送っていたなら、一生聞く事はない台詞だったろう。
(天使か……お父さんは天使って……普通ないよな……)




