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恋人の会話の言葉に意味は無い


 その日の放課後、頬白は弁当の本を買いに行くと言い出した。


「それなら駅前の本屋に行く?」


「うん。この前、町田君が行ってたあの本屋さんがいい」


「俺は用事があるからパス」


 鞄の中に荷物を詰めながら、町田がそう言った。

 いつもの様にさっさと教室を出て行く町田。その後ろ姿を見送った後、俺と頬白は二人で駅前に向かった。


 下校路は同じ制服の生徒達で溢れていた。

 部活をしている生徒はグラウンドの方で大声をあげたり、発生練習をしたりしている。

 生徒の大半は部活には入っておらず、わらわらと校門から出て、それぞれの帰路についていた。


 校門を出るとまず最初に、駅側へ向かうか逆に離れるかで生徒達の行く先が別れるのだが、殆どが駅の方へと向かう。

 向島高校に通う生徒達は、地元よりも近隣の市町村からも来ている者が多く、当然、それらの生徒達は電車を通学に使う。

 平々凡々とした中堅の進学校に通う生徒達は素行の大人しい者が多く、商業高ほど荒々しい者も、小塚丘学園の様な、お金持ち向けの女生徒の様な華やかさも無い。


 向島高校の紺色の制服の中に、商業高の灰色のズボン姿で金髪、茶髪のガラの悪い連中が混ざり、下着が見えそうなぐらい短い丈のスカートを履いた小塚丘学園の女生徒も混じる。


 そして当然、毎日の様に同じ言葉が繰り返される。


「カノジョ、ちょっと一緒にどう?」


「やーよ、他、当たって」


「いーじゃん少しぐらい」


「あたし、彼氏居るの。だからムリムリ」


「ただの遊びじゃん、彼氏とか関係無いって」


 男達の方は出来る限り引き留め、女達の方は体よくあしらう。

 喧嘩腰に相手を突き放しても、逆ギレされて面倒になりかねないから、ある程度は男達に華を持たせてやる。

 その程度の処世術は、女子校で生き抜いていくなら必須のスキルだと町田が言っていた。


 そしてまた今度、気が向いたらね。と口だけの約束で男達は袖に振られ、女達はクスクス笑いながらどこかへと去っていく。

 その男達が、ちら、とこちらを向いた。


「あれっ? 向島高校にこんな可愛い子いたっけ?」


「毎日チェックしてるつもりだったけど、初めて見る子だな」


 勿論、男達の視線の先に居るのは頬白真結だった。


「あは、どうも」


 作り笑顔で他校の男子生徒にそう言うと、途端に男達は興味を失っていた。


「彼氏持ちみたいだし、他、行こうぜ」


「お二人さん、なっかよっくねぇー」


 などと茶化しながらガラの悪い面々は去っていった。


(よかった……絡まれたらどうしようかと思った)


 俺は腕っ節に自信なんて無いし、できる事と言えば頬白を連れて逃げる事ぐらいだった。

 その心配も無く、無難にやりすごす事ができたのは、少し奇妙でもあり、多分そうなのだろうと思った。

 これもまた魔法なのだろう。頬白の魔法ではなく、この街の一帯に付与された、強力な記憶操作の魔法。

 彼らにとって『頬白真結は敵意を向ける対象ではない』という類のものではないだろうか。

 そうやって俺達は保護されているのだろう。

 ともあれ俺と頬白は、無数の色とりどりの生徒達の中に混ざり込み、大通りを歩き、そして二階建ての本屋に到着した。


「お弁当の本ってどこかな?」


「料理の本は……実用書とか?」


「一階かな?」


「多分」


 とりたてて、他人に相談する様な事でもない会話。

 目の前に置かれている雑誌を見てあれは雑誌だと言い、そうだねあれは雑誌だと言うだけの会話。

 会話の、その言葉自体には意味など無い。

 音として言葉を発し、音として耳で聞き、音として相手に返す。それが大事。

 それは共感の証し。親愛なる者達が、互いに共感する為の儀式。

 目の前にいるパンダを見て、あれはパンダだと言い、そうだねこれはパンダだと言う場所が動物園。

 それが魚達なら水族館。それが花達なら植物園。


 交際相手が居なければ、成り立たない儀式。無味乾燥な行為。

 それが、今、頬白真結という相手がいる事により成り立っていた。


「あった、これ、お弁当の本……ダイエット用のもあるんだね」


「うん……」


 頬白が一冊を手に取り、その中身を見るが、俺はする事が無い。

 それでも場の雰囲気を保つ為だけに、行為として弁当の作り方の本を取り、本を開く。

 料理に興味がある者ならまだいいが、俺は全く興味がない。ただの料理の写真集でしかない。

 その写真の下に書かれている、箇条書きの材料リストを見て、何故かうんざりする。


(こいつは教科書だ……それ以外の何物でもない……)


 その知識を知らぬ者が、その知識を得る為に綴られた書物。実用書とはそういう物だった。

 何でもそうなのだ。周りは勉強しろ、良い成績を取れと言うが、その知識を欲さぬ者にいくら高説を垂れた所で得る物は少ない。


(好きこそものの上手なれ、か……)


 では俺は一体何に興味があるのだろう? そう思いながら実用書の棚にならぶ本を見ていた。

 手芸、園芸、手品、話術、スピーチ、手紙、習字……どれも今ひとつ。

 別に読みたい本は無いか、と思った時、視界の端に何かが気になった。

 棚の一番下の段の右端。普通なら見過ごして当たり前の場所に、薄い緑色の背表紙の本があった。

 本のタイトルは『あなたにも分かる龍穴と風水術』だった。

 べったりと棚と隣の本にくっついているその本を、無理矢理にでも引っ張り出し、手に取る。

 拍子には風水の方位版が書かれており、著者はマドモアゼル・芽生メイと書かれていた。


(龍穴と風水については……俺も知りたい……)


 頬白姉妹との出会いがなければ、風水なんて今日はなかったが今は違う。

 龍穴も龍脈も全くの無関係とは言えなくなってきた。

 素人知識でも、知っておく事に損は無いだろう。


「弓塚くんも良い本、見つかった?」


 そう頬白が言って、俺が手に持っている本を見た。

 その後、俺の顔を見た頬白は、とても優しい、可愛らしい笑顔で言った。


「ありがとう」


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