友人、町田努
「えぇぇぇ……」
母親と父親の回答はとてもテンプレート的な物だった。
隣には頬白さんという四姉妹が住んでいる。
いつから? と聞くと、そんな事言われてもずっとそうじゃない。と母。
おじいさんが住んでいた筈だと言うと、二人ともよく分からないといった顔をした。
結局、日曜は何もしなかった。何かが出来る精神状態じゃなかった。
俺に出来たのは、自分自身の記憶が定かではない、という方向で考えを改める事だった。
記憶喪失……喪失? 喪失などしていないが、とにかく現実と俺の記憶は違う。
いや、そう考えてしまう時点で、俺はもう、おかしくなってしまったのかもしれない。
なんて事を考えると気がおかしくなりそうだった。
精魂尽き果てて辿り着いた結論は、なるようにしかならないという諦めだった。
そして月曜日になり、俺はこうして平静を装って学校に来た。
自分の机に座り、そして、答えのでない問いをひたすら問い続ける。
今、一つだけある希望は、町田努という友人だった。
町田とは幼少時代からの友達で、お互いの家に行き来した事もあり、当然おじいさんの事も知っている筈だった。
そしてもう一つ、町田は文学が好きでいつも本を読んでいて、とても賢い。
俺が今どうなっているのかを、冷静に判断してくれそうだった。
「なるようにしかならない……考えちゃダメだ……」
何も無い机の上に視線を落としつつ、自分にそう言い聞かせた。
クラスメートから遠巻きに気味悪がられているのが分かったが、それどころじゃなかった。
事実、今の俺は気味が悪い。
「……何してんの?」
「ま、町田……」
ようやくの救世主の登場だった。
教室に入ってきた旧友は自分の席に荷物を置くと、ドス黒いオーラを身に纏っている俺に気づいて話しかけてきてくれた。
「町田。俺の隣の家の事、覚えてる」
「隣の……家? ああ、あの……」
おじいさんの家。と言って欲しかった。
「美人姉妹の家」
「そうか……やっぱりそうか……」
間違っているのは俺の方だった。そう言い聞かせるしかなかった。
「それで、そんな顔をしてるのは、美人姉妹が関係してるのか?」
「……もしも、という仮定の上で聞いてくれるか?」
「うん……いいよ」
自分の家の隣には古い家があり、おじいさんが住んでいた。
しかしそれが突然、美人姉妹の住む近代的な家になってしまった。
そんな不思議体験をしているとしたら、それは俺が記憶障害になっているからだろうか。
「……なるほど。今、目の当たりにしている現実が本当なのか、それとも自分の記憶が本当なのか分からないって事」
「ああ……分かってる。現実は現実だ。俺はおじいさんの住む家という別の記憶を、何故か信じたいと思っているだけだ」
「どちらも本当だとしたら、その振り返った瞬間に変わっちゃったんじゃないか?」
「そんな事ってありえる?」
「ありえないな。魔法でも使われたんじゃ?」
「へっ……魔法、か……それしかないか」
果たして町田は、俺の事を狂人だと思っているだろうか。それとも本気で魔法だと言っているのだろうか。
どちらにせよ、魔法で記憶が変わっちゃったと思う事にする、というのは、最も納得のいく非現実的な結論だった。
少なくともそう思う事により、俺の中の記憶は両立できる。
「助かったよ町田。俺は気が狂いそうになってたんだ」
「そりゃどうも」
「……ところで……お前の横って……席、あったっけ……?」
俺の記憶では、町田は教室の一番後ろの席で、その隣に席はなかった。
しかし、今、町田の横には席がある。
「ああ……頬白の席じゃないか」
「ほ、ほお……じろ?」
「だからほら、お前の隣に住んでる美人姉妹の三女の頬白真結」
「おはよ」
隣の家に住む。セミロングの髪をヘアピンで留めた可愛い子が教室の中に入ってきて、その席に着いた。
「町田……お前さ……」
「何?」
「あの子と話をした事って……ある?」
「……」
町田は俺の質問をうけて、そこで初めて難しい顔をした。
「無い……な……」
「お前の隣の席にいて、そして俺の隣に住んでいて、俺とお前は小さい頃からの友達だ」
「俺達の記憶に、彼女は居るか?」
もし本当に頬白家が昔から住んでいたなら、あの女の子は俺達の共通の幼なじみになっていてもわかしくなかった。
同い年の女の子が隣の家に居て、家族も交友があるなら、そうなって当たり前だった。
当然、俺と町田という幼なじみの間に、彼女が居ない訳がなかった。
「……へぇ。そういう事って、あるんだ」
そう言うと町田はニヤニヤと笑いながら、頬白真結の方を見た。
町田は黙っていれば二枚目で女子からの人気もあるが、口を開くと誰に対しても無愛想で失望されている。
女の子からの告白も数度あったが全て断っている。
その理由を俺は知っている。
町田は脳内勇者であり、脳内探偵であり、脳内彼女に惚れ込んでいる。
そして小説の中に登場するヒーローの様になりたいと心の底から願っている。
彼が本を読んでいるのは単なる読書家だからではない。
小説も漫画も、町田にとっては没頭できるファンタジー世界なのだ。
その彼が、事実という小説よりおかしな現実に気づいた。
現実が彼の望むファンタジーになった瞬間だった。
「この、俺の記憶は……書き換えられたのか……フフフフフフフ」
「町田君、コワイ」