わりとギリギリに悪
「今、聞き捨てならない冗談が聞こえたんですけど、イギリスのブラックジョークとかアメリカンジョークとか、そっち系ですか?」
「やだもう、人間界の法律で裁けない時もあるじゃない。そういう時は、私が裁くだけよ」
台詞の後半部分を言う時の襟亜さんは、もう笑顔すら作っていなかった。
「どこの世界でも困った奴は居るからな。警官は必要だろう」
「魔界の警官って言えば、なんだかあってる気もしますが……でも、気安く殺すとか殺さないとか口に出さないで下さいよ」
「それはお仕事とは関係無く、私個人の問題だから」
「人間界では警官だからと言って、国家権力で脅したりする事は出来ないんですよ?」
「だからぁ、私は脅したりなんかしてないの。ただの警告よ」
「とにかく、他人にむやみやたらに殺すとか言ったら、すぐこっちのお巡りさんが来て、怒られますからね」
「この辺りのお巡りさんは飛んで来ない様に、ちゃんと硯ちゃんに記憶を操作してもらったわ」
「この街の治安を守る四天王的な感じにしておいたの」
「皆さん、わりとギリギリまで悪ですよね……自分には頬白だけが天使に見えますよ」
「世の中、綺麗事だけでは生きていけないよ、お兄ちゃん」
「うん、そうだね……」
小学生の女の子に、世渡りの厳しさを教授してもらった後、僕はようやく解放されて自宅へと戻った。
頬白家の玄関を出て、すぐ隣の自分の家に帰り、見慣れた玄関の景色を見た時、やっと現実に戻ってこれた様な気がした。
靴を脱ぎ、階段を上り、自室へと入る。
そこで制服を脱ぎ、普段着に着替えてようやく一息つく。
ズボンのポケットの中にお守りを入れていた事を思い出し、それを取り出して財布にくくりつけておいた。
ベッドの上に寝転がりながら、頬白と、その姉妹達の事を思い返した。
面倒な事に巻き込まれてしまった、という気持ちはあった。
でも、悪い気もしなかったのは、四姉妹が皆、美人だったからかもしれない。
あれで四人とも怖い系の男で、幼なじみとして三男のぼっちゃんと仲良くしてくれ、とか言われたら、面倒だけではすまなかったかもしれない。
それに頬白真結という女の子自身が、とてもいい子なのも良かった。
縫香さんの話では、魔法を使っても今すぐ死ぬというものではないみたいだったが、おばあさんまで生きられるのに、40ぐらいで若死にしてしまうというのなら、それは避けたいだろう。
(その生命力ってのは……魔法を使う度に削られていくんだろうな……)
力を使えば使うほど寿命が縮む魔法。
架空の人を造り出してしまうほどの強力な魔法であり、自分自身の意志とは関係無く発動してしまう暴走系の魔法。
その魔法自体が、当人にとっては不幸な重荷だと思うのだが、頬白はそう感じている様には思えない。
(頬白の為に俺が出来る事って……)
ふと、そう考えた所で、縫香さんの言葉が頭によぎる。
これから先、この考え方には気をつけなければいけない……もっと具体的に、もっと現実的に。
頬白が魔法によって奇跡的な事を起こさないように、一歩引いて冷静に。
今までの様にフワフワとした気持ちで気軽に何でも望んではいけない。頬白と一緒に居る時は。
それこそが、俺の出来る事だった。
「ふぅ……」
ため息を一つつき、目を閉じて少し休む事にした。
今までの生活とこれからの生活に、大きな変化が訪れた。
今日、頬白家を尋ねるまでのもやもやとした気持ちは無くなり、代わりにちょっとした義務感を持つ事になった。
そのおかげで少しだけ、自分が大人になったような気がした。
それから数日の間、俺と頬白と町田の間には、ごく平凡な日々が訪れた。
朝、共に通学し、学校で勉強し、寄り道する事もなく下校し、自宅に戻る。
それだけの平々凡々な毎日。
世界には何の変化も無く、頬白が魔法を使う事もなく、頬白姉妹と会う事もなく、ただ毎日が過ぎていった。
頬白は俺達幼なじみの一人として、違和感無く生活に混ざっていた。
そして俺の交際相手として存在していたが、だからといって何かがあった訳でも無い。
せいぜいが昼食を共に取るぐらいで、他の交際している男女のようにイチャイチャとする事はなかった。
それを指して友人達は、俺と頬白の事を清い交際などと言っていたが、そんな良い物ではなく、ただ単に他人の距離から近づいていないだけだった。
そして平凡な毎日に大きな変化があったのは、町田と来島かしこの事だった。
二人はしばらくの間、お互いに会う事もなかった為に、話題になるわけもなかった。
しかしその日の帰宅時、町田は俺と頬白に、用があるから先に返ってくれ、と言った。
俺達は言葉通り、町田とは別に帰宅した。
そしてその翌日、俺達三人が登校してみると、教室内は町田と来島かしこの話で盛り上がっていた。
「町田君が、他校の女子と手を繋いで歩いていたってぇー!」
町田は二枚目だ。格好いい。頭も良い。小さい頃からもてる。今までに告白された事は何度もある。このクラスにも告白した女子はいる。
しかし町田の交際相手は、脳内にのみ存在するだろう希有な異性であった為、誰もが失恋してきていた。
「相手はどんな子なの!?」
「美人、痩せてる、モデル体型、金髪ロング、まるで外人、頭が良い、俳句やってるらしい」
「俳句!? 俳句ってなにそれ!? 私達の年頃の女がやる事なの!?」
「どーゆーことなのー!? まーちーだーくーんー!!」
裏でネチネチと噂されるよりは、正面きってブチ切れされた方が楽と言えば楽だった。
教室に入った途端、町田は女子に取り囲まれ、俺と頬白は押し退けられてしまった。
「小塚丘学園の来島かしこさん。文芸書評という雑誌に投稿していて、去年、俳句で銀賞をとった」
「先日、たまたま駅前で知り合い、お互いに趣味が似ていたので交際する事にした」