引っ越してきた隣人
遅筆ですが、よろしくお願いいたします。
清々しい朝。窓を開けると、清涼な朝の空気が部屋の中に入ってきて、淀んだ部屋の中の空気を追い出してくれる。
ベッドから降りた俺は、一つ大きく伸びをして窓の外に顔を出し、新鮮な空気を吸おうとした。
ここ、自宅の二階から見える風景を、俺はとても気に入っている。
家の周りには二階建ての建物が少なく、毎朝、遠くにやや青くかすんで見える山々の緑を見るのが好きだった。
隣の家はおじいさんが一人で暮らしていて、時々、顔をあわせる事もあるが、今日は姿が見えない。
築何十年の古い平屋の屋根、そして最低限の手入れしかされていない寂しげな中庭が眼下に見えるだけだった。
「んん……今日も良い天気だな」
肺の中の空気を入れ換え、いつもの朝の風景を眺めた後、部屋の中に視線を戻す。
今日は日曜日。いい天気だし、駅の方にでも出てみようか。
カレンダーの日付と曜日を確認しながら、そんな事を考えた。
昨日は一日中、スマホで暇つぶしをしていただけだった。何をするでもなく、ダラダラと画面を見て、操作をして、気づいたら昼になっていて……。
そんな一日でもいいのだが、良い天気だと外に出てみたくなる。
窓から駅の方を見てみようと再び窓の外に身体を向けた時、俺は首を傾げた。
「あ?」
曇っている。灰色の空が広がっている。
いや、それはいい。良くないが後回しでもいい。
「はあ? なんだこれ?」
窓の外には隣の家の壁が見えていた。
灰色に塗り固められた建物の壁。無機質な人工の建造物。
「ど、どういう事?」
窓から身を乗り出して辺りを見回す。
隣に建っているのはそこそこ古い、洋風の、二階建ての建物だった。
そんな建物、産まれてから今まで見た事が無い。
何が起こったのか全く理解出来なかった。
先ほどまでは晴れていて、隣は古い平屋で、遠くに山が見えていた。
今は曇っていて、隣は二階建ての建物で、そして山は見えない。代わりに隣の家の玄関を見下ろす事ができた。
その玄関の扉が開いた。
家の中から一人の女の子が出てきた。若い。俺と同じぐらいの年頃の子。
セミロングの髪をヘアピンで留めている。肌は白い。柔らかい頬の線。
クラスの女子達より可愛い。俺としてはとてもOKな感じだ。
「あ、おはようございます」
「お、おはようございます」
見下ろしている俺に気づいた彼女が、愛想良く笑って、ごく当たり前の様に挨拶をしてきた。そして俺も反射的に挨拶を返した。
その笑顔はとても可愛かった。俺としてはとてもOKな感じだ。
「姉さん、行ってきます」
「はい、いってらっしゃい、気をつけてね」
玄関の中から別の女性の声が聞こえた。女の子は玄関の門を開け、道に出ると、駅の方へとゆっくり歩いて行った。
それを見送るために、家の中からもう一人女性が姿を現した。
黒い、長い髪の女性。後ろで髪をゴムか何かで結わえている。俺よりも年上ぽく見える。
通りを歩いて行く女の子は、彼女を姉さんと呼んでいた。
エプロンのよく似合う女性だった。
「あら、弓塚さん。おはようございます」
「お、おはようございます」
再び反射的に挨拶してしまった。
黒髪の女性は俺の名字を知っていた。そしてやはり当たり前の様に挨拶してきた。
「もしかしてのぞき見ですか? 殺しますわよ?」
「はぁぁぁ!?」
黒髪のエプロンをつけた女性は、俺の方を見上げてにっこりと微笑んでそう言った。
しかし、その笑顔には何かとんでもない殺気が混じっていた。
「あ、あなたはいったい誰ですか!? あの、俺、あなたの事知らないんですけど」
そう問い返すと、彼女の顔から殺気が消え、不思議そうな顔で俺を見かえしてきた。
「あら……やだ、何を言ってらっしゃるんですか? 頬白ですけど」
「ほおじろ……」
「どうした? 襟亜」
また別の女性の声。少しハスキーな色艶のある声だった。
黒髪のエプロンの女性は襟亜という名前らしかった。
「縫香姉さん。お隣の方が……」
「お隣さん?」
玄関先に立つ黒髪の長髪の女性、襟亜さんの隣に、少し背の高い別の女性が顔を覗かせた。
金髪。背中まで届く長い髪。年齢はよく分からない。
というか日本人に見えない。
というかどうしてノースリーブのチャイナドレスを着ているのか?
日本人の一体何パーセントの女性が、日曜日の朝に、自宅でチャイナドレスを着ているだろうか?
「……」
縫香姉さんと呼ばれたチャイナドレスの金髪女性が、鋭いまなざしで俺を睨んだ。
「おはようございます」
ぼそっと呟く様にそう言うと、すぐに顔を引っ込めてしまった。
「おはよう……ございます……」
と挨拶を返したものの、おそらくは聞こえなかっただろう。
「あ、それではまた」
エプロンの女性は軽く会釈をすると、作り笑顔を絶やさずに玄関の中に戻っていった。
整理してみよう。隣の家に住んでいたのは、一人暮らしのおじいさんの筈でした。
5分ほど前まではそうでした。でも今、隣に住んでいるのは頬白さんという方で、可愛い同年代の女の子と、笑顔で殺人を予告してきたそのお姉さん、さらには金髪でチャイナドレスを着た、日本人とは思えない女性も住んでいる様です。
まず一瞬で建物が変わっている事がおかしい。天気も違う。
隣の家のおじいさんはどこに行ったのか。
俺の記憶が間違っているのか?俺が生きてきたこの十何年はすべて幻だったのか?
「お、お母さん……ちょっと話が……」
家族に話をきいてみる事。今の俺にできるのはそれが精一杯だった。