ふくのかみ 後編
ふくのかみ
さて。
伯母に追い出されるようにして京都から戻ってきた大吉のその後のお話し。
普段は暇な酒屋とはいえ、大吉も商売人、それなりに年の暮れの忙しさに追われたものの、無事に大晦日の夜を迎えることができた。大吉の無口な嫁さんもおせち料理を仕上げて、すっかり家の中の用事を済ませている。
ふたりはぐつぐつと煮えるおでんを前にしてほっこりとした。
「今年もなんとか無事に済ませられたわ。ごくろうさん。来年もあんじょう頼むでえ」
「……はい」
酒屋のくせに下戸な大吉はいい心持ちになった熱燗の銚子をとりあげて嫁さんに注いでやる。嫁さんは無口であるが、お酒の方はかなりいける口である。ぐいぐいとやる。
大吉の家では大晦日に紅白を観る習慣はない。年越しそばも食べない。こうして(嫁さんがお酒を飲むばかりであるが)ただ除夜の鐘が鳴るのを静かに待つ……。
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いつものようにゆず湯に浸かりながら除夜の鐘を聴き終えてから寝入る大吉であったが、今年は少々変わったことがあった。
「大吉よ。起きよ。大吉。これ」
大吉の枕元で若い男の声がする。
「えー。申し訳ありませんが、松の内の間は(営業は)お休みだす。店開けるのは8日からで。むにゃむにゃ」
「俺は酒を求めておるのではない。お前に用があるのだ。大吉よ。起きよ」
「明日は住吉さんと京都の松尾(大社)さんへ初詣に出かけにゃならんので寝かせて……。ズズズズー」
「なんと強情なやつ」
声の主はもはや実力行使に出るほかなしとばかりに大刀の朱鞘で大吉をつつきはじめた。
「これでどうじゃ。起きよ、大吉。ほれ」
「痛い痛い痛い。どなたはんや?人が気持ちよう寝入っているんを邪魔するんわ!」
半ギレとなった大吉が飛び起きてみると、そこには極めて美童な若侍が立っておった。
朱色と藤色のぼかしの派手な衣装を着流しにし、金糸をあしらった黒絹の豪奢な帯をだらりと結び、腰には手に持つ大刀と揃いの白柄で金銀を散らした朱鞘の脇差を差している。
14,5で剃り落とすはずの前髪を左右に分け、極めて派手な紫色の飾り糸で後ろ髪を結ったその若侍は一見して傾奇者である。
「むっ。俺か。俺はふくのかみだよ。少なくとも大吉の伯母御どのは俺のことをそう呼んでおった」
「福の神、さま?」
大吉は衣紋掛けにかけてある黒羽二重の紋付と若侍を交互に見る。
「えーと。わし。夢で寝ている夢をようみますけど、これ、夢でんな?」
「いかにも。夢だよ」
「さよか。初夢に福の神さんとは縁起がええ。ありがとさんだす。ほな。覚めんうちにもうひと寝り」
「これ。用事があると言うとるではないか」
「いや、もう結構だす。商売の方も近所に大型の安売りチェーンの店が出来てお客さん増えませんけど、昔からのご贔屓さんがまだ残っとりますさかい、困っているというほどでもないんで。縁起のええ初夢ばかりかそれ以上のもんもろうても罰があたりそうですさかい、どうぞお引取りを」
「フフフ。商売人のくせに福の神に帰れとは面白いやつ。だが、あいにく俺はその方が考えている福の神ではない。着る服の神だよ」
「はあ!?」
「その方を京都の人間を馬鹿にする大阪人のひとりとして成敗しに参った」
「えっ!え、ええ」
「というのは冗談だ。まっ。ファッションコーディネートくらいはしてやるがな」
「夢で神さんに担がれるとは。なんか大変な年になりそうやな、今年は」と寝床の上に座り込んでブツブツつぶやく大吉を見る自称服の神さまの、切れ長の涼やかな目が少し曇る。
パジャマ姿の大吉のファッションセンスがチョット……どころかだいぶ酷い。そもそも大吉は懐古趣味のあった先代政吉のセンスをそのまま受け継いでおり、冬はらくだのシャツにらくだのパッチ(股引)に腹巻、夏は麻の7部袖の白シャツにステテコに腹巻が常備であり、今時の大阪の商売人でもまずお目にかかれない格好をしている。
下着姿はあまり人様の目に触れることがないとは言え、大吉が普段うえに引っ掛けるものもあまり褒められたものではない。大抵が黒の擦り切れた上下のスエットで、冬ならドテラを引っ掛ける程度なのだ。もっとも、営業用に紺のスラックス、白シャツ姿(冬なら事務用のジャンパー)で出かけるので今のところは目立った商売上の支障はないが。
あまりの酷さにファッションコーディネートと言ってしまった神さまの方が後悔をした。
「いや。やはり用事の方を先に済まそう。用事の方をな」
「?」
「ときに大吉。その方、伯母御どののところでどういった理由で紋付をもらうのか聞き忘れたであろう?」
「はあ。そのとおりで」
「それをまずは説明してやろう。伯母御どのはな。その方が不器用でおなごの扱いが酷すぎるのを嘆いておった。それゆえ、おなごの扱いに長けた俺をその方のトレーナーとして遣わし、その方を人並みの人間にしようという趣向であった」
「いや。わし。もう嫁はんもろうてますさかい、おなごの扱いを習ってもしょうがおまへん。お気持ちは嬉しいですけど、やはりお引取りを」
「その態度がいかんのだ。嫁御もおなごであるということを忘れている態度がそもそも間違いなのだ。まあ、慌てものでデリカシーがなく伯母御どのを怒らしてろくに説明も聞けぬその方に気づけというのは酷かも知れぬが、これは常識ぞ。こころして俺に倣うがよい。無口な嫁御が不満を漏らしていないからといって夢々安心してよいというものではないのだ、夫婦の仲というのはな」
「……」
自称服の神さまに言われて、結婚当初大吉のあまりのデリカシーの無さに失望して深夜の近所の公園で鉄棒の逆上がりを執拗に繰り返す奇癖を披露したかつての嫁さんの姿が大吉の胸に去来した。
「わし。考えてみたら嫁はんに甘い言葉一つかけたことなかった。これは大変や。愛想つかされているかも。
服の神さま。どうかご指導お願いしますって言いたいところやけど、よう考えたらあなた様は恋の神様ではなくて服の神さま。なんか今ひとつ頼りないなあ」
「心配はいらぬぞ。大吉よ。大船に乗った気持ちで俺に任せておけば良い。
俺の生前の名前は名古屋山三郎よ。知らぬか?分かりやすく言うと、出雲阿国のコレと言われた男だよ。まあ、それは伝説だがな。
だが、当時も今も浮名を流す傾奇者。おなごの扱いには人に遅れをとらぬわ」
「今も?」
大吉が疑問を言葉にする前に長い黒髪で青い目の外国の美人さんが名古屋山三郎に抱きついた。
「ズドラーストヴィチェ」
「なぜにロシア人!?」
「このおなごはイリーナという。どうじゃ。得心したか、大吉よ」
大吉は一昔前に流行った国籍取得目的の外国人妻結婚詐欺を一瞬思い出したが、名古屋山三郎が「イリーナ。イーラ。よしよし。愛いやつじゃな。お主は」とでれている様を見て、神様には国籍とかというものはないだろうと思い返して一応納得することにした。
「よろしくお頼み申します」
「うむ。殊勝な心掛けじゃ。俺に習って精進に励むが良い」
こうして大吉は松の内の間、夜な夜な夢で名古屋山三郎とイリーナ嬢のベタベタイチャイチャぶりを見せ付けられる破目に陥った。安土桃山の昔、名古屋山三郎という男はその大変な美童ぶりだけでなく、和歌に連歌をよくする教養人としても名高く、大吉としてはそこに期待したわけだが、結果は散々であった。
ちなみに、衣紋掛けにかけられている紋付は明治の頃に作られたものであり、そこに取り付く前は名古屋山三郎は享保の頃の木瓜の紋のついた裃に引っ付いておったそうな。衣装に取り付く訳を問いただされても、本人は「知らん」とのこと。「服の神さまとは、姑、小姑に虐められていた頃の大吉の伯母御どのが言い出したことだから、俺にどんな御利益があるかは俺自身知らん。だが、今までの経験則からして人に祟るものでは無し。なぜか人に感謝されておるから問題なかろう」とのこと。
大吉としてはおなごを優しく扱う修行に励むしかなかった。
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「(今までオイとか嫁はんとか、名前で呼ばんとすまんかった)こ、小春くん。いや、小春さん。いや。小春ちゃん。今年は住吉さんへ初詣一緒に行こうか?そんで帰りに開いている喫茶店で甘いものでも食べて帰ろうか?」
「三が日開けたら阪神百貨店で婦人物の福袋買ってきたろか?えっ?別にええって?いや、いままで苦労かけた割にはなんもしたってないなと最近反省してやなあ。そんでも要らん?まあ、そないなこと言わんと……」
「わし。趣味で絵買うのやめるわ。嫁さん孝行もせんと、血道を開けるもんとちゃうし。家計のことも考えんとな。えっ?そんなことしたらわしが無趣味のただのおっさんに成り下がるやて。まあ、そうやけど」
大吉の修行の成果は、急に甘いことを言いだした大吉を病院に連れていかねばならないのではないかと嫁さんを本気で心配させただけの結果に終わった。
それを傍で見ていた名古屋山三郎はこうつぶやいたとか。
「少々薬が効きすぎたか。見ている分には面白いから俺としてはもう少しやらせておきたいのだがな。嫁御どのが本気で心配しているのが、気の毒だ。
よし。本命の贈り物をやるとするか。
もともと夫婦仲は悪くはない。大吉が相手を気遣う心の内を表現できるようになればまずは合格点をあげてもいいだろうよ」
2ヶ月後。病院の検査で大吉夫婦は子宝に恵まれたことを知った(名古屋山三郎は大伴家持と山上憶良の歌が割と好きな方であった)。




