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ふくのかみ 前編

 ふくのかみ


 茨木で酒屋を営むごく普通の中年男、花山大吉には京都に母方の伯母がいる。

 大吉の母親は江戸時代には藩の御用商人を務めたという明石の古い商家の娘(五女)であり、伯母はその姉(長女)である。伯母は年が離れていることもあり、大吉の母親を非常に可愛がり、ふたりの仲はたいへんよかった。

 その伯母は昭和30年の半ば頃、京都西陣で多くの職人を使って帯の糸の染色をする旧家に嫁ぎ、さんざん姑や小姑にいじめられ抜いた末、舅、姑、小姑、最後に夫という順に見送り、いまではその大きな町家に一人暮らしをしている。

 大吉の母親は昭和の時代が終わり平成の時代に入った頃、あっけなく亡くなり、もともと交流の少ない伯母(昔の旧家では嫁が自分の親類と親しくするのは大変嫌われた)と大吉の家とは以来疎遠となっていた。大吉が最後に伯母に会ったのも12年前の、大吉の父親、政吉の葬式のときというぐらいである。


 その伯母から年の暮れに呼び出しが来た。


 疎遠ではあるが、大吉には伯母の呼び出しを無碍にできない理由(わけ)がある。

 昭和56年の夏、父親政吉が胃に穴を開け吐血して倒れた折、伯母は嫁ぎ先の姑たちの嫌味にもかかわらず約1ヶ月、家に泊まり込んで小学2年生だった大吉の面倒を見てくれたのだ。母親が病床の政吉に付きっきりで寂しい思いをしていた大吉にはそれは非常に有難いことだった。


「ほな、行ってくるわ」

 大吉は無口な嫁はんにそう告げて京都へ飛んでいった。


 伯母にはふたりの息子がいる。

 その次男さんは京都繊維大学という関西では理系のそこそこの学校を出て、実家の染色の跡をとり、嫁さんと別のところに暮らしている。伯母と同居していないのは嫁さんに結婚の条件をつけられたからだ。

 ひとつ、嫁ぎ先のひとの面倒は見ない。ふたつ、こどもは作らない。みっつ、外へ働きに行くことを快く認めること。よっつ、伯母とは同居しない……。

 最近の女の人は強い。言うまでもなく次男さんは嫁さんの尻に敷かれている。

 それでも次男さんは心優しい男であったため嫁さんに気づかれないようこっそりと伯母の御機嫌伺いをしていた(ばれると嫁さんの機嫌がすこぶる悪くなるので、たまにしかできないが)。


 長男さんは昔から秀才の名が高く、ストレートで東京大学という日本の最高学府の中でも一番の学校へ進学して以来、東京暮らしである。中央官庁の役人になり(現在は退職して天下り先の偉いさんである)、なんでも目黒とか目白とかいうところの大きなマンションに暮らしているそうな。嫁さんは同じ学校の同級生で、長い留学後、関東の私立で教鞭を執っている才女である。伯母の面倒をみる気は最初からふたりにはなく、せいぜい税金対策とか資産運用とかの名目で伯母からお金を取り上げることしか考えたことはない。


「えー。伯母さん。ご無沙汰しとります」

 大吉が挨拶をすると、伯母はもたれている火の入っていない火鉢から手を離してうんうんと頷いた(だだっ広い町家の中は寒々とした雰囲気であるが、床暖房とオイル・ヒーターで快適であり、火鉢に火を入れる必要はもちろんない。ただ80を超えた伯母は3年前に腰を痛めてから半分寝たきりであり、こうして火鉢にもたれて半身を起こす必要があった)。


「顔を見んうちに大吉くんもえろう貫禄が出てきはったなあ。政吉さん、そっくりになって」

 大阪語訳すると、「大吉くんもえらいおっさんくさくなったなあ。懐古趣味のあった政吉さん、そっくりや」

 京都の人間は大阪の人間みたいにストレートな物言いはしない。


「伯母さん。今日はどないな御用でっか?この大吉。恩を知る男だす。伯母さんのためならたとえ火の中水の中、いて参じまっせ」

「大吉くん。そうりきまんでもよろし。あんたの気持ちは嬉しおすけどな。今日はそないな大層な話やおへん。そこにある紋付一枚、機嫌ようもろてくれればよろし」


 たしかに底の浅い桐の箱に黒羽二重の紋付がきちんとたたまれて大吉の目の前に置かれている。紋も大吉の家の下がり藤。


「……」

 大吉は無言で紋付を眺めていたが、そのうち滂沱の涙を流し始めた。

「大吉くん。どないしたんどすえ。涙まで流して」

「……水臭い。そないなことになるまで、なんで大吉にもっと早う知らせてくれへんかったんです。今日が今生の別れやなんて殺生なはなしや」

「なんの話ししてはるんどすか?」

「伯母さんもここまできて何をとぼけなさる。お年やとおもとりましたが、そんなにお悪いとは思いもしてしまへんかった。伯母さん。なんぞ未練が残っとりませんか?大吉にできることなら何でもさせてもらいますよって」

「慌てもの。うちはまだピンピンしてます。死にやしませんえ。腰以外どーこも悪いとこはおへんえ」

 大吉は基本、デリカシーに欠ける慌てものである。


「そやかて伯母さん。京都の人が他人にものくれるなんて空から槍でも降ってくるような(ありえない)ことを言いなさるから。一枚でも着物くれるなんて形見分け以外ないんと違いますか?」

「あほなことをお言いなし」


 大阪の人間から見た京都の人というのは日常は爪に火を灯すような生活をしていて法事など他人を呼ぶときのみ豪華な仕出しだのをとる見栄張りである。偏見から京都の人が他人に気前よく物をくれるなど驚天動地の出来事のように感じてしまうのである。


 京の着倒れ、大阪の食い倒れ。

 京都の人はおよばれだの他人さんとの会食にはここ一番の上等の着物を着て見栄を張る。大阪の人間にはそんな見栄がアホらしい。名より実を取る。家で食べるすき焼きには牛肉しか使わない。たとえ有名店のものでも味が合わなかったら絶対に買わない(大阪は食べ物屋、お菓子屋の生存競争の激しい土地である)。好みにうるさくそれぞれの家の主張があり、鉄板の土産というものがなかなかない。

 たとえば京都は漬物が美味しいが、土産に有名店のものを買って持って行っても、「べったら漬よりスグキの方がよかったなあ」とか「あそこの店よりあっちの店の方が好みやねんけど」とかただでもらう方がど厚かましいことを平気で言う。

 こどもの友達が家に遊びに来ていても、お好み焼きや焼きそばは出してもわざわざお寿司の出前をとって機嫌を取ることはない(例外として女の子の家やお金持ちの家では神戸の洋菓子屋のケーキが出ることがあるが。なぜか大阪のおばちゃん連中が大好きであるアンリ・シャルパン・ティエとかの)。


 それはさておき。


 ピシッ。


 伯母の眉間にはやくも縦ジワが入った。

 京都の人はデリカシーのない人間が嫌いである。特に大阪人の厚かましさにはあきれている。大吉の伯母は限界までとは言わないが、かなり機嫌を損ねた。


 ほんに大阪の人間は嫌やなあ。京都の人間に向かって京都の人の悪口を言うやなんて。デリカシーがない。それに、大吉め。うちがいつ死んでもおかしないとおもてたな。死んだ政吉さんそっくりや。慌てものの権太くれめ。


 デリカシーのない大吉はそんな伯母の気持ちなどお構いなしにズケズケとものを言う。

「伯母さんが家に息子さんたちが寄り付いてくれずにさみしい思いをされてることはよーお分かっとります。ものくれんでも大吉。伯母さんのためなら日参してでもお慰めしまっさかい。どうか安心して……」


 禁句である。伯母は他人に息子たちのことを言われるのが一番嫌なことであった。眉間の縦ジワが深くなる。伯母の機嫌は臨界点を突破してしまった。


 伯母はもう大吉の方を見ることもせず、ソッポを向いてよそ事を話し出す。

「ほんにうちの長男は昔から賢うて……」

 伯母の息子自慢は学のない大吉に対する嫌味である。長居する客へのはやく帰れとのシグナルでもある。


 兼好法師の昔から京都の人はこういった高等戦術に長けている。主に厚かましい大阪人を撃退するために練られたものなのであろう。手ぬぐいをかけられた逆さのホウキを見せられなくても(江戸時代までの風習?)「ぶぶ漬けでも」と言われなくとも(上方落語の作り話?)、撃退の学習の成果で今では大阪人でも敏感にシグナルを読み取ることができる。


 デリカシーのない大吉にも大阪人としての常識があったためそうそうに伯母の家を辞去した。



 


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