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「……え?」
騒然とした感情が俺を覆い尽くしていく。
――契約者。
漢字にして三文字の言葉が頭からどうもはなれない。それでも、だんだんと俺の意識は少女の後ろのテレビへと向く。
「さ、幸恵……?」
大切な大切なたった一人の家族。たった一人の俺の母親。今まで支えてきてくれたたった一人の家族。俺のために人生の半分を無駄に過ごしてきたバカで優しい母親。
それが今、ニュース番組で死亡の放送がされている。
「……幸恵が……しん、だ?」
俺はただ、そう口ずさむ。今の現状を把握しきれていないせいだろうか、あまり実感という感覚がない。
「そうですね。今日からこのお家は兄さんと初音だけになってしまいました」
「……ああ」
少女こと、初音は白々しくそういう。しかし、なぜだろうか。今すぐにでも殴り飛ばしたくなるはずの感情がわいてこない。
――そして、だんだんと忘れていく。
――大切な大切な人のはずなのに。
そして、俺はその場にひれ伏してしまった。
俺は夢を見ていた。
真っ白で何もないところで一人で遊んでいる。
その表情はまるで誰かを見ているような感じだ。
しかし、そこには俺以外誰もいない。
「……う、う~」
柔らかで温かい感触の中、俺は目覚めた。
「お帰りなさい。兄さん。これで第一段階は完了です」
「あ、ああ……」
誰が何を言っているのかわからないがとりあえずあいまいな返事を返した。
それにしても、今の枕は心地が良い。今までにない感触というか、このぷにぷに感に今までに嗅いだことのないようなあまく心地よい香り。
俺は思わず、その枕にすりすりぷにぷにくんくん……。
「ひゃぁ――」
「……気持ちぃぃ……」
「ちょっ――やっ――」
「くんくん。すぅー、さわさわ……――――どわっ!」
天地が入れ替わりながら俺は一人の少女を瞳に宿した。それと同時に激痛。
「――っつ~!」
激痛が走ったかと思ったが全く痛くない。感覚的にわかったが俺はソファーの上から落ちたはずだ。多少の痛みは感じてもいいはずだ。しかし、それがない。
「全く痛くないくせになぜ声を上げているのですか?」
「と、いわれても……」
そういえば、今日からこの家で二人で暮らすことになった妹のことを思い出す。
確か、名前は……初音。高倉初音だ。
「それでは改めてよろしくお願いします。兄さん」
「ああ、よろしく。これから二人だけの生活になるけどがんばろうな」
「……」
「どうした?」
「いえ、こちらこそ」
初音はなぜか苦い顔を作った。
しかし、それも仕方のないことかもしれない。俺はさほど意識していないが今日から俺たちは同居生活をすることになるのだ。
初音は幼くとも女の子だ。そういうところはちゃんと見定めてやるのが俺の仕事。兄貴の仕事だ。
「とりあえず、確認です。さきほど、幸恵さんがお亡くなりになりました。どうお思いでしょうか?」
「ん~、そうだね。とりあえず、親戚にでも頼んでことを済ませてもらおうかな」
「そうですか。それともう一つ、初音さんのことですが……」
「初音さん? お前、自分のことをさんづけなのか?」
「……」
「ん?」
「いえ、何でもないです。それより、謝ることがあるのでは?」
初音はなぜか顔をぷんぷんに膨らませて俺に迫ってくる。
ごく数秒、俺は考えてみたが何をしたのか全く分からない。
「なに?」
――プチン
どこからかそのような音が聞こえた。まるで堪忍袋の緒が切れたみたいだ。そして、堪忍袋の緒が切れる人なんて俺の目の前にいる人しかいないと思う。眉を吊り上げ、華奢な身体の背後から真っ赤な炎が上がっている。
そして、その少女は言う。
「私のふとももをすりすりしました! 私のふとももをぷにぷにしました! 私のふとももにくんくんしましたああああ!!」
「……ん? へ?」
「すごく、すごくくすぐったかったですう! 涙がでちゃいそうでした! でも、すごく気持ちよかったですうう!!」
「はぃぃ? え? 気持ちよかった?」
顔を食紅のように真っ赤にし、初音が言い放つ。
「ぐむむ――」
そして、両手でお口を押える。
こういう姿勢で男は萌えてしまうのだろう。それがたとえ妹でも。
「はぁ……何言ってるのかわからんが学校行くぞ?」
俺にそんな感情は全くない。驚くほどない。
最低限の感情を表にだすも、それ以上の関心は全くない。
それに関して俺は全くの疑問を持たない。だって俺は感情を捨てたから。なぜかというと答えられない。覚えていないのだから。
――俺は高倉歩夢。
こんなつじつまだらけの世界を壊しに来た――一人の契約者なのだから。