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何も知らない神の子  作者: 三村春明
引きこもり
1/9

 俺がこの学校に来て、一体何ヵ月が経過したのだろうか。俺の体感温度だと夏は過ぎたかと思う。しかし、今の俺にはそれ以上の情報はない。知ろうとも思わない。誰もが喜びの歓喜を挙げる暖かく、涼しく、時には熱く、寒いこの世界から俺は光を閉ざしてしまったのだから。


 だって俺は……。


 どんよりと重たそうな足音とほのかに香る甘くてふわふわした匂いに俺は目覚めた。

 寝癖も大してつかない髪をかき分け、俺はそんな甘くてふわふわした匂いのするドアとは反対方向を向く。布団を鼻元までかぶり、ちょっとずつ近づいてくる母親と思われる足音とほのかに香る甘い匂いをかぎながら俺は待つ。

 そして、控え気味にノックが二回。コン、コン。


「……」


 そんな丁寧なノックを俺は無視する。


「起きているよね? ホットケーキ。作ったからここに置いておくよ?」

「……う、うん」


 やはり母だった。幸恵さちえだ。

 俺たちは互いに声を忍ばせながら言葉を選ぶように会話をする。まるで本当の他人であるかのように。

 いいや違う。それは俺が思っている勝手な妄想。俺が他人と一歩身を引いているからそう思うだけだ。幸恵は俺に気を使っているに違いない。しかし、それが逆に俺たちの距離を大きく突き放しているようにも思える。


「が、学校。今日も休みます。って連絡しておいたから」

「……うん」


 俺はまたもやあいまいな返事をとる。ただ、これが習慣づいてしまっただけだ。

 幸恵はいつも俺の心配をしてくれている。毎日だ。毎日毎日こんな俺に朝食を作ってくれる。昼は仕事だというのに一度帰宅して、栄養のある物を作ってくれる。

 俺はそんな幸恵が少し嫌いだ。自分の時間を俺のために使っても何の意味もないし嬉しくない。むしろ、迷惑と言ってもいい。


「じゃ、じゃあね。幸恵はこれから仕事に行ってくるからね。元気でね」


 ドアの向こうで必死に笑顔を作っている幸恵の姿を思い浮かべる。俺はそんな幸恵は嫌いだが、どうしても言いたいことがある。毎回毎回、言いそびれてしまう。否、勇気がだせない。

 だから今日こそは……。


「さ、幸恵」


 階段を降りようとしていた幸恵は俺の声を聴くと、慌てふためき俺の部屋の前に立つ。


「な、なに? 用事? 何でも言って!」


 言ってしまえ、俺。たった、たった八文字だ。もっと略せば五文字。

 そんな簡単な言葉なんだ。


「あ、ありがとう……」

「え? 今……」


 言えた! 今、確かに言えた!


「な、何でもない」


 しかし、すぐに俺はそんな言葉を濁すような態度で幸恵を突き放してしまう。


「ううん。ちゃんと届いているよ? こっちもありがとうね」

「……え?」


 意外だった。それ以前に幸恵が俺に対して感謝の言葉をささげる義理がない。全くないのだ。


「いつもおいしくもないご飯を残さずに食べてくれてありがとう。いつもその食器を洗ってくれてありがとう」

「……」


 なぜだろうか? 幸恵はすごく安らいだ声でそんなことを言う。まるで本当に感謝しているかのようにだ。そんなのありえない。ありえるわけがないのに。


「それとね」


 幸恵の口調がかわったのがわかった。俺は布団を頭までかぶり、まるで巣の中でおびえる雛鳥みたいに小さくなる。そうでもしてないと俺は耐え切れない。俺に絶望を与えてくれたこんな世界に耐え切れない。たった一人、こんな身振いしているちっぽけな存在の俺を救ってくれなかった世界に耐え切れない。


「初音ちゃんはもう戻ってこないんだよ?」

「――やめ――!」


 俺は声が裏返りながらそう叫んだ。叶いっこない願いを必死に願い、帰ってくるはずのない人のことを必死で思い、そして、何もかもつじつまの合っているこの世界を必死に否定しながら。


「ね? 歩夢も歩き出そう? ……実はね、再婚することにしたの」

「……は? さ、再婚って――! お、俺はどうなるんだよ! 何でだよ!? なんでなんだよ!? ……俺の居場所はもうここしかないのに――」

「歩夢の居場所はこんな狭くて暗い場所なんかじゃあないよ? ここよりずっと広くて暖かい場所」

「――ッ」


 何もかもを否定したいのに声がのどに引っかかってでない。肺がぜーぜーとうなり、大粒の涙によって俺のちっぽけな心を覆い尽くす。

 だから俺は何もかもを否定する。

 こんなつじつまでしかできていない世界を否定する。一番大切で一番好きだったあの子を奪ったこの世界を否定する。

 きっと俺が何もかもを否定していれば新しい世界ができるはずだ。いいや、できるに違いない。

 だから、俺は学校にも行かない。外にもでない。光も浴びない。

 暗闇こそが今の俺の居場所なのだから。


 それから約三週間が経過した。

 体感温度は三週間前から全く変わっていないだろう。ただ、小鳥の囀りが増えた気がする。春を思わせる小鳥の囀りはこの時期にも聞こえることを俺は初めて知った。第一、小鳥が囀る時間に俺は起きない。今日が特別な日だからこそ俺はこんなに早く起きている。起きていると言っても体勢はもちろん布団の中で横になっている。そして、俺は誓う。

 今日だけはここの中から一歩もでないと。

 ここで物事を否定しようとも何も始まらない。むしろ、悪化していくことは間違えようもない。俺はすべてをわかっていた。それでも、俺の選択は堅く門を閉ざすこと。そして、唯一、門を開きかけていた最愛の母、幸恵にもこの瞬間から俺は門を閉ざした。

 今日は幸恵の再婚式だ。

 俺はこの日をどこかで待ちわびていたようにも思える。これで幸恵は俺なんかに構わないで新しい人生に、生活に励むことができるのだから。俺は本当にそう思っていたのに……。


「歩夢、そろそろ行くけど――」

「行かない――!」


 幸恵は俺の部屋の前でそういってくる。

しかし、俺は素直になれない。否、素直になる必要がないのだ。俺がこの世界に何か尽くす義務はない。むしろ、世界が俺に対して何かしないといけないのだ。たった一度の最高の奇跡を。


「……そう、か。……うん。いつでも参加していいからね。今日から家族が増えるけどあいさつだけでもしてね?」

「……」


 俺に何かを求めようとしても無駄だというのに。そんなこと、幸恵が一番わかっているはずなのに。


「うん。行ってくる」


 幸恵は最後にそう言って、俺の部屋から離れ、そして、玄関のドアを開け出ていく。

 辛いはずなのに。悲しいはずなのに。むかつくはずなのに。いますぐにでも怒鳴り散らしてやりたいはずなのに。引っ張りだしてむりやりにでも学校に連れて行きたいはずなのに。それなのにどうして、幸恵は……。


「ひっ……。ごめん。ごめん――」


 俺は涙を流していた。あの時に涙は枯れたはずなのに、俺はまた泣いてしまう。もう、泣かないとは決意していないのだから泣くなんて自由。そう思えればどれだけ楽だろうか。

 幸恵は最後まで明るいトーンでかつ、ドア越しにもかかわらず、俺と正面を向きながら話しかけてくる。それだけでも、十分すぎることだというのに。俺にそんな体力を使う必要なんてないのに――。

 幸恵は最後まで笑顔を俺に向けているのだ。

 最高の笑顔、ではない。だって、今の俺に最高の笑顔なんて無理だと思う。それでも、俺はうれしかった。とてもうれしかった。ただ、それとは逆に胸が張り裂けそうになるくらい悲しい。むごい。


「……変わるなんて……無理だよ」


 俺は最後にそう言葉にして眠りについてしまった。

 今日だけは寝ないと決めていたはずなのに――。


今のところ、今後の予定でファンタジー風にバトルや異世界などの類を入れていこうと思っております。

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