6:誘惑(you work)。
6
秋野先輩と僕は、昇降口から校門を抜け旧校舎の裏を通り、商店街の方へと歩いていた。
御殿町の商店街は大きいようで小さい。広さはあるが、店はちらほらとしていて、空き店舗の多いショッピングモールみたいだ。
校舎を出てから二人とも無言のままだ。まるでそれが当たり前、みたいに。
沈黙を崩すのは僕の方だ、と思っていた。黙っているのは得意な方だが、相手がこうも格上だとやりにくいものを感じる。
交差点で信号に差し掛かった時、秋野先輩が口を開いた。
「十六夜くん。少々寄り道をしていきません? 私喉が少々乾きましたので喫茶店にでも足を運ぼうと思うのですけれど」
断りたいが……、断れる雰囲気、というか相手じゃなかったので僕は二つ返事でいいですよ、と回答してしまった。
しまったと、言うよりはしておいた、が正しいのだけれど。
そして、僕達二人は腕を組んだまま|(強引に組まれたままだから解くに解けない)店内へ入った。
奥の席に案内され、店員が注文を取りに来たので僕はメロンソーダを頼んでおいた。先輩はアップルティーを頼んだ。
店員の姿が消えると、おもむろに先輩は語りだした。
「で、本題だけれど――十六夜月夜くん。あなたは生徒会に本当に興味があるのかしら?」
眼鏡をクイッとあげる動作をし、僕に問う。
「興味、というと活動に、という事ですか?」
それ以外には思いつかないが。
「そうね。大まかにはそう。生徒会に入ろうとしてくるなんてことは、あなたもどこか異端な人間なのでしょう? 私のように、増梶拓斗のように、そして、竃円のように」
竃円。異端。異常。
「ちょっと待ってください、入ろうなんて、ということは生徒会に入ろうとする人間はそうそういない、という事ですか?」
聞いていないぞ、生徒会が異端な集団なんて。どういうことだ。
ちょっと変わった上級生がいる、くらいしか聞いていないぞ僕は。
「あら、あなたもしかして何も知らないで入ろうとしたわけ? じゃあ昨日のキス騒動は本当にキスがしたかっただけなの? 嫌だ……私ったらそんな野蛮な、不潔な不純な不埒な不安全な男とお茶を共にしているって言うの!? 危険だわ、私危険だわ危険危険危険危険危険危険」
「き、危険だわどうしたらいいのかしら私ったらこれからキスされてそれから体中の雌という雌を汚されて侵されて犯されて辱められて捨てられて破られて砕かれて死んでいくんだわ!」
「最悪だわ最悪よ、最悪でなくて何が最悪って言うもんなんですか! もういや! 誰か助けて!」
な、なんだこいつ? 周囲の客の目がこちらに向けられる。
秋野先輩は頭を抱えて椅子の上に立ち、喚き散らしている。
周囲の奇異の目が痛い。痛すぎて死にたくなる。
と、とりあえず落ち着かせなくては。
「お、落ち着いてください秋野先輩、僕はただ竃の付き添いで入っただけです」
入ったというか入れられたが大いに正しいけど訂正の暇がない。
「嘘よ! そうやって女を誑かすのがあなたの狙いなのね! それで何人の女を落としてきたのよ!? あたしは騙されないわ!」
「いや、だから冗談抜きにただの付き添いなんですってば」この人面倒くせえ。
「あらそう。ならいいわ」
と、秋野先輩は何事もなかったかのようにケロッともとの秋野先輩に戻った。
何事もなかったかのように。
驚くことに、周囲の人間も注目をやめていた。何事もなかったかのように、元の様子に戻っている。
「あら、ジョークよジョーク。びっくりしたかしら?」
びっくりどころではない。若干引いた。若干引いていてがもっと引いた。引き潮より引いただろう。
「冗談はやめてほしいですね、心臓が悪いんですよ、僕は」
そう、僕の心はガラスのハートだ。砕けやすく、切れやすい。
「あまり面白くないわね。まあ、いいか。じゃあ話を元に戻すわ。あなたの反応を見ていれば大体わかるのだけれど、あなた、竃円に説得されて志願したわけじゃないわね?」
さっきそういったが。反応で分かるのだろうか。だとしたら僕はとんだ読心術の持ち主のいる委員会に入ってしまったかもしれない。
とりあえず頷いた。
「やはりね。まあ、大体わかっていたことだけれど。あなた、竃円が常人とは違うのは知っている、――理解しているわよね?」
「幼馴染ですからね、一応。自覚しているのかはわかりませんが、僕は知っていますし理解しています」
もう十年は一緒にいるのだから、分かる。幼馴染というのはきっとそういうものだ。
「あいつは――、人を納得させることができる。無理を通して、道理を貫いて、ルールを破って、型も破って、規律も秩序も理念も思念も思想も理想も打ち砕いて、不正解を正解にしてしまう」
「自分主義の人間というわけ、ね。彼女の事は生徒会でもマークしていたのよ。マークというか警戒ね。軽蔑と言ってもいいかもしれないわ。侮蔑が正しいかしら。まあいいわ。とにかく、彼女は面倒な問題なの」
ああ。
それがあの目線の理由か。
ライン。超えてはいけないライン。
その線引きだったというわけか。あれは。威嚇という形容が一番正しいのだろうが、あえて威圧していたのか。
「あの威圧にはそんな意味があったんですか。大体わかってはいましたけれどね。で、秋野先輩」
「一体、僕にどうしろ、と?」
運ばれてきたメロンソーダを口に含み、飲み込んでから言った。
「そうね、簡単に言えば協力の要請ね。竃円が生徒会に入るのを阻止してほしいのよ。理由は分かるわよね?」
先輩もアップルティーをすする。温かそうでうらやましい。
雨でぬれていたので僕も温かいものにすればよかった。
若干の後悔を孕みながらも会話は続く。
「まあ、全校生徒が操作――、されるようなことになりかねないですからね」
仮に。竃円が生徒会長にでもなったら、そうなりかねない。
人を納得させる異質な存在。
竃円は人を納得させることができる。例外はいるが。
「そう。独裁政治もいいところよ。ヒトラーの再来とまでは行かないまでも、ね。人間操作もいい所よ。一学校が媒体でも、これではいつか社会にも影響が出る。そういう存在なのよ、竃円は」
竃円。
ただの女子高生。
されどこの女子高生。
僕にとってはただの幼馴染だ。
「そこで、あなたに相談、もといお願い――、頼みがあるのよ」
秋野先輩は言う。
「竃円を止めて。あなたしか頼れる人間がいないのよ。竃円の影響を受けない人間は――おそらくあなたしかいない」
やれやれ。
まるでヒーロー漫画だな、と僕は思った。